




サレハ・ファリード
ジェッダ:サウジアラビアのアスリート、冒険家、そして起業家であるバドル・アル・シャイバニ氏は標高8848メートルの世界最高峰であるエベレストの登頂に続き、5月に7大陸最高峰(セブンサミッツ)を完登した。
セブンサミッツを構成するのは、北米のデナリ、南米のアコンカグア、ヨーロッパのエルブルース、南極のヴィンソンマシフ、アフリカのキリマンジャロ、アジアのエベレスト、そしてオーストラリアのコジオスコである。
自身の体験を総括して「ほろ苦い」ものだったと表現しつつも、「とはいえ、長い時間をかけて達成したことで、セブンサミッツを完登できたのは素晴らしいことでした。これらの山に行くことができて本当に幸運でした」と語った。
アル・シャイバニ氏は何千人ものフォロワーや支援者たちに向けて、TwitterやInstagramに旅の様子を投稿した。
達成した後に、心境をアラブニュースにこう語っている。「最後の一歩を踏み出してデナリ山頂に立ち、セブンサミッツの挑戦を終える前の数歩を登っていた時、本当に複雑な感情や思いが交錯しました。感動的な瞬間でした。長時間のトレーニングや世界のさまざまな大陸への旅を思い出したんです」
「変わりやすい気候、寒さ、風、疲れ、危険、努力、時間、プレッシャー、緊張。すべてが頭の中を駆けめぐりました。この挑戦を始めてから7年間の、さまざまな山のシーンが目の前に現れました。守ってくださったアッラーを称えます。そして、励まし、動機づけを与えてくれた人々に心から感謝します」
この42歳の冒険家は、キリマンジャロ山頂にサウジアラビア国旗を掲げた2015年に、挑戦の旅を始めた。
「目標は、2022年にセブンサミッツを完登することでした」
「すべては7年前、ドバイであるモチベーションナルスピーカーのワークショップに参加した時に始まりました。『ほとんどの人は毎日同じことを繰り返し、コンフォートゾーンに座っている』と彼が言ったのを覚えています。彼自身が冒険家で、コンフォートゾーンから出て冒険し、これらの最高峰の頂上に立つよう、私たちを動機づけてくれました」
「それで、アフリカに行ってキリマンジャロに登ることにしました。本当に楽しかったです。2週間全世界から切り離されたからです。電話も無く、周りに誰もいません。それが私の山登りのターニングポイントになりました」
アル・シャイバニ氏は機会あるごとに登山に出かけ、快適なコンフォートゾーンから出て暮らすことを心がけるようになった。
冒険では多くの困難に直面した。とりわけ、過酷な気象条件にさらされた。気温がマイナス30度以下になることもしばしばだった。
アル・シャイバニ氏は、エベレスト登頂には60日かかった、そしてその後すぐにデナリに挑戦したのは、高地と寒さに体が慣れていたからだと語った。
海抜6,190メートルのデナリは、アル・シャイバニ氏の登山歴の中で最も困難な挑戦のひとつとなった。嵐と、時速80キロもの強風という悪天候が立ちはだかった。セブンサミッツ登頂の最終段階での成功は、彼の忍耐力、強い意志、そして決意なくしてはあり得なかっただろう。
アル・シャイバニ氏によれば、エベレスト登頂が最大の挑戦だった。寒さや気候の変化に見舞われ、標高が高いために酸素が不足するからだ。「デスゾーン」と呼ばれるエリアで、他の冒険者たちの遺体を見たことにも触れた。
「最もシュールな記憶のひとつは、長い列をなす死んだ登山者たちをヘリコプターが山から降ろすのを見ていたことです」と彼は語った。
「もちろん、ひとりで座っている時に何度もこう思いました。なぜこんなことをやっているんだろう?家で家族と一緒に座っているべきじゃないか、家族と一緒に旅行しているべきじゃないか。そんなあらゆる考えが頭をよぎりましたが、ひたむきな努力と決意で、続けてきました」
スポーツ大臣のアブドルアジーズ・ビン・トゥルキ・アルファイサル王子はエベレストの頂上に立ったアル・シャイバニ氏を祝福した。
「エベレストの頂上に到達したとき、大臣が電話をかけてきてくれました。あの電話をこれからもずっと大切な思い出にします」と、彼はアラブニュースに語った。
セブンサミッツを制覇したアル・シャイバニ氏は、夢はまだ終わっていないと言う。
「エベレストより高いところはありませんが、さらに高いところに行くとすれば、月か宇宙ということになります。それこそ私の次の挑戦です。すでに、ロシアで宇宙飛行士の訓練を受ける契約にサインしました」