
パリ・ダカール・ラリー(通称パリダカ)と世界ラリー選手権(WRC)で日本人初優勝を果たした篠塚建次郎(しのづか・けんじろう)さんが18日午前、膵臓(すいぞう)がんのため長野県諏訪市の病院で死去した。75歳だった。葬儀は家族葬で執り行い、後日お別れの会を開く。
東京都出身。東海大入学後にラリーを始め、卒業して三菱自動車入社。社員ドライバーとして国内ラリーで活躍した後、海外ラリーに進出。排ガス規制に伴う会社のラリー活動休止でサラリーマンに徹した時期を挟み、1986年からパリダカ参戦を開始。参戦12年目、48歳だった97年に四輪部門で日本人初のパリダカ総合優勝を果たした。優勝車の三菱パジェロは人気車種となった。
WRCでは91年のアイボリーコースト・ラリーで三菱ギャランに乗って日本人初優勝を果たし、翌年も制覇。名実ともに日本を代表するラリー・ドライバーとなった。
2002年のパリダカ総合3位を最後に三菱自動車を退社。03年からはプロドライバーとして日産自動車と契約するなど、07年までパリダカに出場した。
「生涯現役」を掲げソーラーカー・レースにも挑戦。パリダカで縁ができたセネガルに小学校の校舎を寄贈するなどの社会貢献活動や、日本各地で運転技術の講習会などを行った。22年に日本自動車殿堂入り。義弟は俳優の三浦友和さん。
妻のひろ子さんは夫の闘病を振り返り、「この3週間、頑張って頑張って、(アフリカの)サハラ砂漠と闘ってきたのだと思います。本当によく走り続けました。どうぞ篠塚を褒めてやってください。長く応援していただきありがとうございました」とコメントした。
時事通信