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アンドレア・ロモリ: 日本のアニメシリーズの原作SFサガ『アルトゥリ・モンディ』のクリエーター

ロモリ氏の漫画は、日本や中東を含む世界中の多くの国で吹き替えされた。(付属)
ロモリ氏の漫画は、日本や中東を含む世界中の多くの国で吹き替えされた。(付属)
ロモリ氏の漫画は、日本や中東を含む世界中の多くの国で吹き替えされた。(付属)
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18 Dec 2020 12:12:49 GMT9
18 Dec 2020 12:12:49 GMT9

アミン・アッバス ドバイ

『宇宙船サジタリウス』というタイトルでアニメTVシリーズ化されたサイエンスフィクション『アルトゥリ・モンディ』(1977年)で最もよく知られているイタリアの物理学者であり漫画アーティストのアンドレア・ロモリ氏が自身のプロとしてのキャリアについてアラブニュース・ジャパンに語った。

ロモリ氏は日本アニメや文化へのインスピレーションを語り、幼少期にキャラクターや物語を想像し始めたとき、自分の家庭にはテレビがなかったと説明した。

「幼少期、思春期、そして若い頃の大部分はテレビなしで過ごした。だから、アニメーションの参考となるのは、ドナルドダックやミッキーマウスなどのウォルトディズニーのキャラクターだった。幼少期のおもちゃは、紙、鉛筆、墨汁、絵の具、木製工作やその他幻想的で刺激的なゲームなどで、創造性を大いに刺激するものだった。プラスチッやビデオゲームはなかったのだ。」と氏は語った。

「1949年にイタリアは月刊コミック『トポリーノ』(イタリアでダイジェストサイズのディズニー漫画を扱うコミックシリーズ)の出版を開始した。私はまだ読むことができなかったのに、すぐに愛読者になったのを覚えている。」とロモリ氏は述べた。「好きなキャラクターはドナルドダック、好きな作家はカール・バークスだった。当時は数年間、カール・バークスが自分の好きな漫画の作者であることを知らなかった。」

このイタリア人アーティストは、当時はアニメとマンガは手に入らなかったと述べた。しかし、1981年に氏は日本を訪れた。

「1981年に日本アニメーションとの契約目的で出版社と一緒に東京を1週間訪れた。フリーの日が1日だけあったので東京のいくつかの場所を訪れたが、東京も日本も大して見物できなかった。銀座からさほど遠くない美術館を訪れたとき、日本人アーティストの『鉄道からの東京の眺め』という作品に感銘を受けたことを思い出す。」

日本文化から自分の日常生活に取り入れた最も感銘的なことに関して、ロモリ氏はこう述べた。「『宇宙船サジタリウス』シリーズは日本文化が私に与えた影響よりも、日本人に大きな影響を与えたと思う、実際、『宇宙船サジタリウス』シリーズは、多くの日本人にイタリア料理『ラザニア』を広めた。私の生活は、帰宅するたびに靴を脱ぐ習慣を除いて、日本文化にあまり影響されなかった。一方で、私は1974年ニコンヨーロッパ支部のアムステルダムにいたとき、日本人と関わりがあった。顕微鏡試料台を開発するために会社の使命を負っていた。当時、私はイタリアの非常に重要な光学機械会社のジュニアオプティカルデザイナーだった。宇宙船の光学設計を担当し、2008年までその会社に在籍した。

この時期、ニコンの日本人雇用主からアムステルダムで最高の日本食レストランを教えてもらった。こうして私は日本料理を楽しむことを覚えた。また、葛飾北斎のような日本の古典画も好きである。」

ロモリ氏は、自分が作成した最初の完全なコミックは『Avventura su Efesto(アブェンテゥラ・ス・エフェスト)』というタイトルだったと述べた。

「1年以内に完成させた。19枚の白黒(細ペンと墨)で構成され、各版は縦A3フォーマット(42 x 30 cm)だった。私はこの作品で漫画界に参入したかったのだ。」と語り、自分のストーリーが漫画に最適だと密かに信じていたと付け加えた。

ロモリ氏は、1980年代の日本のアニメTVシリーズ『宇宙船サジタリウス』への自分の本のアニメ化について、アラブニュースジャパンに次のように語った。「1979年の初めに、『Fuga su Issar(フゥーガ・ス・イッサル)』が特大版(約35 x 50cm)で出版され、『ボローニャ国際児童図書展』により私の本専用のスタンドが提供された。開催初日の午前9時、日本アニメーションのアートディレクターが私の本を1冊手にとった。」

「1週間後、日本アニメーションから、漫画シリーズの制作オプションを提案された。これがヨーロッパのプロデューサーも関わった長い歴史の始まりだったが、彼は日本アニメーションに除外された」と氏は付け加えた。

「1981年から1年経ち、私は契約のために東京に滞在し『宇宙船サジタリウス』のパイロット版映画を見た。この数分の短編映画が私に大いに感銘を与えた。」

ロモリ氏は、1988年にイタリアの漫画編集社であるカッパボーイズクラブから連絡があり、日本でのシリーズ大成功を伝えるまで、シリーズについて何も知らされていなかったと語った。

このシリーズは、手塚治虫の『アトム・フェスティバル』で名誉ある賞を獲得した。ロモリ氏は、オンラインで、日本人が自分の本を探していて、「AvventurasuEfesto(アブェンテゥラ・ス・エフェスト)」のコピーに大金も惜しまないと思っていることを知ったと語った。

『宇宙船サジタリウス』も80年代半ばに中東でアラビア語吹き替えで放送され、ロモリ氏は自分のシリーズが世界中のさまざまな国で紹介されていることを嬉しく思うと述べた。

「正直に言うと、シリーズの世界的な普及に関する状況を正確に把握していなかった。今日まで、日本、カナダ、ドイツ、スペイン語圏の国の一部、ロシア、その他のスラブ諸国で放送されていることは知っていた。知らずにいた情報をありがたく思う。このアニメがアラブ諸国で評価されたことを願っている。」

最新の氏の今後のプロジェクトについて、ロモリは次のように述べた。まず、最新の漫画 『Kthalon-Porta Inferi』(Kthalon-Hell Door)を完成させることだ。約100ページの作品で、フルカラーで78ページまで進行中だ。『アルトゥリ・モンディ』(トッピー、ジラフ、ラナの新たな冒険)の7冊目で、今年中に完成することを願う。次に、イタリア限定で、自己出版するが、他の真剣な企業を受け入れたい。」

サジタリウスのキャラクターの写真もいくつか作ってみた。今後の展覧会に向けて作品を選んでいる。願いの一つはたくさんの熱烈なファンに会うために日本をまた訪れることだ!」と氏は追加した。

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