
東京:ロキ・佐々木投手はメジャーリーグで最も注目されている新星だが、そこに到達するまでには逆境と闘わなければならなかった。2011年の日本の津波で父と祖父母を亡くしている。
ロサンゼルス・ドジャースへの入団が決まった23歳のこの投手は、野球界の有望な若手選手の一人と目されており、今冬に日本を離れてMLB入りするというニュースは、リーグ全体に熱狂的な入札合戦を引き起こした。
メジャーへの道のりは悲劇的なもので、それは14年前、佐々木投手が9歳の時に世界がひっくり返った時に始まった。
佐々木選手の故郷である岩手県陸前高田市は、マグニチュード9.0の地震による巨大な津波が日本の沿岸を襲った際に、ほぼ地図から消えた。
佐々木選手の家は流され、父方の祖父母と父親の幸太さんは亡くなった。
佐々木選手と母親、2人の兄弟はすべてを失い、近くの市に引っ越すまで一時的に老人ホームで暮らすことを余儀なくされた。
家族はそこで再出発を図り、佐々木はマウンドで心の平穏を見出した。
「野球をしている時が一番幸せでした」と、震災から10年が経った今、彼は語った。
「野球に没頭することで、つらい現実と戦うことができました。野球を始めてよかったと思います」
佐々木選手は津波発生時、学校にいたが、同級生たちと共に高台に登って難を逃れた。
この災害により、日本全国で約1万8500人が死亡または行方不明となり、福島原子力発電所のメルトダウンも引き起こされた。
「いつ自分が当たり前に享受している生活が消えるか分からない。それが怖い」と佐々木は後に語った。
佐々木は高校球児として頭角を現し、2019年の日本プロ野球ドラフト会議で千葉ロッテマリーンズから1位指名を受けた。
すでにメジャーリーグの注目選手であった佐々木は、2022年4月に20歳で完全試合を達成し、世界を驚かせた。
13者連続三振という日本野球新記録を樹立し、NPB史上16人目、1994年以来2人目の完全試合を達成した。
完全試合とは、相手打線を走者を出さずに抑えることである。
佐々木は次の登板で、あと少しで完全試合を達成するところだった。8回をパーフェクトに抑えたが、コーチに交代を命じられ、腕を休めることになった。
才能だけでなく成熟した一面も見せた佐々木は、コーチの判断を理解していたと語り、「少し疲れを感じていた」と認めた。
佐々木は、日本が優勝した2023年のワールド・ベースボール・クラシックのメンバーとして、1年後に再び脚光を浴びた。
彼の人生を一変させた震災から12年目のこの日、佐々木は東京ドームでのチェコ戦の先発投手となり、チームを10対2の勝利に導いた。
試合後、日本代表の栗山英樹監督は、佐々木のパフォーマンスは「ただ球のスピードが速いだけではない」と語った。
「まるで、一球一球に魂を込めているかのようだった」と監督は語った。
佐々木はワールド・ベースボール・クラシックの予選試合で102.5マイル(約164.7km)の速球を投げ、これはドジャースの新チームメイトである大谷翔平の最速をわずかに上回る。
しかし佐々木は怪我にも悩まされ、2024年にはマウンドでのパフォーマンスが低迷し、苦しいシーズンを過ごした。
それでも、彼がMLBの球団と契約できるというニュースは、リーグ全体に彼を獲得しようという動きを引き起こした。
ドジャースに入団した今、彼は野球から受けた恩を野球界に還元し、次世代の子供たちに勇気を与えることを願っている。
「10年前、多くの人々が私を支え、勇気と希望を与えてくれた」
「今度は私が他の人々に勇気と希望を与える番だ。自分のパフォーマンスを通じて、それができればと思う」と、震災10周年の日に彼は語った。
AFP