
ガザ:ガザ市のアル・シファ病院では、麻酔薬がなかったために、看護師が麻酔薬なしで頭の傷を縫っている間、小さな少女は痛みに泣きながら「ママ、ママ」と叫んでいた。
それは、ガザで戦争が始まって1ヶ月が経過し、前例がないほどの負傷者の殺到と鎮痛剤不足に対処するために奮闘しているアブ・エマド・ハッサネイン看護師が思い出す最悪の瞬間の一つであった。
「(噛むことで)痛みを和らげるために、滅菌ガーゼを与えることもあります」とハッサネイン看護師は語る。
「彼らが感じる痛みは想像以上であり、彼らと同年代の子どもが耐えられる範囲を超えていることを私たちは知っています」と、頭に傷を負った少女のような子どもたちのことを指して彼は言った。
空爆による背中の傷の包帯を交換し、消毒薬を塗ってもらうためにアル・シファ病院に到着した中年男性のネメル・アブ・タイルさんは、傷口を縫合した時、痛み止めは何ももらえなかったという。
「縫合が終わるまでコーランを唱え続けました」と彼は語った。
10月7日にハマスの武装集団がガザ地区のイスラエル南部との国境フェンスを突破し、戦争が始まった。イスラエルの発表によると、ハマスが1400人を殺害し240人を拉致した、イスラエル史上最悪の大虐殺の日であったと述べている。
イスラエルは、人口密集地でありハマスが支配している飛び地に対して空爆、海上攻撃、地上攻撃で応戦し、ガザの保健当局によれば、10,800人以上のパレスチナ人が死亡したという。
アル・シファ病院のモハマド・アブ・セルメイヤ院長は、非常に多くの負傷者が同時に運び込まれた際、十分な鎮痛剤なしで、床の上で処置をするしかなかったと語った。
10月17日に起こったアル・アハリ・アラブ病院爆破事件の直後を例に挙げ、手術室が12室しかないアル・シファ病院に250人もの負傷者が搬送されてきたと語った。
「一人ずつ手術するのを待っていたら、多くの負傷者の命が失われていたでしょう」とアブ・セルメイヤ医師は語る。
「命を救うために、私たちは床の上で、麻酔なし、あるいは簡単な麻酔や弱い鎮痛剤を使って手術せざるを得なかったのです」と彼は語った。
アブ・セルメイヤ医師は詳細への言及を避けつつ、このような状況下でアル・シファ病院のスタッフが行った処置には、四肢や指の切断、重傷の縫合、重度の火傷の治療などが含まれると述べた。
苦痛か死か
「医療チームにとって辛いことです。単純なことではありません。患者が苦痛を味わうか、命を失うかです」と彼は言う。
イスラエルは、アル・アハリ・アラブ病院での爆発は、パレスチナ過激派組織「イスラム聖戦」によるロケット弾の誤爆によるものだと発表した。イスラム聖戦とハマスはイスラエルの空爆であるとして非難した。
イスラエルの同盟国であるアメリカは、独自の情報分析により、イスラエルの説明を支持すると述べた。
ガザ地区南部のカーン・ユーニスにあるナセル病院では、院長のモハマド・ザクアウト医師が、戦争の初期には、援助トラックがガザに入れるようになるまで、麻酔薬が完全になくなった時期があったと述べた。
「女性の帝王切開を含め、一部の処置は麻酔なしで行われました。火傷の手術も同じようにせざるを得ませんでした」とザクアウト医師は語った。
彼は、医療スタッフは他の弱い薬で患者の痛みを和らげようと最善を尽くしたが不十分だったと述べた。
「手術室内の、我々が全身麻酔で手術したい患者にとって、これは理想的な対処法ではありません」と彼は語った。
戦争の開始から12日間、ガザへの援助は一切許可されなかった。10月21日、エジプトとの国境にあるラファ検問所から、援助トラックの最初の車列がガザに入った。それ以来、数組の車列がガザに入ったが、国連や国際援助団体は、人道的な危機を軽減するために必要な規模の援助にはほど遠いと述べている。
ザクアウト医師は、自分の病院では援助物資のおかげで麻酔薬の不足は緩和されたが、激しい爆撃に見舞われているガザ北部に位置するアル・シファ病院とインドネシア病院では、未だ深刻な不足が続いていると付け加えた。
ロイター