
モハメド・アル・スラミ
ジェッダ:サウジアラビアが誇るオリンピックの英雄タレク・ハムディ選手は、歴史を作り続けている。
先週、トルコのコンヤで開催された第5回イスラム諸国競技大会において、空手チャンピオンであるハムディ選手は組手75kg級で強豪を抑えて金メダルを獲得した。
この偉業のほぼ1年前、同選手は東京オリンピック2020で銀メダルを獲得した。この時は、イランのサジャド・ガンジザデ選手との決勝で、物議を醸した反則負けにより金メダルを逃した。
アラブニュースはハムディ選手に取材し、先日の勝利について話を聞き、キャリアを決定づけた東京での記憶に残る日々について振り返ってもらった。
タレク選手、おめでとうございます。先日の大会でのあなたの活躍について、また大会全体について聞かせてください。
ありがたいことに、トルコでのイスラム諸国競技大会では金メダルを獲得することができました。これは大きな成果であり、これまで優勝したことのなかったこの大会でサウジアラビアの国旗を掲げることができて本当に誇らしく光栄に思います。
イスラム諸国競技大会に出場したのは今回が2回目です。2017年にアゼルバイジャンのバクーでの大会に出場しましたが、成果を上げることができませんでした。だから今回は金メダルを穫ると決意していました。84kg級で何とか優勝することができ、これまで参加してきた国際大会のメダルをコンプリートすることができました。
今回の大会全体としては、特に空手に関しては非常に困難で厳しいものになりました。私たちは全重量級で合計5つの金メダルを目指していましたが、金1つと銅2つしか獲得できませんでした。チームのスルタン・アル・ザハラニ選手とサウド・アル・バシル選手のメダル獲得を祝い、ファラジ・アル・ナシリ選手とファハド・アル・ハサミ選手には今後の活躍を期待したいと思います。
私たちが成果を収められたのは、サウジ空手連盟のトレーニングキャンプの皆様や、サウジオリンピック・パラリンピック委員会の皆様の尽力やチームワークのおかげです。許されるのであれば、さらなる勝利に向けて励んでいきたいと思います。
数日前はあなたが東京オリンピックで銀メダルを獲ってから1周年の日でした。オリンピック前の準備について聞かせてください。
正直なところ、オリンピック前は神経が高ぶっていました。大会自体が理由ではなく、パリでの予選を終えた後の1週間から10日間くらいの間トレーニングをしていなかったからです。
私は不安でした。アスリートにとっては普通のことです。大きな大会が近い時は特に、トレーニングを再開したくて仕方がなくなるのです。コーチにそう言うと、彼はこう請け合いました。「心配するな。長くても3日か4日で調子が戻るから」
大会に先立って、そのコーチ(ムーニル・アフキルさん)と私はオリンピックに向けたトレーニングキャンプの計画を立てるために会っていました。私はトレーニングに全力で取り組みますとコーチに言いました。それ以外のこと、例えばエクササイズのプラン、スケジュール、対戦相手の分析などについては、コーチを信頼して任せました。
当初のスケジュールでは、毎朝2~3時間のフィジカルエクササイズを行い、その後は1日おきに、我々の対戦相手9人についてそのスタイル、長所と短所、試合プランを2時間かけて分析しました。それら全てについて対策を考えたのです。
その後、空手の稽古を2時間半~3時間行いました。正直言って、キャンプが始まった頃は疲労感を覚えていました。一生懸命トレーニングを行いながら、最後には報われるんだ、疲労も最後には自分のためになるんだと自分に言い聞かせ続けました。疲れると満足感を感じ、同時に自信が高まりました。そしてオリンピックで金メダルを穫ることに意識を集中していました。
日本に行く1週間前、コーチのムーニルさんから「金メダルが見えるよ」と言われたので、「私には以前から金メダルが見えてますし、自分の力ならそれを実現できる自信があります。コーチの言葉と信頼のおかげでその自信がさらに高まりました」と返しました。
オリンピックでの最初の試合の前日の心境は?
オリンピックでの空手の試合が始まる前日の8月6日の夜は、ほとんど眠れませんでした。2時間ほどしか眠れずとても疲れていたので、コーチには内緒でエネルギーを回復するためにコーヒーをたくさん飲みました。でも回復するどころか、試合当日には頭が痛くなりました。それに、(新型コロナ)陽性の選手と接触した疑いもありました。結局は陰性だったのですが、その状況に混乱してしまいました。他の選手から隔離されてウォームアップホールにいたのです。でも、この問題は解決し、ウォームアップエクササイズも十分にできたので自信が高まりました。
グループ試合の出だしは不調でしたが、その時はどう思いましたか?
