
エジプト、カイロ:メッカのグランドモスク、カーバ神殿に祖父の作品が飾られてから1世紀後、アーメド・オスマン氏はシーリングファンの回転音を聞きながら、黒い布に金糸を織り込み、コーランの詩を表現している。
金色の模様が刺繍された巨大な黒い絹織物であるキスワを、グランドモスクの中心である立方体の建造物に掛ける儀式は、今週から始まるハッジ(大巡礼)の年次巡礼の始まりを象徴している。
オスマン一家はかつて、メッカで使用される本物のキスワを制作する名誉にあずかっていた。
オスマン一家が作ったキスワは、ラクダに載せられてサウジアラビア西部にあるイスラム教の聖地へと運ばれる。そこは、世界中のイスラム教徒が祈りを捧げる場所である。
オスマン氏は現在、カイロ中心部にある迷路のようなカン・アル・ハリーリ・バザールにある小さな工房で、その伝統を守り続けている。
この地域は歴史的にエジプトの伝統的な手工芸品の産地であるが、職人たちは大きな困難に直面している。
エジプトは経済危機と通貨の切り下げに直面している。そして、ほとんどが輸入品である材料の価格も高騰しているのだ。
購買力の低下により、高級な手工芸品は一般のエジプト人には手が届かなくなっている。若者がより有利な仕事に就くため、職人もその技術を継承することが難しくなっている。
オスマン氏は、工房を埋め尽くすタペストリーの前でため息をつきながら、「工芸品が良い価格で売れれば、こんなことにはならないのだが」と言う。
黒や茶色のフェルトには、銀や金で繊細に刺繍された詩や祈りが描かれている。
1924年、オスマン氏の祖父が託された「聖なる儀式」が、一針一針に刻み込まれているのだ。
「10人の職人が丸1年」かけて、巡礼者が回るカーバを覆うキスワを銀糸で縫い上げるという、長く、愛にあふれた仕事である。
13世紀以降、エジプトの職人が巨大な布を分割して製作し、当局が盛大な式典に伴なうためメッカに運んだ。
エジプト人がバルコニーから薔薇水を撒きながら、衛兵や聖職者が脇を固め、街を練り歩き、祝祭が行われた。
オスマン氏の祖父であるオスマン・アブデルハミド氏は、1926年に完全なエジプト製のキスワ制作を監修した最後の一人であった。
1927年以降、生産はサウジアラビア王国のメッカに移り始めた。1962年にはメッカがキスワの生産を完全に引き継ぐことになる。
オスマン一家はその後、ナセル元大統領やサダト元大統領など、エジプト国内外の要人に軍服の刺繍を施した。
「軍服の刺繍に加え、父はタペストリーにコーランの詩を刺繍するようになった」そして、キスワの細部にわたるまで、その全てを再現するようになった。
そして、「細部まで正確に再現したキスワ」の依頼が殺到するようになった。
現在、彼らは小さなタブローを100エジプトポンド(約5ドル)から提供しているが、カスタマイズされた大規模な作品のオーダーは数千ドルにもなる。例えば、オスマン氏は、メッカにあるオリジナルと区別がつかないと胸を張るカーバの扉のレプリカを制作した。
しかし、エジプトで中小企業や職人の仕事に大きなダメージを与えた新型コロナウイルスのパンデミックから始まった経済の激動に、一家もまた無縁ではいられなかった。
以前は1日に少なくとも1枚が売れていたタペストリーが、2020年初頭から「月に2枚」程度しか売れなくなってしまったのだ。
オスマン氏は、「世界的な緊縮財政」によって、ビジネスが立ち直る可能性は低いと懸念している。
現在、彼が本物と認める職人は10数人しかおらず、多くの職人が手っ取り早いキャッシュフローを求めて職を離れている。
「トゥクトゥクやミニバスを運転すれば、1日200〜300ポンド(10〜16ドル)は稼げる」とオスマン氏は言う。「彼らも一日中、腰を痛めながら機織り機の前に座るようなことは選ばないだろう」
しかし、祖父がトルコからエジプトに渡ってから1世紀半となる現在、オスマン氏は、子どもの頃学校を抜け出して父親の仕事を見に行き学んだ技術を守り続けてきたと言う。
「私たちは、自分たちが学んだのと同じように、技術を守っていかなければならない。それが、受け継いだ伝統を忠実に継承するということだ」と彼は述べた。
AFP