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戦争が続き苦境にあえぐ、戦争孤児となったガザ地区の子どもたち

2024年1月30日、ガザ地区南部のラファでデモのために集まり、UNRWAへの国際支援の継続を求めるパレスチナ人の男性と子どもたち。(ファイル / AFP)
2024年1月30日、ガザ地区南部のラファでデモのために集まり、UNRWAへの国際支援の継続を求めるパレスチナ人の男性と子どもたち。(ファイル / AFP)
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01 Feb 2024 05:02:49 GMT9
01 Feb 2024 05:02:49 GMT9
  • 家族全員がほぼ皆殺しに遭っているガザ地区では、医療関係者や救助隊員が、あとに残された子どもたちの世話人探しに苦労している

アラブニュース

ロンドン:イスラエルによる戦争の恐怖がガザ地区で渦巻くさなか、攻撃を受けている際に生まれた生後1か月の女の子が保育器の中でひとり横たわっている。

この女の子の母親ハンナさんは、イスラエルの空爆を受け、帝王切開で出産はできたものの、我が子を抱くことなく亡くなった。

「私たちはこの女の子を単にハンナ・アブ・アムシャの女児と呼んでいます」と、アル・アクサ病院でこの新生児の世話をする看護師のワルダ・アル・アワウダさんはBBCに語った。

ガザ地区の人口230万人のほぼ半数を占める子どもたちは、残忍な戦争によって人生を破壊されているとBBCは報じた。

民間人の死傷者が出ることは避けるというイスラエルの主張にもかかわらず、パレスチナ保健当局によると、1万1,500人以上の子どもたちが殺害されている。さらに多くの子どもたちが重傷を負い、人生を一変させるほどの怪我を負った子どもたちも多い。

家族全員がほぼ皆殺しに遭っているガザ地区では、医療関係者や救助隊員が、あとに残された子どもたちの世話人探しに苦労している。

「女の子の家族と連絡が取れなくなっています。親戚は誰も現れず、彼女の父親に何が起こったのか分かりません」とアル・アワウダさんはいう。

欧州地中海人権モニターの報告書によると、24,000人を超える子どもたちが片親または両親を亡くしている。

この数字の多さは、ミサイル攻撃で脚と腹に重傷を負い、母親、祖父、妹を亡くした10歳のイブラヒム・アブ・モス君の話などからも明らかだ。

「病院の人たちは、病院の上の階で家族が治療を受けていると僕に言い続けました」とイブラヒム君はBBCに語った。父親はイブラヒム君の手をしっかりと握っていた。

「でも、お父さんの携帯電話にある写真を見て本当のことを知りました。泣きすぎて全身が苦しくなりました。」

フセイン家の従兄弟たちはかつて一緒に遊んでいたが、今はガザ地区中心部にある避難所と化した学校近くの砂地の墓の横に静かに座っている。墓には彼らの親戚が複数眠っている。従兄弟たちはそれぞれ、片親もしくは両親の喪失に耐えている。

アル・ブレイジ難民キャンプで暮らしていたアベド・フセイン君は、「ミサイルが母の膝の上に落ち、母の体はバラバラに引き裂かれました。僕たちは何日もの間、家の瓦礫の中からバラバラになった母の体を回収していました」と語った。

そして、「兄弟、叔父、そして家族全員が殺されたと聞かされたとき、とてつもなく心が苦しくなりました」と付け加えた。

トラウマのせいで彼は眠れなくなり、記憶と今も続く砲撃に悩まされている。

「母と父が生きていたときは眠れていましたが、2人が亡くなってから眠ることができなくなりました。以前は父の隣で寝ていました」と彼は説明した。

現在祖母の世話になっているアベド君と生き残った2人の兄弟の生活は、たいへん厳しい状況となっている。

「食べ物も水もありません。海水を飲んでお腹が痛くなっています」と彼は話した。

同じように、キンザ・フセインさんも、パン用の小麦粉を手に入れようとしていた父親をミサイル攻撃で亡くし、悲しみに暮れている。埋葬のために戻された父親の息絶えた遺体の悲惨な光景が、彼女を苦しめている。

「父には目がなく、舌も切られていました」と彼女は思い出す。

そして、「私たちが望んでいるのは戦争が終わることだけです。何もかもが嘆かわしいです」と語った。

現在、ガザ地区のほぼ全員が、生活の基本物資を援助の配給に頼っている。

国連の報告書によると、ガザ地区では約170万人のパレスチナ人が避難しており、その多くが絶えず安全な場所を探し求めている。

一方で、国連児童基金(ユニセフ)は、孤児となった、あるいは孤立している約19,000人の子どもたちの窮状を浮き彫りにしている。

ユニセフ・パレスチナのジョナサン・クリックス広報責任者はBBCに対し、「これら子どもたちの多くは瓦礫の下で発見されたり、自宅への爆撃で両親を失ったりしている」と語った。イスラエルの検問所や病院、路上で見つかった子どもたちもいる。

「最も年少の子どもたちは自分の名前を言えないことが多く、年長の子どもたちもショック状態にあることが多いため、彼らの身元を特定して親戚に引き渡すことが非常に困難になる可能性があります。」

たとえ親戚が見つかったとしても、孤児となった子どもたちの世話をするのに十分な環境にあるとは限らない。

親戚が見つかったとしても、それぞれが困難な状況にあるため、これらの子どもたちの世話に苦労することがよくある。「SOS子供の村」はユニセフと協力し、そのような10歳未満の子ども55人の世話に介入し、心理面での支援を提供している。印象深い事例の1つは、不安障害の一種である場面緘黙症の4歳の女の子で、彼女は話をすることができなくなっていたが、ケアの甲斐あって現在はゆっくりと回復している。

戦争が始まってから、現地でユニセフと協力している非営利団体「SOS子供の村」は、こうした子どもたち55人の世話に取り組んでおり、子どもたち全員が10歳未満であると述べた。また、心理面での支援を提供するために、ラファで専任スタッフを追加雇用したという。

SOSのシニアスタッフが、検問所に置き去りにされた4歳児のことを話してくれた。この女の子を迎え入れたとき、彼女は不安障害の一種である場面緘黙症で、自分や家族に何が起こったのかを話すことができなかったが、プレゼントで歓迎され、一緒に暮らす他の子どもたちと遊ぶようになって、今では快方に向かっている。

ユニセフは、ガザ地区のほぼすべての子どもたちが、メンタルヘルスのサポートを必要としていると見積もる。永続的な停戦になったとしても、受けた深い傷痕と喪失感は、生活を再建するうえで問題となってくるだろう。

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