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二国家解決は死んだ、そして代替案は存在しない

国連による分割計画は、歴史的パレスチナの約40%をパレスチナ人に与えるものだった。(AFP)
国連による分割計画は、歴史的パレスチナの約40%をパレスチナ人に与えるものだった。(AFP)
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21 Dec 2023 12:12:27 GMT9
21 Dec 2023 12:12:27 GMT9

1947年の国連によるイギリス委任統治領パレスチナに対する分割決議以降で、今年は恐らく二国家解決にとって最悪の年だろう。また、2023年は30年前のオスロ合意調印以来、パレスチナ独立国家の実現にとっても最悪の年だと付け加えることができる。イスラエルが2か月間続けているガザでの戦争に終わりが見えず、入植者のパレスチナ人に対する暴力は手に負えず、イスラエル占領軍はヨルダン川西岸地区にあるパレスチナ難民キャンプをほとんど毎日襲撃している―その結果、未曽有の規模でインフラが破壊され、民間人の死傷者数は全体でこれまでの記録を上回っている―その中で、それでも欧米の高官たちは再び二国家解決について語り始めている。

アラブ・イスラム諸国の首脳も、二国家解決を口にしている。ただし、大多数の専門家の見るところでは、イスラエルは違法な入植地を拡大し、また新たに建設する過程でその道筋をとうの昔に力ずくで破壊してしまったのだが。現在の紛争(これまでのアラブ・イスラエル間の戦争すべての民間人死傷者数を超える犠牲者を出している)の引き金となった10月7日のハマスによる襲撃から数日後、ジョー・バイデン大統領と側近は再び二国家解決に言及し始めたが、その一方で期限を設けずに、イスラエルのガザ地区破壊作戦に許可を与えてもいる。

1947年の分割決議では、イスラエルと先住のパレスチナ人の双方を受け入れられるよう、パレスチナ分割が提案されたが、アラブ諸国はこれを拒絶した。約20年後、1967年の第3次中東戦争を経て、国連安保理決議242はイスラエルが東エルサレムを含む地域から撤退し、1967年6月時点の国境まで退くよう求めた。ガザ地区およびヨルダン川西岸地区の運命については結論が先送りされたが、土地と和平の交換原則が述べられた。

当事者双方が様々な理由から決議案を拒否した。その後、1974年にアラブ連盟がパレスチナ解放機構(PLO)をパレスチナ人民の唯一の正統な代表として承認したことで、1967年まで支配していたヨルダン川西岸地区に対するヨルダンの領有権の主張が退けられた。1988年、最終的にヨルダンはエルサレムのワクフに対するものを除き、すべての主張を取り下げた。

1979年のエジプト・イスラエル平和条約では、パレスチナ人の自治が定められ、アメリカは1980年代、この立場をロナルド・レーガン大統領が「パレスチナの自治」宣言として繰り返した。1993年のオスロ第1合意では、占領地域にパレスチナ暫定自治政府を樹立するという考えが述べられ、その最終的地位については5年以内に協議により決定するとされた。オスロ第2合意では、ヨルダン川西岸地区をABCの3地域に分割することに成功したのみで、60%以上に相当する残りの地域で、始まったばかりのパレスチナ自治政府による統治を実質的に否定するものだった。和平プロセスを復活させ、占領を終わらせてパレスチナ国家を樹立するための最終合意に達しようという試みはすべて行き詰った。双方が相手を非難した。

だが、思い起こすべき重要な点は、土地と和平の交換案が今日二国家解決として知られているものへと発展した一方で、それはオスロ以後常に損なわれ続けているということだ。イスラエルとPLOの間で成立した歴史的和平合意の後、イスラエルは数波にわたる入植地建設を開始した。これは合意の下では許されない行為である。その結果、今年1月の時点で、ヨルダン川西岸地区には144か所(内12か所は東エルサレム)のイスラエルの入植地と、100か所を超える違法な前哨基地ができていた。現在ヨルダン川西岸地区に住んでいる入植者の数は、推計で80万人近い。

