
アルジェ:アルジェリアは5月8日、1945年にフランス軍によって殺害された数千人の犠牲者を追悼し、フランス政府が植民地時代の犯罪を謝罪するのを待っている。
1945年5月8日、ナチス・ドイツに対する連合軍の勝利を記念する集会が行われた後、独立を求める抗議行動が勃発した。
この暴動は、2週間にわたる血なまぐさい弾圧の引き金となり、フランス軍はほとんどが非武装のイスラム教徒の市民を数千人も虐殺し、アルジェリアの長期にわたる独立闘争の重要な出来事となった。
5月8日、数千人もの人々が、76年前の5月8日の集会と同じルートで北東部の都市セティフを通る追悼の行進に参加した、と公式メディアが報じた。
先導役に導かれ、参加者たちは1945年に暴力の最初の犠牲者となったボージド・サールの記念碑に花輪を捧げた。彼は22歳の男性で、アルジェリア国旗の降納を拒否したとしてフランスの警察官に射殺された。
アルジェリアの公式数字によると、フランスのレイモンド・デュバル将軍が行った弾圧は、45,000人もの死者を出した。
フランスの歴史家は、ヨーロッパの民間人86人と報復による攻撃で死亡した兵士16人を含め、犠牲者は2万人に上るとしている。
この殺害事件は生まれたばかりの反植民地運動に大きな影響を与え、9年後の本格的な独立戦争の土台となり、最終的に1962年の独立につながった。
アルジェリア当局は、植民地時代の政策についてフランスに全面的な謝罪を求め続けており、アブデルマジド・テブン大統領は、1945年の殺害を「人道に対する罪」 と表現した。
同政府のアンマー・ベルヒマー報道官は5月8日にこの要求を繰り返し、「フランスがこの犯罪を公式に、決定的に、全面的に認め、反省し公正な補償を行うこと」を求めた。
同氏はまた、1960年代にフランスがアルジェリアの砂漠で行った17回の核実験によって残された有毒廃棄物の処理を支援するよう求めた。
AFP通信