ラマッラー:ユダヤ暦において東エルサレム占領を記念する日である18日、数千人のイスラエル人入植者がエルサレムに突入した。
「エルサレムの日」の行進は午後2時30分に開始され、ダマスカス門周辺に到着した。一行はイスラエルの国旗を掲げ、踊り、太鼓を鳴らし、歌を歌った。
この「国旗行進」には、イタマル・ベングビール国家安全保障相やベザレル・スモトリッチ財務相、ミリ・レジェブ運輸相、イスラエル議会の外交・安全保障委員会のユリ・エーデルシュタイン委員長など、イスラエルの大物政治家も何人か参加した。
イスラエル警察に守られながら行進した一行には、旧市街のパレスチナ市民への暴行や侮辱といった行為が見られ、ダマスカス門付近ではメディアに向かって石を投げたり、棒を振りかざしたりした。そして、「ヨルダン川西岸地区と東エルサレムにイスラエルの主権を確立せよ」と声を上げていた。
1200人以上の入植者がアル・アクサ・モスクに突入し、イスラエル国旗を掲げた。モスクでは、夜明け前の祈りから午後3時過ぎまで、警察が50歳未満の人々の入場を禁じていた。
パレスチナ側は、行進には自分たちを挑発し、エルサレム東側を奪取する意図があると主張している。過去56年間、イスラエル側はそうしたことを達成できていない。
イスラエル当局は、エルサレムの東側に住む35万人以上のパレスチナ人を、市民ではなく住人と見なしている。旧市街には、1100人のイスラエル入植者とともに約2万人のパレスチナ人が住んでいる
約3200人の警察官がエルサレムを厳重に囲んだ。ダマスカス門周辺は特に厳しい警備が敷かれ、パレスチナの男女が通りから追放され、一部が拘束された。また、スルタン・スレイマンやナブルス、アル・ムスララ周辺での通行が制限された。
パレスチナのムハンマド・シュタイエ首相は行進を非難し、「馬鹿げており挑発的」と表現した。
パレスチナ大統領府のナビル・アブ・ルデイネ報道官は「イスラエル人やアメリカ人ではなく、パレスチナの人々こそがエルサレムの正当な権利を有している」と述べ、国旗行進はイスラエルの挑発であり、「糾弾され、否定されるもの」とした。
報道官はさらに、米国の政権は「誰にも正当性を与えていない」と述べ、政権がイスラエルの攻撃について沈黙しているせいで、占領者がパレスチナ人に暴力をふるい続けているのだと語った。
ハマスのアブド・アル・ラティフ・アル・カヌア報道官は、過激主義のイスラエル政府が入植者にアル・アクサ・モスク突入のお墨付きを与えたと述べ、国旗行進はパレスチナ人に対する挑発だと主張した。
しかし、襲撃を繰り返したり行進したりしても「現実を変えることはできない」と報道官は述べた。
ガザ地区のパレスチナ抵抗組織は「イスラエル人は行進することでエルサレムを掌握し、主権を打ち立てようとしているが、失敗した」と述べた。
今回の行進は、1967年の東エルサレム占領の56周年の日に実施された。
東エルサレムのパレスチナ人共同体で最も有力な指導者の1人であるイマド・ムナ氏はアラブニュースに対し、「18日は東エルサレムと旧市街から業者や買い物客が消えた」と語った。
大量に投入されたイスラエル警察とパレスチナ人との暴力や衝突を恐れ、外国人ですら現場周辺に立入らなかったという。
この日は旧市街の約1500の店舗が、入植者の襲撃を避けるため営業中止を余儀なくされた。
「イスラエルの徹底的な安全対策と過激な入植者による襲撃への懸念が重なり、商業活動が麻痺しました」とムナ氏は言う。
そして、「今年パレスチナ側が行進を許容すれば、来年は、入植者が2つの門から旧市街に入る代わりに、7つの門から侵入するだろう」と語った。
東エルサレム占領から56年が経過するが、イスラエルは現地のユダヤ化やパレスチナ人の懐柔に「ひどく失敗した」とムナ氏は主張する。
「この行進の目標は何なのか、彼らは行進することで何を成し遂げたいのか? 彼らは、自分たちでもよく分からないものを証明しようとしているのです」