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トヨタ創業者の息子で、世界的な成長を導いた豊田章一郎氏が死去 97歳

章一郎氏は、1937年にトヨタを創業した豊田喜一郎氏の長男。(AFP)
章一郎氏は、1937年にトヨタを創業した豊田喜一郎氏の長男。(AFP)
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14 Feb 2023 08:02:19 GMT9
14 Feb 2023 08:02:19 GMT9

東京:創業者の息子として、トヨタの国際市場進出を指揮した豊田章一郎氏が死去した。97歳だった。

トヨタ自動車は声明で、同社の名誉会長である豊田氏が心不全のため14日に死去したと発表した。

豊田章一郎氏は、先頃、社長兼最高経営責任者を退任し、会長に就任することを発表した豊田章男氏の父親である。章一郎氏は、1937年にトヨタを創業した豊田喜一郎氏の長男である。

1982年にトヨタの社長に就任した豊田章一郎氏は、トヨタが世界的な自動車メーカーに成長するよう指揮を執り、特に重要な米国市場において、そのブランドが品質、耐久性、コストパフォーマンス、エンジニアリングの精巧さの代名詞となるほどに貢献した。

トヨタのような日本の有力な輸出企業がアメリカのブルーカラーの雇用を奪っていると非難された「ジャパン・バッシング」という苦難の時代も、父子で経験した。

しかし、トヨタはアメリカの自動車産業の一員となることを選び、アメリカ国民のために雇用と価値を生み出す財産であることを証明した。

豊田章一郎氏は、弟の達郎氏とともに、トヨタが北米に生産拠点を置く道を開いた。1983年にゼネラルモーターズと合弁会社を設立。ニュー・ユナイテッド・モーター・マニュファクチャリング、NUMMIと呼ばれていたが、1984年、カリフォルニア州フリーモントで最初の自動車が生産された。

トヨタ自動車は、創業家の遺産と歴史的なカリスマ性で危機を乗り切ってきたが、創業家以外の最高経営責任者も数多く輩出している。

豊田章一郎氏は、「トヨタが世界で最も認められ、賞賛される自動車メーカーの1つであるという評価」を定着させた功績により、2007年に米国自動車殿堂入りを果たした。

彼は1947年に名門名古屋大学の工学部を卒業し、1952年にトヨタ自動車に入社した。

トヨタ自動車では、工場で仲間である従業員のすぐそばで仕事をすることで、従業員から尊敬を集めていたと言われている。

それは、トヨタが職場、「現場」を大切にし、勤労意欲、効率的な生産、革新性、品質を実現するために重要であると考えていることの証であった。

トヨタの始まりは地味なものだった。豊田章一郎氏の祖父、豊田佐吉氏が裏庭の小屋で自動織機を発明したのは、家でよく機織りをしていた母親を助けたいというのが主な理由だった。

1933年、豊田喜一郎氏が自動車をつくりたいと言ったとき、人々は半信半疑だった。当時、日本にはGMやフォードのような輸入車しかなかったからだ。

しかし現在では、一人ひとりの従業員に権限を与えて品質管理を行う「トヨタウェイ」と呼ばれる生産方式が、自動車業界で最も優れていると評価されている。ハイブリッド車のプリウスやセダンのカムリ、高級車のレクサスなどを製造するトヨタは、自動車販売台数で世界のトップクラスに位置している。

豊田章一郎氏の葬儀は、近親者のみで行われる。トヨタによると、彼を偲ぶ「お別れ会」は後日予定されているとのこと。他の遺族の詳細については、すぐには明らかにされていない。

AP

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