イスラエルの指導者たちは、占領を終わらせる、あるいはパレスチナ国家に土地を割譲する政治的意志をとうの昔に失っている

オサマ・アル・シャリフ

しかし、ヨルダン川西岸とガザ地区に連続するパレスチナ国家を建設することが、政治、物流、人口統計学の面で悪夢を生むだろうことはさておき、イスラエルの指導者たちは、占領を終わらせる、あるいはパレスチナ国家に土地を割譲する政治的意志をとうの昔に失っているというのが現実だ。

国連による分割計画は、歴史的パレスチナの約40%をパレスチナ人に与えるものだった。安保理決議案242(二国家解決)で与えられる土地は3分の1以下であり、2020年のドナルド・トランプ氏による和平案では、パレスチナ人はほぼ同じ大きさの領土を得るものの、土地の大幅な入れ替えがあり、東エルサレムは含まれない。ほとんどの入植地は残され、パレスチナ人居住区は互いに切り離される。イスラエルはヨルダン渓谷を併合することになる。パレスチナ人もユダヤ人入植者もこれを拒否した。ベンヤミン・ネタニヤフ首相は何も言わなかったが、それはトランプ大統領の計画が実現しないことを知っていたからだ。

今日、ネタニヤフ首相と極右連立政権を構成するパートナーは、一寸の土地も譲らないと公言している。ネタニヤフ氏は先週、リクード党員を前に、パレスチナ国家の誕生を阻止できる唯一の政治家は自分だと宣言し、イスラエルは二度とオスロの過ちを繰り返さないと述べた。また、ガザはイスラエルの治安管理下に置かれ、パレスチナ自治政府が統治することは許されないとも表明した。

イスラエルのイツハク・ヘルツォグ大統領は、今は二国家解決を議論する時ではないと述べた。ヘブライ語の新聞は、イスラエル政府関係者がアメリカ政府関係者に対し、この解決策について公の場で発言しないよう要請した報じた。ガザでの戦争が決着しないままである今日、その解決を受け入れようとするイスラエル人は少なくなっている。

二国家解決は失敗に終わった。その進化の道筋は、収穫逓減の法則の完璧な例である。今や、パレスチナ人にとって事態はゼロサムゲームとなり、世界の他の国々は、イスラエルの政治において過去20年間に起こった重大な変化を無視し続けている。占領地の完全併合や住民移動といった他の選択肢は、破滅のシナリオだ。

ガザ戦争の結果はともかく、バイデン政権もそれに続く政権も、イスラエルに占領地からの撤退を迫るような解決策を復活させることはできないだろうし、言うまでもなくパレスチナ国家の誕生を許すこともできないだろう。米国では、シオニストによるロビー活動が外交政策にあまりにも大きな影響力を持っている上、大統領の力が弱まり、議会は分裂し、政治体制が二極化している。さらにイランとその代理勢力、中東におけるロシアと中国の役割、分裂したヨーロッパが加われば、どの国にとってもイスラエルにパレスチナ支配を放棄させることが不可能である理由がわかるだろう。

10月7日の攻撃はイスラエル社会全体に衝撃を与え、すぐに癒えることのない傷を開いた。一方、イスラエルによるガザでの血なまぐさい対応は、パレスチナ人をさらに過激化させている。2つの民族がこれほど離れたことはこれまでにない。

ネタニヤフ首相はこれまで、戦後のガザに関するアメリカのあらゆる立場に異議を唱えてきた。ガザの分割と緩衝地帯の創設が依然として議題となっている。治安管理を維持するということは、再占領とガザ住民の強制移送の可能性が高いということだ。実際、10月7日の攻撃によって引き起こされた状況は、少なくとも第2次インティファーダ以来、かつてない形で紛争を複雑化させている。

したがって、戦争が終わった後に二国家解決(いまや時代錯誤な言葉だが)が自動的に開始すると信じるのは非現実的でナイーブな考えだ。その終焉はまた、アブラハム合意とその将来を揺るがすものであり、古い和平条約に亀裂を生じさせることは言うまでもない。戦争が終われば、イスラエルは困難で世論を二分する試練に直面することになる。そして、パレスチナ人は壁に押し戻されるだろう。これは、平和的解決のチャンスを得る見込みのないままに悪化しようとしている紛争なのだ。

  • オサマ・アル・シャリフ氏はアンマンを拠点とするベテランジャーナリスト、政治評論家。X@plato010
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