私の第一試合はクロアチアの(イバン・クベシッチ)選手が相手でした。試合が始まった時、文字通り何が起こったか分かりませんでした。自分のアプローチに注意がおよんでいなかったのですが、1対2で負けてしまいました。状況が正確に見えていなかったのです。試合後、考え事をする私をコーチはそっとしておいてくれました。本当に疲れていましたが、「負けるためにここに来たんじゃない」と自分に言い聞かせました。
金メダルを獲って帰ると自分に誓い、この負けを次の試合ではプラスに転じました(米国のブライアン・アー選手に勝利)。
次のイランの(サジャド・ガンジザデ)選手との試合は引き分けで終わりました。カナダの(ダニエル・ゲイシンスキー)選手が負けたので私が2位でグループを通過し、準決勝で日本の(荒賀龍太郎)選手と対戦することになりました。
準決勝に進出した時、あなたとコーチのプランはどのようなものでしたか?
準決勝の前に私たちは試合プランを変更しました。各対戦相手ごとに異なるプランの作成を始めたのです。ムーニルさんは、私の武器はスピードと足なのだからそれを使えと言い続けました。メダルが確定してリラックスしているかと皆から聞かれましたが、私は「ノー」と答えました。荒賀選手との対戦時には、「夢に近づいているぞ」と自分に言い聞かせました。決勝に出ることに意識を集中し、ありがたいことにそれを実現できました。
決勝について聞かせてください。
決勝は全く違いました。私は変な状態で、とても衝動的になっていました。
試合が始まると、私はまず3点を取り、続いて1点追加し、4対0でリードしました。(ガンジザデ選手が)1点返し、4対1となりました。
その後、あの蹴りで相手選手が倒れました。失格になるなんて思いもよりませんでした。既にとても興奮していたので、落ち着かせてくれるようにコーチに合図を送っていたくらいでした。
相手選手が倒れたままなので不安になってきました。ただ、彼が担架で運ばれたあとも、自分が失格になるとは思っていなかったのです。「私が金メダルだ」と考えていましたが、審判が集まって来たので悲観的になりました。コーチのところに行くと、彼の顔にも不安の色が見えました。審判が戻っていき、私を失格にするという決定が下されました。
この決定は全くの予想外だったので、精神的に崩壊してしまいました。コーチは取り乱しました。私の母もサウジ国民もそうでした。当然ながらショックを受けた状態で会場を後にしました。コーチは私に何か言っていましたが、耳に入ってきませんでした。
泣きながら歩いていた時、スポーツ相のアブドルアジーズ・ビン・トゥルキ王子と副大臣に会いました。
アブドルアジーズ王子は私をつかまえて、こう言いました。「どうして泣いているのですか?あなたは偉業を成し遂げたのですよ。顔を上げなさい。あのメダルはあなたから奪われたものだ」
その後、ムハンマド・ビン・サルマン皇太子殿下からサプライズで電話があったそうですね。どんな言葉をかけられましたか?
私はそれでも金メダルを逃したことが悲しくて泣いていました。でもその時、アブドルアジーズ王子が私に電話を手渡して「皇太子殿下があなたとお話ししたいそうだ」と言ったのです。
何が起こっているのか理解できませんでした。電話に出ると、皇太子殿下はこう言ったのです。「あなたは英雄です。おめでとう。胸を張っていいのですよ。サウジアラビアの国旗を掲げたあなたこそが勝者であり本当は金メダリストなのですから。泣かないで」
皇太子殿下は非常に誇りに思ってくれていたのです。私が「金メダルを穫るために来たのですが…」と言うと、殿下は文字通り「あなたは金メダルを獲ったのです」と答えました。この言葉を聞いた時の私の気持ちは言い表すことができません。
しかし、ムハンマド・ビン・サルマン皇太子殿下ならこのような言葉をかけてくれるのも意外ではありません。アスリートとして、彼がこの国の指導者であることをとても幸運なことだと思っています。
失格になった瞬間は最悪でしたが、その後に起こったことは全て素晴らしいものでした。このような展開になっていなければ、私の試合のニュースはこれほど広まっていなかったかもしれませんね。
この件はまた、私や仲間のアスリートたちの責任感、期待、野心を高めました。私たちの目標は、国際大会においてサウジアラビアの国旗をさらに高く掲げることです。ムハンマド・ビン・サルマン皇太子殿下もこう言っています。「我々の野心を遮るのは空だけだ」
帰国後、皇太子殿下をお迎えしてのレセプションがありましたね。
ジェッダに着くと、素晴らしいレセプションをしていただきました。非常に特別で祝祭的なもので、思ってもないことでした。到着ホールには大勢の人が集まり、オリンピック前に発表されていたスポーツ省からの新たな賞をいただきました。
皇太子殿下にお会いできて非常に感激しました。「私たちの目にはあなたは金色に見えますよ」など、美しい言葉をたくさんいただきました。私は、与えていただいた全ての物に感謝しますと伝え、許されるのであれば全ての国際大会で金メダルを獲ってサウジアラビアの国旗を掲げることを目指し続けますと約束しました。
素晴らしいひとときでした。とても誇りに思います。
私の写真を街やポスターで見るととても嬉しいです。私の写真がリヤドのキングダムタワーに現れたこともありました。政府や国民から感謝の気持ちを受け取り、誇らしく感じます。責任重大ですが、許されるのであればその責任を引き受けたいと思います。