Since 1975
日本語で読むアラビアのニュース
  • facebook
  • twitter
  • Home
  • 中東
  • ムスタファ・アル・カディミ首相の国民統合への願いが、イラク建国100周年式典に響く

ムスタファ・アル・カディミ首相の国民統合への願いが、イラク建国100周年式典に響く

「今から100年前までイラクが国家ではなかったということではありません。この、イラク人が踏みしめる大地に、人類に知られている最初の国家があったのです」とイラクの首相は2021年12月11日に語った。(Twitter)
「今から100年前までイラクが国家ではなかったということではありません。この、イラク人が踏みしめる大地に、人類に知られている最初の国家があったのです」とイラクの首相は2021年12月11日に語った。(Twitter)
近代イラクの100周年記念式典。(Twitter)
近代イラクの100周年記念式典。(Twitter)
イラクのムスタファ・アル・カディミ首相が、近代イラク国家の建国100周年を記念する式典で、軍人たちと面会。(提供)
イラクのムスタファ・アル・カディミ首相が、近代イラク国家の建国100周年を記念する式典で、軍人たちと面会。(提供)
近代イラク建国100周年記念式典の様子。(Twitter)
近代イラク建国100周年記念式典の様子。(Twitter)
Short Url:
14 Dec 2021 05:12:31 GMT9
14 Dec 2021 05:12:31 GMT9

アラブニュース

  • 現代イラクの成立は1921年だが、メソポタミア文明発祥は何千年も前に遡る
  • 1958年のクーデターで王族が殺害されて以来、イラクは60年に及ぶ激動の時代を過ごしてきた

ドバイ:イラクは、近代国家として成立するちょうど100年前の遥か以前、文明発祥の地であったと、同国のムスタファ・アル・カディミ首相が土曜日に行った建国100周年記念講演で述べた。

カディミ首相は、テレビ放送されたメッセージの中で、この特別な日は、自国を客観的に見て、その成果を誇りに思うと同時に、過ちを認めるための理想的な機会でもあると述べた。

現在のイラクの国家は、1921年のカイロ会議でイギリスが正式に設立したものだが「100年前にイラクが国ではなかったということではありません」と首相は語った。

1925年撮影。バグダッドの街中を進む馬車鉄道。(AFP)

「イラク人が踏みしめるこの大地は、人類が知る最初の国家であり、人々の生活を律する最初の法であり、人々を守ることを使命とする最初の警察官であり、国境を防衛し、自らを犠牲にする最初の軍人でありました」

「ここは、皆様の両親や祖先の魂が守ってきた土地です。権利や財産、取引を守るための最初の経済組織があり、人権侵害者に対する最初の処罰が存在しました」

「詩、芸術、文化が始まり、数学の基盤が築かれ、啓示と予言が誕生した土地なのです」

1953年5月5日、バグダッドの国会前で、18歳で宣誓する若きイラク国王ファイサル2世。(INTERCONTINENTAL/AFP)

人類が農業や天文学など様々な分野において、初期の段階で成し遂げたことの多くは、5千年以上前に2つの川に挟まれた土地、古代メソポタミアで栄えた文明に負うところが大きいといえるだろう。

アッカド人、アッシリア人から初期のイスラム文明に至るまで、この地域に住んでいた人々は、世界で初めて知られている政府機関、文字や数字のシステム、そして壮大な文学作品の多くを生み出した。

カディミ首相は100周年記念講演で、この遺産を認識し、後世に伝え、目的のために歴史を操作しようとする者から守ることは、政治的立場を問わず、すべてのイラク人の責任であると述べた。

「今こそ自国を客観的に見て、その成果を誇りに思い、そして過ちを認めるべき時であります。そして、成功したすべての国と肩を並べるために、我々の遺産と国民の能力を武器にして、前進するのです」

イラク首相のメディアオフィスによると、サウジアラビアのムハンマド・ビン・サルマン皇太子が日曜日にカディミ首相と電話で話したのをはじめ、アラブの指導者たちがイラク国民に記念日を祝うメッセージを送ったという。

エジプトのアブドゥルファッターハ・エルシーシ大統領はその祝賀メッセージの中で、建国100周年はアラブ世界が共有する歴史の中で重要な瞬間であると述べている。


1957年の写真には、レバノンを訪問したイラク国王ファイサル2世(中央)とレバノンのカミーユ・シャムーン大統領(右)、ファイサル王の叔父であるアブドゥル・イラーフ氏が写っている。アブドゥル・イラーフ氏は、ファイサル王の父ガージ王が1938年4月6日に死去した際、王位の摂政となった。(AFP)

「歴史の深みに根ざした古代文明の延長線上にイラク国家の建設を開始した1921年のカイロ会議から100年が経過しました」

「この100年の間には、イラク、アラブ諸国、そして全世界の道のりに多くの節目がありました。私自身、そしてエジプト国民を代表して、兄弟国であるイラクのこの貴重な機会を祝福し、その偉大で高潔な国民の平和、安全、安定を願うとともに、イラクが常にアラブ国家の財産であり続けることを願っています」

