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サバーハ4世が残した確固たる遺産

シャイフ・サバーハ・アル=アフマド・アル=ジャービル・アッ=サバーハ、サウジアラビアのメッカにて、2019年5月31日。(ロイター)
シャイフ・サバーハ・アル=アフマド・アル=ジャービル・アッ=サバーハ、サウジアラビアのメッカにて、2019年5月31日。(ロイター)
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30 Sep 2020 08:09:53 GMT9
30 Sep 2020 08:09:53 GMT9

クウェート首長、シャイフ・サバーハ・アル=アフマド・アル=ジャービル・アッ=サバーハの逝去を知り、悲嘆にあふれる心でこの文章を記す。サバーハ4世は火曜日に享年91歳にしてこの世を去った。海外在住者としてクウェートで生まれ育った私は、アンカラのクウェート大使館に彼の在位中に勤務していた。そして、2017年のアンカラ訪問時のサバーハ4世に直接お会いできたことは私にとって非常に幸運なことだった。

クウェート首長のサバーハ4世は、「アラブ外交界の長老」や「中東の賢者」、そして、「祖国の父」など、数多くの非公式な愛称や肩書きで呼ばれてきた。彼は満ち足りた人生を送り、多くの成功を祝し、クウェートのすべての指導的地位を歴任した。外務大臣、首相、そして最後に首長となったのだ。外交における根気、卓越した調停能力、人道主義的な地域政策によって、彼はいつまでも人々の記憶に残り続けるであろう。

オマーン国のカーブース国王の1月の逝去に続くサバーハ4世との別離は湾岸地域に大きな喪失感を新たにもたらした。彼こそがクウェート外交政策の原動力だった。賢明な指導者であったと同時に、中東地域の、そして国際的な調停者として尊敬を集めていたのだ。彼の治世下、クウェートは主要な対外援助国としての役割を果たしていた。そしてサバーハ4世は多くの人々に「国際的な人道主義的指導者」と認識されていたのである。彼は、また、クウェートの中立的で安定した外交政策を主導していた。

国際的な舞台でのサバーハ4世の外交上の見識と調整力はいくつもの紛争の調停を依頼されるほどのものだった。この老練な調停者の下で、クウェートは、パキスタンとバングラデッシュ、パレスチナとヨルダン、さらには、レバノン内戦の各武装勢力間の交渉の仲介役を務めたのだ。彼は、自ら、各国の首都から首都を飛び回り、一連の交渉のお膳立てに尽力した。80台の半ばになっても精力的な調停者であり続けた。他の統治者たちとの個人的な繋がりを重視するという点において、サバーハ4世は湾岸地域の古い世代の指導者の象徴でもあった。

クウェートがシリア内戦への介入を控えたこともサバーハ4世の指導者としての判断だった。代わりに、クウェートは、シリア国民への人道的救援活動の提供を促進するためのいくつもの援助会議を主催したのである。私は光栄にもクウェート王宮に招待され、サバーハ4世が議長を務めた、2014年1月のクウェート市での人道的援助会議に出席した。

国際的な舞台でのサバーハ4世の外交上の見識と調整力はいくつもの紛争の調停を依頼されるほどのものだった。

シネム・ジェンギズ

サバーハ4世は、クウェートが現代国家として成立しつつあった1929年に生まれた。王室の一員として、1963年から2003年まで外務大臣を、2003年から2006年まで首相を務め、2006年にはクウェート首長となった。外交のトップとして祖国に尽くした40年間、サバーハ4世はクウェートの対外関係の構築とイメージの向上を主導することに長けていた。世界最長の実績を誇る外交官というだけでなく、冷戦後の数少ない通常型戦争であるイラク軍による1990年と1991年のクウェート侵攻と占領の期間も外務大臣の職責を負い続けた。サダム・フセイン期以後、クウェートはサバーハ4世主導の下、ゆっくりと慎重にイラク政権との関係を再構築した。

クウェートの指導者たちは自国の歴史から外交術について多くを学び、その蓄積がサバーハ4世の現実的な取り組みの基礎となっていた。例えば、1990年のクウェート侵攻時にイラクを支援した各国との外交関係の再建への尽力によって、彼は「アラブ外交界の長老」と称されたのだった。1981年の湾岸協力会議設立においてもサバーハ4世の功績は大きいものだった。恐らくは、この設立時の経緯こそが、メンバー国間の不和をものともせず湾岸協力会議を存続させることに彼が最晩年を捧げた理由なのだと考えられる。

外交におけるサバーハ4世の手腕は対外的な政策だけではなく国内の政策においても発揮された。良い例は、中東地域にアラブの春が拡大し、何万もの人々が国内で街頭デモに参加したことでクウェート「例外論」が危機に瀕した2012年の彼の対応である。クウェートを統治する首長として、サバーハ4世は、内政関連の軋轢、抗議デモの後遺症、ゆりかごから墓場までの手当を提供する国家予算を削りつつあった不安定な原油価格といった問題を解決しようと苦闘した。それでも、結局、彼はクウェート国内の団結を守り抜くことに成功したのだった。それに加えて、サバーハ4世のリーダーシップによって、クウェートにおける女性の権利は拡大し、彼自身がクウェートの女性たちの代弁者となったのだった。

クウェート首長の座は、サバーハ4世から83歳の異母弟であるナワフ・アル=アハマド・アル=ジャビル・アル=サバーハ皇太子に引き継がれることになる。世界でもっとも年長の皇太子である。皇太子はクウェート議会で水曜日に宣誓式を行う。

クウェートは今後も騒然とした近隣諸国間の調停者としての役割を果たし続けるよう期待されている。円滑な首長位継承は、立憲主義による政治体制がクウェートにおいて完成していることの証しである。サバーハ4世逝去の発表後、多くの国の首脳がすぐに彼を「偉大な指導者」と表現し称えた。中東地域に焦点を置いたキャリアを築くきっかけを私に与えて下さったサバーハ4世の逝去に心からの哀悼の意を表したい。彼の魂が安らぎを得られますように。

  • シネム・ジェンギズはトルコ国籍の政治アナリストで、トルコの中東での国際関係が専門。Twitter: @SinemCngz
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