
デイル・アル・バラ(ガザ地区):適切な別れの場所でも時でもなかった、オマール・ディラウィ氏は話す。毛布でくるまれ、ジッパー付きの袋に入った遺体が散乱する、埃まみれのこの場所はそれにふさわしい場所ではない。
そして、3週目に入ったイスラエルの空襲が彼の周囲を破壊し、近所の街並みをかき消し、数百の家族と友人を引き裂いている今はその時ではない。
しかし10月のこの週、ガザ中心部の町ザワイデで、22歳のパレスチナ人フォトジャーナリストである彼は、前週の日曜日のイスラエルによる空襲で亡くなった親族32人を埋葬した。
ディラウィ氏のガザ市出身の叔父や叔母、従兄弟たちはイスラエル軍が出した退避命令に従い、より南方の彼の家に移っていた。数日後、ディラウィ氏はトラックの後部から彼らの遺体を下ろし、コンクリートブロックで仕切った狭い溝を掘り、夕暮れ前に簡単な葬送の祈りを捧げていた。夕刻には、イスラエル軍の戦闘機が鋭い音を立てて飛来し、皆は屋内に逃げ込んだ。
「何もかもが間違っている」とディラウィ氏はこの集団埋葬について言った。「悲しむことさえできなかった。しかし選択の余地はなかった。墓地は一杯で、スペースはなかった」
パレスチナ人は、この戦争が彼らから愛する人だけでなく、長い間参列者に耐えがたい悲しみの中で尊厳と終わりの感覚をもたらしてきた葬儀の機会も奪ったのだと言う。イスラエルの空襲により、短期間であまりに多くの犠牲者が出たために、病院や死体安置所は人々を収容しきれなくなり、通常の死の儀式は不可能なものとなった。
爆撃によって奪われた他のすべてのものに加えて、パレスチナ人たちは28日にもう一つのものを失った。携帯電話とインターネットのサービスである。何とか外部との連絡を保っている少数のガザの人々によると、住民は最早救急車を呼ぶことも、別の建物に住む大切な人が生存しているか確かめることもできない。
ガザを拠点とする保健省によると、ハマスが血なまぐさい未曽有の攻撃をイスラエルに仕掛けた10月7日以来、イスラエル軍の報復により7,700人を超えるパレスチナ人が犠牲になった。さらに同省によれば、内300人近くの身元が分かっていない。イスラエルが地上侵攻を拡大し、爆撃を激化させた28日、恐怖とパニックが広がった。
推計では1,700人ががれきの中に閉じ込められているが、イスラエルの空襲が民間防衛隊員の作業を妨げ、彼らを危険にさらしている。隊員の1人は救助活動中に犠牲になった。衛生兵が遺体を回収するのに数日かかることもある。それまでに、遺体は膨張してしまい、識別不可能なほど見た目が損なわれてしまう。
「ここでは毎日数百人が殺されている」とガザを拠点に国連パレスチナ難民救済事業機関で働くイナス・ハムダン氏は話す。「ガザにあるシステム全体が処理能力の限界を超えており、人々はどうにかやりくりして死者に対処している」
墓地が過密となり、人々は昔埋葬された遺体を掘り返して、より深い穴を掘らざるを得ない。27日の空襲でデイル・アル・バラにある4階建ての自宅が全壊して亡くなったガザのアル・アクサ大学のビラル・アル・フール教授と彼の親族25人は、遺族によってそのように埋葬された。
アル・フール教授の兄弟ヌール氏は27日、地元墓地で一族の古い区画を掘り返し、新たに亡くなった人々をそこに納めた。彼の手は墓地の土で黒くなり、彼は地面の下に運ばれる親族一人一人の名前を挙げながら息を詰まらせた。
「ビラルの息子と妻、その子供たち、別の年下の息子、そして勿論去年高校を卒業して医師になるはずだった彼の娘もそこにいる」と彼は話し、声を低めてコーランの1節を引用した。「我々はアッラーに属し、アッラーのもとに帰る」
死体安置所が収容能力の限界を超えたため、親族が引き取りに来る前に病院が遺体を埋葬せざるを得なくなっている。シファ病院のモハメド・アブー・セルミア理事長によると、墓掘り人たちはガザ市のショベルカーで掘った2つの大きな溝に数十の身元不明の遺体を並べて納めた。それぞれ63と46体の遺体が埋葬されているという。
安置所に積まれた無名の遺体となる、あるいは土の中に放り込まれるという悪夢は、ガザのパレスチナ人をますます苦しめるようになっている。
死亡した場合に身元が明らかになる確率を高めるために、パレスチナの人々はIDブレスレットを身に着けたり、マーカーで子供の腕や足に名前を書いたりするようになった。
ある場合には、遺体の腐敗が進み、親族でも確認が不可能なこともある。また別の場合には、遺体を引き取る家族が誰一人生き残っていないこともある。
「我々は作業中にそのような光景をよく目にする。ガザ市で200人が亡くなった(26日の)夜にも、子供たちの遺体には名前やIDの数字がインクで書かれていた」とパレスチナ民間防衛隊のマフムード・バサル報道官は話した。「そのようなものを見るのは、言葉にできないほどつらい」
宗教関連の問題を管轄するガザのワクフ省は現在、「殺される人々が多数に上るが利用可能なスペースは限られている」ことを理由に迅速な埋葬を促し、集団墓地を掘ることを認めている。当局によるとガザにあるすべての行政区には少なくとも2つの集団墓地があり、その一部には100人以上が埋葬されている。
人口過密のガザ中部のヌセイラト難民キャンプでは25日、イスラエルによる激しい連続空襲により、1区画(2階建て以上の建物約20があった)全体が完全に破壊され、150人が犠牲になり、さらに多くががれきの下に閉じ込められたと住民は話した。砲撃でショック状態になった生存者は死者をどうすればよいか分からないまま、ふらついた足取りで病院を出た。
「何をしようにも時間がなく、場所もどこにもない」とキャンプで暮らす52歳のハリード・アブドゥ氏は話した。「出来るのは手で大きな穴を掘ることだけだ。そして、そこに遺体を投げ入れる」
ヌセイラト難民キャンプの住民たちは26日、アル・アクサ殉教者病院の外に並べられた数十の血まみれの遺体袋の中を覗き込み、知っている顔を探したとアブドゥ氏は語った。職員が一部の袋に「身元不明」というラベルを貼り、シャベルで集団墓地に投げ込んでいた。家族は一緒に埋葬された。
眠ろうと努めていると、その夜に耳にした音が聞こえてくるとアブドゥ氏は言った。爆発の轟音と入り混じったショックを受けた人々の叫び、そして子供の泣き声だ。
しかしアブドゥ氏によると、眠りがもっとも妨げられるのは、誰も埋葬の前に遺体を洗ったり衣服を替えてやったりしなかったと考える時である。イスラムの慣習通りに愛情を込めて遺体を包む者もなく、悲しみの儀式を行う者もいなかった。
そして確実に、誰一人弔問に訪れる友人や親族に伝統の苦いコーヒーと甘いデーツを振舞うこともなかった。
「イスラム教では、3日間喪に服すが、今の状況でそれを守るのは不可能だ」とアブドゥ氏は言った。「喪が明ける前に、おそらく自分も死んでいるだろうから」
AP