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クリスマスに届けたいメッセージは、罪のないパレスチナ人たちの命の尊さである

ベツレヘムのイエス・キリスト生誕地の上に建てられたとされる降誕教会に座る聖職者。(AFP)
ベツレヘムのイエス・キリスト生誕地の上に建てられたとされる降誕教会に座る聖職者。(AFP)
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25 Dec 2023 10:12:39 GMT9
25 Dec 2023 10:12:39 GMT9

エルサレムで主に仕えることは、私が務める司祭職の特権であり、誇りである。故教皇ヨハネ・パウロ二世が 「教会の母」と呼んだエルサレム、そしてキリスト教世界の中心地で、私はパレスチナ人クリスチャン・コミュニティと共に働くことを大切にしている。この聖地は、キリストとキリスト教を生き生きと伝える役割を、誇りと共に担ってきた。

しかし、今年の様子はいつもと異なる。大きく異なっている。今年、このキリスト降誕の聖地には、灯りがともされていない。ベツレヘムにキャロルの歌は響かず、何千人もの巡礼者が通りや教会を埋め尽くすこともない。その代わりに、聖書に不朽の形で刻まれた叫びを再体験している。「ラケルは子どもたちのために泣いている。彼女は慰めを拒む。彼女の子供たちはもういないのだから」

今日のクリスマス物語が2000年前のそれにどれほど似ていることか、信じがたいほどに不思議だ。マリアとヨセフは、ヘロデの怒りを避けるためにエジプトへ逃げ、避難の地を求めなければならなかった。

ベツレヘムのある教会では、クリスマスツリーやサンタのデコレーションの代わりに、ガザの人々が直面している状況に寄り添う方法として、赤ん坊の人形をがれきの中に置いた。子どもたちを連れて恐怖に震えながら、見えない未来へ走る母親たちの姿は、赤ん坊のイエスを連れて走るマリアの姿だ。私たちはその目に聖母マリアの目を、その顔に赤ん坊のイエスを見る。

この恐ろしい戦争で最も忌まわしいのは、無実な人々の殺害だ。このような状況下で、キリストの誕生を追体験し、心穏やかな態度でそれを祝福することはできない

10月7日は疑いようもない地獄だった。私たちの想いや祈りは、双方の罪のない命に対する深い哀悼を捧げることしかできない。残酷にして無残にも、彼らは虐殺された。私たちは、真夜中の祈りで、悲しみと悲惨の中で流される無実の血を思い出し、預言者イザヤの祈りを捧げるだろう。「おお、永遠の光の輝きよ、おお、正義の太陽よ、来たれ、闇と死の陰に座す者たちを照らしたまえ」

この大混乱に陥った地獄を理解するための道徳的なアプローチは、75年間にわたる追放と軍事占領という視点を通してのみ行われなければならない。

10月7日以来、この残酷な暴力の真の犠牲者は、イスラエルとパレスチナ双方の無実の市民たちだ。彼ら一人一人は、誰かにとっての、大切な最愛の魂なのだ。

何万人もの人々が殺害され、負傷し、何十万人もの人々が難民となり、人生で3度目や4度目の避難を余儀なくされた。飢餓と渇き、喪失と悲しみ……誰も戦争が終わる日を待つ必要はなく、何かをしなければならない。

同時に、私たちは完全に不誠実で偏見に満ちたメディア報道を目の当たりにしている。その報道は、無実な死についての現実を一切明らかにせず、時にはその悲劇について軽々しい言及をすることがいいところだ。

この大混乱に陥った地獄を理解するための道徳的なアプローチは、75年間にわたる追放と軍事占領という視点を通してのみ行われなければならない。

マジディ・セリアニ神父

この残忍な致命的暴力の爆発は、何十年にもわたる不公正と無視の結果である。何十もの国連決議に繰り返し明示され、概説された正義を通じてのみ、双方に平和をもたらすことができるのだ。

反ユダヤ主義、アパルトヘイト、人種差別、その他多くの道徳的問題が、国際的な価値観に反している。今日、私たちはパレスチナがガザを通じてこれらの問題の中にその場を持つことを望んでいる。今日、ガザで起こっていることは、個人、コミュニティ、国家に関わらず、私たち全員に道徳的かつ信仰的な試練を与えるものである。

天における神の栄光と地における平和の宣言は、残酷にも沈黙させられ、私たちが聞くのは、殺害された子どもたちに別れを告げるガザの母親たちの泣き声だけだ。彼らはこの前例のない悪魔的な攻撃の標的となったのだ。

ガザ地区には、3つの教会、3つの学校、そして複数の人道的プロジェクトがある。しかし、私たちの組織と人々は現在、誰もが免れることのできない非合法的なイスラエルの攻撃の中で、まさに生存をかけて戦っている。

この戦争はパレスチナのキリスト教徒の小さなコミュニティを荒廃させ、必然的に大量の移民を引き起こした。この絶望的な状況は、違法で残酷な占領によって生み出されたものであり、地域のイスラム教徒、キリスト教徒の両方を、政治的安定から剥奪し、この流出を引き起こしていることを、私たちは知る必要がある。

不安定さと、仕事、教育、衛生サービス――名前をあげればきりがないが――などの必要とされるあらゆる要素の欠如が、この移住の真の原因なのだ。私たちの役割は、主が命じたように、私たちの人々の中で「地の塩」となることだ。

現在の職務に就く前、私はラテン教会控訴裁判所長として、パレスチナ解放機構(PLO)の指導者であった故ヤーセル・アラファト氏による国内外のさまざまな会合への同行を何度か依頼されたことがある。

ある時、私はガザで、ミシェル・サバ・ラテン総大司教とリア・アブ・アル=アサル聖公会司教と共に、ハマス運動の創始者であるアハメド・ヤシン師との和平調停ミッションに参加した。

その車いすの指導者は、パレスチナのキリスト教徒とイスラム教徒の関係の深さについて私たちが既に知っていたことを繰り返しながら、私たちに語りかけた。彼はキリスト教徒の公共サービスを称賛し、パレスチナにおけるキリスト教徒の存在を強化することの重要性を強調した。しかし、私に強く響いた一言は、「あなたたちは、パレスチナ人と西洋世界の間の架け橋になる必要がある」というものだった。

聖なるクリスマス・シーズンを迎え、私たちは生命と財産を失った双方の人々を悼む。私たちは、肉体的に傷ついた人々の癒しのために祈るが、最も必要なのは、攻撃的な戦争機械によって精神的に破壊された人々の心を癒すことだと信じている。

* マジディ・セリアニ神父は、エルサレムとヨルダンのラテン教会上訴裁判所の主任判事である。

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