イラク王国は、第一次世界大戦後に設立されたイギリス委任統治領から独立した後、1932年にサウジアラビア出身のハシミテ家ファイサル1世のもとで建国された。

彼はイギリスが課した立憲君主制の下、同国を12年間統治したが、48歳の時に心臓発作で死去。ファイサル氏の息子であるガージー1世が王位に就いたが、6年後にバグダッドで交通事故により死亡した。そのため、まだ3歳だったファイサル2世の王位は、叔父であるアブドゥル皇太子の摂政の下で始まったのである。

高い知性を持ち、豊富な天然資源に恵まれた国を率いるファイサル2世は、1953年に18歳で即位したとき、父と祖父が築いた基盤をさらに発展させる運命にあるように見えた。当時のイラクは石油収入が流入し、急速な工業化が進み、繁栄していた。

しかし、やがてその流れに暗雲が立ち込める。ファイサル2世が継続していた英国との緊密な関係が、イラク国内から向けられた敵意の対象となり、1956年のスエズ危機でさらに悪化したのである。

イラクの指導者サダム・フセイン(左から2人目)、フランスのイボン・ブルジュ国防相(同3人目)、ベルナデット・シラク首相夫人(同4人目)、レ・ボー・ド・プロヴァンスのトゥイリエ市長(左)。1975年9月7日、フランス南部のレ・ボー・ド・プロヴァンスで行われたイラクの指導者を称える自治体主催の闘牛を観戦、拍手をしている。(AFP)

1958年7月13日、レバノンの危機を鎮めるために陸軍の2個旅団がヨルダンに出動することになったとき、そのうちの1個旅団を率いていた不満分子のアブドル・カリーム・カーシム准将は、これを反乱の好機と見て、バグダッドのカスル・アル・リハブ宮殿に兵を送った。翌日の早朝には、戦車で王宮を包囲して銃撃戦を展開したのである。

午前8時過ぎ、ファイサル2世、叔父である皇太子をはじめとする王族とその従者は、裏口からの退去を命じられ、殺害された。

多くのイラク人は、これが国家の破滅的な下り坂の始まりだったと今でも信じている。立憲君主制は、40年に満たない期間ではあったが、イラクの歴史の中では黄金期であったと多くの人が考えている。国王が処刑された後同国は混乱した共和制へと移行、最終的にはサダム・フセインによる残忍な独裁政治が行われることになったのである。

1958年7月14日、クーデターでファイサル2世を倒したイラク大統領アブドル・カリーム・カーシム氏の写真(撮影日は不明)。カーシム氏自身も1963年2月8日にクーデターで退位し、翌日には処刑された。(AFP)

クーデターから60年以上が経過し、イラクは再び自らを再定義し、国家主権を再び主張している。12月9日木曜日、イラク政府は、米国がイラクでの戦闘任務を正式に終了し、残存するすべての部隊を訓練とサポートとしての役割に再配置したことを発表した。米軍は、2014年夏にイラク北西部と隣国シリアに領土を広げた過激派組織「ダーイシュ」との戦闘を支援するため、バグダッド政府の招きに応じてイラクに戻っていた。

イラクにおける外国軍の継続的な駐留は、長い間バグダッドにおける政治的な不一致の原因となっており、多くの民族主義者や親イラン派は完全な撤退を要求している。

「数日後には、米国側との戦略的合意の範囲内で、国際連合のすべての戦闘部隊がイラクから撤退するのを目撃することになるでしょう。彼らの役割は、イラクの安全、国民生活の安定、その継続的な発展のための、あらゆる分野におけるイラク軍の能力を示すものとして、サポートやアドバイザーの立場となるでしょう」とカディミ首相は述べている。

しかし、100周年記念の演説の最大のテーマは、すべてのイラク人に、国の共通利益のために、何が彼らを分断しているかではなく、何が彼らを結びつけているかを認識するよう訴えたことであった。

1976年、バグダッドで当時のサダム・フセイン副大統領と一緒に座っているアフマド・ハサン・アル・バクル前大統領(右)の写真。アル・バクル氏は1968年7月にアブドゥル・ラフマーン・アーリフ大統領の失脚を受けて政権を握り、1979年7月に健康上の理由で退陣した。(AFP)

「政治的な挑戦と努力により、先の選挙が整理されたことで、誰もが安心していられるはずです。私たちは皆さんの安全、生活の安定が脅かされることを許しません」と首相は述べた。

「政治勢力、新しい潮流、独立した人々やエリートは、その立場の違いに関わらず、すべてがこの国の息子たちであり、この国とその安全に強い関心を持っています」

「考え方や方向性の違いなどは『イラクは我々の傘であり、故郷であり、その将来に手を出すことは許されない』という誰もが持つ信念の前では消えてしまうでしょう」と付け加えた。

「ここはイラクであり、あなたのイラクであり、全人類のイラクです。それを守り、受け継ぐことが私たちの義務なのです」

特に人気
オススメ

return to top

<