
17日、人気の数字パズル「数独」の製作者で、パズルの喜びを広めることをライフワークにしてきた鍜治真起氏が死去したことを、自身が創業した企業が発表した。鍜治氏は69歳で、胆管がんを患っていた。
「数独の父」と呼ばれた鍜治氏は、子どもやあまり考えすぎたくない人々のために数独を易しいものにしたという。数独という名前にもあるように、プレイヤーは1~9の数字を、縦および横の列、そして同じブロック内で重複しないように埋めていく。
皮肉なことに、2004年にニュージーランドのとあるファンがこれを売り込み、英国の「タイムズ」紙が掲載するまで、数独は世界的に人気のパズルではなかった。2年後、日本は数独を再発見し、逆輸入する形になった。
鍜治氏は7月まで株式会社ニコリの代表取締役社長を務めており、東京都心の三鷹市にある自宅で8月10日に死去した。
鍜治氏は30カ国以上を旅し、パズルの楽しさを伝えてきた。東京に拠点を置くニコリによると、長年に渡って行われてきた数独の世界大会には、これまで100カ国から2億人が参加してきたという。
また、数独は日本以外では商標登録されておらず、そのことが海外での熱狂を加速させたとニコリは述べている。
「鍜治さんは、数独の名付け親としても知られ、世界中のパズル愛好者たちに愛されました。生前の、みなさまからいただいたご愛顧に心から感謝いたします」同社は声明でそのように述べている。
当初、数独は「数字は独身に限る」と呼ばれていた。近年では、数独は世界で最も人気のペンシルパズルとされており、デジタルバージョンでの展開も行われてきた。
北海道生まれの鍜治氏は、慶應義塾大学中退後に日本初のパズル雑誌を創刊した。1983年にニコリを創業し、同じ時期に数独を考案した。
鍜治氏の後任として代表取締役社長に就任した安福良直氏は、鍜治はすぐに人と仲良くなれる人物で、「ユニークで遊び心のある生き方をしていた」と語った。
「鍜治さんのビジョンと可能性を追求していくことが私たちの使命です」安福氏はそう述べた。
ニコリはこれまで、海外10社を含め100社以上のメディア企業にオリジナルのパズルを提供してきた。
この訃報を伝えた毎日新聞は、書店にパズルコーナーを誕生させるきっかけを作ったこと、オックスフォード英語辞典に「数独」という言葉が載ったことを紹介し、鍜治氏の功績を称えている。
鍜治氏は妻の直美氏と2人の娘を残して亡くなった。葬儀は近親者のみで行われた。ニコリは後日お別れの会を行うことを検討しているが、詳細は明らかになっていない。
AP