

ハゼム・バルーシャ
ガザ市:サード・アル・ファラ氏は、2005年にイスラエルがガザ地区から撤退したとき喜んだ数千人のパレスチナ人の1人だったが、今は悲観的でいらだっているように見える。
「占領(の終了)に代わって、分裂、汚職、貧困、失業が生じるとは思わなかった」と、グシュ・カティフにあったイスラエル人入植地に隣接する、家族所有の土地で農業をしていたアル・ファラ氏はアラブニュースに語った。
ガザに住むパレスチナ人の大半は、2005年8月15日、イスラエルが38年間の占領を終え約360平方キロメートルの小さな沿岸地域で「一方的分離計画」を実施し始めたとき、自分たちの生活は改善されると信じていた。イスラエルは、ガザ地区の約35%を占めていた約6,000人の入植者が居住する21の入植地を撤収した。
しかしその後ガザ住民の生活の質が低下すると、アル・ファラ氏および他の多くの人々の楽観的な考えは不満へと変わった。
「占領は誰も好みません。とはいえ、私たちの現実はイスラエルの撤退前よりも悪化しています。あれ以来、私たちは何をしたというのでしょう?」怒りをあらわにして、同氏は尋ねた。「互いに争い、分裂し、ばらばらになり、若者たちは散り散りになって移住しました。その多くはガザから逃れ(ようとして)、海で死にました。」
さらにこう続けた。「占領から解放されたと思っていましたが、陸・海・空から包囲されたままであり、内部の分裂と意見の食い違いにより包囲され続けているということに気づいていませんでした。生活のあらゆる面で、何もかもが悪化しています。仕事も電気もありません。」
イスラエルが2007年半ばに封鎖を強化して以来、ハマスがその地区を掌握し、ガザは緊迫した電力危機と、前例のないほどの貧困と失業の増加にさらされている。
「イスラエルは依然として生活のすべての面を支配しており、実際には撤退していません」とガザのアル・アズハル大学で経済学を教えるサミール・アブ・ムダララ教授は語り、イスラエルはガザから入植者たちを退去させたとはいえ、同地域の住民たちに対する支配は「ガザ住民の息を数えられる」ほどである、と付け加えた。
イスラエルによる封鎖、航海と商的流通の制御、およびガザからの輸出大部分と原材料を含む多くの輸入の禁止のため、経済状況は劇的に悪化しており、多くの住民を絶望に陥れている、とアブ・ムダララ教授はほのめかした。
政治学を教えるムクハイマー・アブ・サーダ教授は、独立し相互につながったパレスチナ国家の樹立を阻止する方法としてこの撤退をたくらんだ、イスラエルの国家安全保障担当者によるガザ撤退中の古い声明を参照し、悲惨な現状はイスラエルがすべて意図したものであることを示した。
「イスラエルはガザ地区の植民地を撤収しましたが、他のあらゆる手段を妨害することでガザ地区を壊滅させています」とアブ・サーダ教授は述べた。
とはいえ、同教授はパレスチナ全体の現状についてイスラエルのみを非難しているわけではない。アル・ファラ氏と同様に、一致団結して戦うことに失敗したパレスチナの指導者たちがもたらした被害を強調する。
「イスラエルのガザ撤退にもっとましな方法で対処できたはずでした」と同教授は言った。「だが、パレスチナ人のしたことはまったく逆でした。内戦に明け暮れたのです。」
政治アナリストのハニ・ハビブ氏は、イスラエルのガザ撤退、またそれより前の90年代初頭に成立したオスロ合意がパレスチナ人にチャンスを与えたことに同意した。「パレスチナ人は自治ができるのでしょうか?」
ハビブ氏はアラブニュースにこう語った。「ガザの統治を最大の証拠として、私たちは自治管理において無能であることを世界に露呈しました。」
ハマスに属する国会議員アテフ・アドワン氏は、パレスチナ人がイスラエルのガザ撤退を政治的には最大限に活用できなかったことを認めたが、同氏が「たるんだ」と表現したアラブ地域の現実に加え、イスラエルに対し今も続く国際的偏見がその失敗の一因であると述べた。
しかし、アドワン氏は撤退後にいくつかの良い成果が達成されたと主張した。具体的には、かつてイスラエル人が入植していた土地での農業プロジェクトのおかげで「耐性を獲得し」、「一部の作物において自給自足」を達成した。