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和平を追求しないイスラエルは、さらなる暴力を誘発しかねない

イスラム教の聖なる断食月、ラマダン中の2022年4月5日、エルサレム旧市街のダマスカス門の外でパレスチナ人の青年を拘束するイスラエルの治安部隊。(AFP)
イスラム教の聖なる断食月、ラマダン中の2022年4月5日、エルサレム旧市街のダマスカス門の外でパレスチナ人の青年を拘束するイスラエルの治安部隊。(AFP)
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07 Apr 2022 09:04:58 GMT9
レイ・ハナニア
07 Apr 2022 09:04:58 GMT9

1987年12月9日、ジャバリア難民キャンプで、イスラエル軍の車両と民間人の車が衝突、4人のパレスチナ人労働者が死亡した。イスラエルの横暴に対するパレスチナ人の抗議行動「第1次インティファーダ」はここから始まった。

イスラエルは、この殺害が意図的なものであることを否定している(イスラエル政府は、パレスチナ市民の命を奪ういかなる暴力に対しても常に責任を否定している)。しかし、この事件はパレスチナ人が占領地全体でイスラエルの圧政に抗議していた時期に起こった。インティファーダは、ガザを拠点とする「イスラム協会」が、海外に拠点を置くパレスチナ解放機構(PLO)に対抗して指導力を主張する機会を作った。

皮肉なことに、イスラム協会はもともと、イスラエルの元テロリスト指導者イツハク・シャミル首相と、その首席副官であり、同国で最も暴力的な反アラブ軍事指導者の一人、アリエル・シャロン氏が資金を提供していた。その目的は、PLOとそのカリスマ的指導者ヤーセル・アラファト氏に対抗できるライバル作りのためである。

このイスラエルの計画は裏目に出た。イスラム協会は、後に自爆テロで和平プロセスを台無しにする過激派宗教運動、ハマスを立ち上げた。この動きを受けたアラファト氏とその側近たちは、和平合意の可能性を追求するため、米国と接触するようになったのである。

パレスチナの抗議行動に対するイスラエルの厳しい対応によって暴力と死がもたらされ、パレスチナ人は自らも暴力で対抗するようになっていた。それにもかかわらず、オスロ合意Iは1993年9月13日にホワイトハウスでアラファト氏と当時のイスラエル首相イツハク・ラビン氏によって調印された。私はそのとき、大勢のパレスチナ系アメリカ人指導者と共にその場にいた。決して完全な和平計画ではなかったが、オスロ合意Iの根幹をなすものは、イスラエルとパレスチナの2つの国家を実現することであると皆が希望を持っていた。

しかし、パレスチナ人の抗議行動とイスラエル軍に対する暴力が和平計画をもたらした一方で、アリエル・シャロン氏とベンヤミン・ネタニヤフ氏の右翼的で反和平的なレトリックに影響された狂信的な入植者によってラビン氏が暗殺され、和平計画はイスラエルの暴力に帰結したのである。ラビン氏殺害によって、オスロ合意は生き残ることのできない政治的ハリケーンに見舞われたのだ。

オスロ合意Iは短期間の平穏をもたらし、両者間の接触を促した。しかし、ラビン氏亡き後の混乱の中で首相となったシャロン氏は、数百人の武装したイスラエル兵に囲まれながら、アル・アクサ・モスクと岩のドームがあるアル・ハラム・アル・シャリフを訪問し、パレスチナ人を挑発することになる。

イスラエルとパレスチナの関係において支配的な力を持つイスラエルが、真の和平努力を開始できないでいるこの状況は、過去の暴力的な教訓を反映する結果を招きかねない。

レイ・ハナニア

この行為はパレスチナ人の抗議を巻き起こし、2000年9月に第2次インティファーダが始まった。この抗議行動は、2005年2月、エジプトのシャルム・エル・シェイクでイスラエルとパレスチナの指導者が再び和平協定を結ぼうとするまで続いた。この合意は、シャロン氏はパレスチナ人に対するすべての暴力を止め、パレスチナ人は「和平のためのロードマップ」を追求することに同意するというシンプルなものだった。

しかし、シャロン氏がその結果生じた平穏を利用して、パレスチナの指導者を弱体化させ、ガザやヨルダン川西岸地区を攻撃し、東エルサレムに対するイスラエルの支配を強化し、パレスチナ人から奪ったヨルダン川西岸の土地に人種差別的なユダヤ人専用入植地を拡大するのには、そう時間はかからなかった。

それ以来、イスラエルは全領土の支配を強化したため、平和は消滅の瀬戸際に立たされた。2005年、イスラエルはガザ地区から占領軍を撤退させ、境界周辺に重装備の軍隊を配置しなおした。イスラエル政府は、この撤退によってガザ地区のパレスチナ人に自由が与えられたと偽っているが、実際にはガザ地区を過酷な弾圧のある野外刑務所に変えてしまったのだ。イスラエルはガザを射撃場にした。長距離ミサイル、戦闘機、そして時折の侵攻によってパレスチナ人を攻撃し、殺戮した。

イスラエルによる暴力は、国内の反平和的な右派政治指導者を強化した。彼らは国民の感情に訴え、自分たちが引き起こした暴力を引き合いに出してパレスチナ人のせいにし、和平プロセスの評判を落とし、違法な入植地の拡張に拍車をかけている。

その間、パレスチナ人はイスラエルと平和に暮らそうと努力してきた。しかし、過激派による攻撃は大きく宣伝され、イスラエルによるパレスチナ人への攻撃や土地の没収は小さく伝えられるのみであり、10年にわたる不安と死がもたらされることになったのである。

現在では、公正さと二国家に基づく真の和平を受け入れようとしないイスラエルの沈黙を打ち砕くために、残念ながら第3次インティファーダが必要だと考える人が多い。

イスラエル側に真の和平への願望がない現状は、双方にとって持続不可能である。パレスチナ人はこのことを知っている。しかし、イスラエルが盗み続けている自分たちの財産や土地の管理はもちろん、自分たちの生活を管理する能力もまた、制限された厳しい占領下に置かれているのである。

イスラエルとパレスチナの関係において支配的な力を持つイスラエルが、真の和平努力を開始できないでいるこの状況は、過去の暴力的な教訓を反映する結果を招きかねない。

  • レイ・ハナニア氏は、受賞歴のある元シカゴ市役所の政治記者で、コラムニスト。連絡先は、彼の個人的なウェブサイト www.Hanania.com.まで。Twitter: @RayHanania
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