
ファリス・アルラシュド、リヤド
日本で高校教育を修了していた28歳の石川玲央は、海外への興味をかきたてられ、日本人にアラビア語を教えるため東京のアラブイスラーム学院に入学した。
アラビア語への情熱に突き動かされ、アラブ諸国、特にエジプトとサウジアラビアを旅行し、常に頭から離れなかったこの言語を学び、習得した。
東京のアラブ・イスラーム学院の教師が推薦してくれたため、石川はエジプトの様々な語学学校でアラビア語を教えた。
その後、サウジアラビアに移住し、リヤドのキング・サウード大学文学部のアラビア語学科に入学した。石川はイスラム教を受け入れ、サウジアラビアに定住した。
石川の例は、東京のアラブイスラーム学院がサウジアラビアと日本の文化的な絆を強化するのに貢献した典型である。
ここは、専門的な教師によるアラビア語の集中プログラムに参加する機会を個人に提供する日本で唯一の機関だ。
また、学院はアラビア文化とイスラム教に関する入門講座と宗教セミナーを定期的に開催している。
毎年何十人もの日本人学生がアラビア語学習コースを修了し、このプログラムを活用している。
東京のアラブイスラーム学院の設立は、1971年にファイサル国王が日本を公式訪問した時に遡り、これにより両国間の関係は強化された。
訪問の成功に続き、サウジアラビア政府は日本人に長期的な影響を与え得る贈り物を贈呈することに決めた。
1983年、リヤドにあるイマーム・ムハンマド・イブン・サウード・イスラーム大学の分校として、アラブイスラーム学院が誕生した。
設立以来、学院は地元の人々に無料でアラビア語を学べる機会を提供するコースを実施して、基本的な目標を達成しようと努めてきた。
石川は、エジプトで学び始めた瞬間から、単なるアカデミックな演習ではアラビア語をマスターできないことに気づいたと言う。
アラブ人と深く関わり、十分に練習を積んで流暢さを身につける必要があった。
アメリカ国務省が「非常に習得困難」とみなした言語の1つだから、というわけでもないが、石川にとってアラビア語の習得は大変な挑戦となった。
アラビア語の文法構造と綴りが日本語とは大きく異なることも理解した。
しかし、その事実はアラビア語を習得するための石川の努力を倍増させた。アレクサンドリアにいる間3つの言語教育機関に入学し、その後、アラビア語を完全に使いこなせるようにするためサウジアラビアに移った。
この時期、石川がアラビア語とアラブ文学の学習において示した粘り強さは、古典アラビア語詩の理解を深めるための彼の努力に現れ始めた。
新たな関心の背後にある理由は、アラブ世界の日常会話で用いられる口語とは対照的に、アラビアの詩が古典的な語彙を用いているからだと言う。
日本からエジプトを経由しサウジアラビアに向かう旅路の途中、石川はイスラム教信仰の中に見られる寛容さおよびこの宗教が提唱する価値に深い感銘を受けた。イスラム教への改宗を決断し、名前を石川ウサーマに変えた。