
ガザ―モホメド・アリワさんが、松葉杖を使ってコンクリートの厚板から厚板へと飛び回っている。彼は片脚を失っても、パルクールを止めないと決めた。このスポーツが、ガザ地区の惨たらしい現実をしばし忘れさせてくれるからだ。
10代のパレスチナ人であるアリワさんは、2018年、イスラエル軍の発砲により負傷し、膝関節から下を切断した。ガザとイスラエルを隔てる要塞化した国境付近で行われた、パレスチナ人の抗議行動の際に起こった出来事だった。
彼はこのとき、片脚とともに、パルクールのプロ選手になる夢も失った、と話した。
しかし、障害物から障害物へと飛び回る友人たちを見ているうち、今では時に義肢を使うこともある18歳の彼は、決心した。障害があっても、自らの歩みを止めるべきではないと。
「僕は友人たちに、歩くのを手伝ってくれるように頼みました。すると少しずつ動けるようになり、ほとんど彼ら同様に飛べるようになりました」。週に最低1度は通っているリハビリセンターで、彼はこう話した。
パルクールはフリーランニングとしても知られるエクストリームスポーツで、1990年代にフランスで誕生した。
ジャンプ、跳躍、ランニングや回転技を駆使しながら、都会の障害物の間を動き回るスポーツだ。
「ときどき、苛立ちを覚えます」とアリワさんは言う。「でも、自分自身にこう話しかけたんです。もしこの技を(再び)やれたら、僕の人生におけるほかのすべてのことが、簡単になるんじゃないかって」。
彼は、このスポーツが“信じられないほどのエネルギー”を与えてくれると話した。
ガザ地区では、若者たちが何年もの間、パルクールの練習に励んできた。彼らは、イスラエルと、2007年から同地区を支配するハマースとの間で行われた3回の戦争によって破壊された同地区の廃墟から廃墟へと跳ね回っている。
とはいえ、このスポーツでは、最も簡単なジャンプでさえ危険を伴う。そんな理由から、ジハード・アブ・スルタンさん(32歳)は、フランスのスポーツ用品大手デカトロンの支援を受け、彼が言うところの“パレスチナ自治区における最初のパルクール専門学校”を創設した。
「私は、2005年にパルクールを始めました」。アブ・スルタンさんは、ガザ市近くのアルシャティ難民キャンプにある自分のクラブでこう話した。
「当時、私たちはパルクールの専用スペースを持っていませんでした。皆、共同墓地や、イスラエルに破壊されたビルの廃墟でトレーニングに励んでいました」
アブ・スルタンさんが言うには、彼がこのクラブを設立するために仲間の愛好家とともにこの地にやって来た2ヵ月前までは、皆その場しのぎでパルクールを練習していた。彼らはこのクラブを“ウォールランナーズ”(壁を走るランナーたち)と称している。クラブでは、「街中の危険とはほど遠い、安全な方法で」パルクールを教えている、と彼は話した。
ささやかな予算で運営されているクラブではあるが、70人の会員を抱えている。その中には7人の少女もいる。彼女たちは、木製ブロックの間を飛び回り、宙返りや、平行棒の上でスイングする技もできる。
地面にはゴム製マットが敷かれ、落下の衝撃をやわらげている。ガザ地区はここ10年以上、イスラエルに封鎖されてきた。世界銀行によると、失業率は全体で約50%で、若年層では65%に跳ね上がる。
一部の人々にとっては、パルクールは、憂鬱な日常に差す一筋の光になっているのだ。
「雇用不安が常態化しているパレスチナの若年層にとって、パルクールは、自己表現や現実逃避、そして生き方の一つになってきたのです」。ウォールランナーズのウェブサイトには、英語でこう記されている。
AFP