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デモ参加者への暴力がいかにイスラエルの警察を貶めるか

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06 Sep 2020 09:09:08 GMT9
06 Sep 2020 09:09:08 GMT9

警察の暴力や、政治的反対派を弾圧するための暴力の使用は、イスラエルで生まれたものではなく、ベンヤミン・ネタニヤフが考え出したものでもない。私たちは世界中であまりにも多くの機会に警察の暴力を目にしている。しかし、公安大臣であり、前司法大臣でもあるアミール・オハナ氏が、このような暴力行為の責任を最高裁判所になすりつけるというのは、他に類を見ない恥知らずな行為だ。

アミール・オハナ大臣はクネセト(イスラエルの立法府)の委員会で、デモ参加者にけがを負わせたことを含む過剰な力の行使は、エルサレムの首相官邸周辺の通りでは特定の時間帯を過ぎると騒音を抑制しなければならないという裁判所の判決を警察が執行しようとしたまっとうな努力であると述べた。どちらがより悪いのかということを言うのは難しい。この国の最高裁判所が、単に首相官邸の住人が静かな夜を過ごせるように、デモをする民主的権利を行使する人々を暴行することを許したと、警察官が本気で信じていることの方が悪いのか。閣僚がこのような突飛な主張を行い、委員や国民の知性をまったく軽視し、その過程で自らの愚かさを晒しだすことの方が悪いのか。

イスラエルの政治体制に対しては、これまでにも大規模な抗議行動が行われ、政府に退陣を求める声さえ上がっていた。1959年には、ハイファのワディ・サリブ地区に住むミズラヒのユダヤ人が差別に抗議した。1973年、1982年、2006年の戦争のような、政府の怠慢、無能、または愚かさのための不必要な戦争に参加させられた怒りを表現するために、退役軍人たちが一斉に街頭に繰り出した。2011年には、何十万人ものイスラエル人が生活費の高騰や、持てるものと持たざるものの格差の拡大に反対するデモを行った。

このようなデモの多くで、デモ隊と警察の間で衝突が起こることは時々あった。だが、時折押したり突いたり、警棒を使うことはあっても、攻撃のほとんどは言葉によるものだった。しかし、警察の暴力が常にそれほど抑制されていたわけではないことに留意する必要がある。たとえば、1976年にパレスチナのイスラエル人が土地の没収に抗議した時や、2000年にヨルダン西岸地区の同胞と連帯して抗議活動を行った時などがそうだ。これらのデモでは、実弾が多数のデモ参加者を殺傷するために使用された。

さらに、今回のデモの秩序維持を担当している治安部隊の大部分が、多くの場合メディアの取材から離れて占領地のパレスチナ人への弾圧に関与しており、常に過剰な力で権力を乱用してきた。今回の反ネタニヤフデモにおける警察の行動は、イスラエル人、特にユダヤ人がそのような暴力を受けためずらしいケースの1つだ。しかし、それさえも、パレスチナ人がヨルダン川西岸地区やガザ地区で日常的に経験している、責任を問われることがほとんどない暴力に比べればはるかにマイルドなものだ。

大規模な政治的抗議活動は、その性質上、緊迫していて、荒々しいものであると論ずることができる。しかし、そのことは、治安部隊が首相の命令で暴走し、訓練されていない暴漢の集団のように振る舞うことの言い訳にはならない。

Yossi Mekelberg

幸いなことに、バルフォア通りの首相官邸前やその他の場所の抗議活動ではまだ死者は出ておらず、市民が平和的に集合し、当局への不快感を表明し、ネタニヤフ首相の辞任を要求するという基本的な権利を行使している。警察によるデモ参加者に対する扱いと、首相とその息子ヤイール氏が絶え間なくデモ参加者を煽っていることを切り離すことは難しい。ヤイール氏はTwitterでデモ参加者に対するヘイトスピーチを繰り返し、あるツイートではデモ参加者がCOVID-19に感染することを望んでいる。

大規模な政治的抗議行動は、その性質上、緊迫していて、荒々しく、言葉による表現や平和的ではない方法で権力に立ち向かおうとする人々を惹きつけるものであると論じることができる。しかし、そのことは、治安部隊が首相の命令で暴走し、訓練されていない暴漢の集団のように振る舞うことの言い訳にはならない。この数週間、警察とデモ参加者の間で激しい言葉のやりとりがあったり、デモ参加者が道路に入ってきた時に、警察が過剰な力で対応し、女性や高齢者に対しても容赦せず暴力で対応する動画をいくつも見てきた。被害者の中には、地面に押し倒されて引きずられたり、ジャガイモの袋のように運ばれた人もいた。

ある警察幹部のNisso Guetta警視は、デモ参加者に暴力を振るう様子が撮影されていた。同警官は後に、このデモ参加者が警察官に向かって暴言を吐いたと主張している。これは通常、警察が乱闘に参加した愚鈍な暴漢を一晩拘置して冷静にさせる前に聞く種類の言い訳だ。法務省は調査を開始したが、同警官は停職処分にならないばかりか、直後のデモで警官を監督する任務についた。これは、警察の説明責任をあざ笑うものであり、政治的支配者が望めば、過剰な力の使用が許されるという、階級と序列へのメッセージのように見える。

警察による暴力は、誤認逮捕、脅迫、人種による選別、監視の乱用、性的虐待、汚職などの形をとりうる世界的な現象だ。私たちを守ってくれる存在が私たちを攻撃する存在にかわる時、個人的にも集団的にもトラウマを生んで、暴力から私たちを守ってくれる人たちへの信頼を失うことになる。政治家がこのような行動を見て見ぬふりをしたり、権力支配を固めるために恥知らずにそれを奨励したりすれば、さらに心配になる。悲しいことに、これが現在のイスラエルの実情で、このような不当な暴力を受けているのは、首相に心底うんざりしているデモ参加者だ。首相は、コロナウイルスのパンデミックとその悲惨な経済的影響を封じ込められなかったことによって、最も無能であることが露呈してしまった。

現在の状況は大混乱で、これを食い止めて逆転させなければ、民主主義秩序の崩壊への道のりはかなり短いものになるだろう。

  • Yossi Mekelberg氏はロンドンのリージェンツ大学国際関係学教授で、国際関係学・社会科学プログラムの責任者。同氏は、王立国際問題研究所のMENAプログラムの研究員でもある。Mekelberg氏は国際的な紙媒体・電子媒体のメディアに定期的に寄稿している。Twitter @YMekelberg
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