
エルサレム:ガザ南部のテントに座り、パレスチナの料理ブロガー、ハマダ・シャクーラさんは、豆の缶詰や缶詰の肉を眺めながら、故郷を思い起こさせるような何かを切望している。
戦争が始まり、家が破壊され、家族が3度も根こそぎ奪われる前、32歳の彼はガザ市の話題でバーガー、ピザ、ヌードル・スポットをレビューするユーチューバーだった。
戦時配給の食材で快適な食事への渇望を満たすため、彼は食糧援助物資と手に入る新鮮な野菜を使って独学で料理を学んだ。
「何カ月も食べ続けてきた缶詰を何か新しいものに変えて、子どもたちのためにおいしい料理を作ろうと思いついたんです」と、彼はハーン・ユーニスからのビデオ通話でAFPに語っている。
シャクーラさんの料理には、ビーフタコス・ガザスタイル、ピザ包み、揚げたゴールデンサンドイッチなどがあり、彼は調理する様子を撮影し、テントキャンプのお腹を空かせた子どもたちに提供している。
「フェットチーネ・クレープ」(リンゴとチョコレートソースを混ぜた短冊状の揚げ生地)をかじった男の子は、ビデオの中で「ザキー(おいしい)!」とほほえんだ。
インターネットが不自由であるにもかかわらず、シャクーラさんは紛争とは異なる側面から、戦争で荒廃したガザの瓦礫の中で、彼が「回復力と粘り強さ」と呼ぶものを記録している。
彼はネット上ではハマダ・シュウとして知られ、彼のブログはインスタグラムの50万人近いフォロワーとファンからの人気と寄付を集めている。
「一人でも多くの人に食べ物を与えたい」と彼は言う。
空の鍋やボウルを持った裸足の子供たちがハーン・ユーニスの廃墟を駆け、彼のテントまでやってくる。
国連は公式にガザの飢饉を宣言していないが、専門家によれば、イスラエルに包囲されたガザでは飢餓が蔓延しており、人口240万人の手元にはほとんど食糧援助が届いていない。
ハマスが10月7日にイスラエル南部を攻撃して以来、30人以上のパレスチナ人が栄養失調で死亡している。パレスチナ人はAFPに対し、食事を抜くことを余儀なくされ、生き延びるために子どものために雑草をゆでなければならないと語っている。
3月にガザ北部から逃れてきたシャクーラさんは、ガザ南部ではほとんど食べるものがないと言う。
彼は、子どもたちに食事を与える手助けをする決意を固めたと言う。「それが僕のモチベーションなのです」
戦争が勃発したときは結婚したばかりで、食品業界で働こうと計画していたシャクーラさんは、ガザに何人かいたのフードブロガーだった。
彼曰く、目標は、苦境にあえぐガザ住民に食を通じて「尊厳と解放感」を提供することであり、単なる慰めではない。
人々が共感できる料理を作ることは、「長年人間性を剥奪しようとする残忍な占領に直面しながらも、人間であり続け、尊厳を保つための日々の闘い」の一部なのだ、とライラ・エル・ハダドさんは言う。
ガザは、20年にわたるイスラエルの封鎖と包囲にをくぐり抜けてきた革新の精神によって、「独特の」料理を発展させた、と食の専門家は言う。
シャクーラさんは、ガザを圧倒する窮乏と悲しみへの解毒剤として「皿の上の希望」を提供すると言う。
イード・アル・アドハーの祝祭日には、子どもたちにドーナツを用意し、「祝うに値する何かがあるのだ」と感じてもらえるようにした。
暑い日には、爽やかなレモングラニタを子どもたちに提供する。
彼のビデオは、ガザの人々が “粘り強く、強い “ことを世界に示すためのものだという。
「私たちは存在し続けるためにベストを尽くす」
AFP