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イスラエルによって徹底封鎖されたガザ地区恐怖の15年

イスラエル・ガザ国境での抗議活動で、有刺鉄線を外そうとするパレスチナ人の障害者男性(2018年10月19日撮影)。(ロイター)
イスラエル・ガザ国境での抗議活動で、有刺鉄線を外そうとするパレスチナ人の障害者男性(2018年10月19日撮影)。(ロイター)
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14 Jun 2022 01:06:38 GMT9
14 Jun 2022 01:06:38 GMT9

15年前の今月に始まったイスラエルのガザ地区封鎖が今なお続いているばかりか一層厳しくなっているとは、誰が想像し得ただろうか?それこそが今や約230万人の人口を擁するこの小さな帯状の地域に起こっていることなのだ。

ガザ地区に住む約80万人のパレスチナの子どもたちは、封鎖のこと以外は何も知らない。彼らはこの人工的に作られた地獄の外に出たことがない。彼らは電車を見たことがない。飛行機はイスラエルの軍用機しか目にしたことがない。電気は限られている。水は動物にさえ適さない。彼らは生まれながらにして死刑囚のような扱いを受けている。

では、世界最大の野外刑務所と言われるガザ地区での生活は、この15年間でどう変わったのだろうか。規模は大きくなっていないが収容者数は増えている。実際、住人が活動できるエリアは縮小している。イスラエルは、農民が国境フェンスから300メートル以内の土地に立ち入ることを禁じており、漁師の操業海域も厳しく制限している。

昔の記憶は薄れがちなのでハッキリさせておきたい。2007年6月以前もガザ地区は占領下にあり、出入りは困難だった。ガザ地区の外に出るには許可が必要だった。2007年になってその制限はさらに厳しくなった。

2007年になるとイスラエルによる支配が前例のないレベルにまで引き上げられた。イスラエルは、ハマスによるガザ地区の占拠を受け、同地区を敵対的な存在に指定した。イスラエル政府高官は同地区に対する「経済戦争」の遂行に言及した。この言い回しは時間の経過とともに、ガザ地区に何が入ることができて何が出ることができるのかという、より表面的で実際的なものに変容した。しかし政策的な枠組みは何ら変わっていない。

2006年のハマスの選挙戦勝利後、当時アリエル・シャロン首相の顧問であったドヴ・ワイスグラス氏はガザ地区の住民には「ダイエット」が必要だと発言した。ガザ地区の人々全体に懲罰的対応をとればハマスを追い出そうとするだろうというのがイスラエルの言い分だが、これはシリア国民を締め上げればバッシャール・アサド大統領を追い出そうとするだろうと主張する一部の人々と同じく、空論でしかない。

ガザ地区の人々の食習慣を見直すとのイスラエルの決定は、同地区に対するイスラエル当局者の態度を端的に示すものだ。イスラエル指導層は、この囚われの身とも言える人々に対して何をしても構わないという権利があるように感じていた。集団的懲罰は国際法では明らかに違法であるにも関わらず、イスラエルでは完全に容認されている。もしパレスチナの過激派がロケット弾を発射したら、通常は全人口に対する懲罰が待っている。例えば、過激派がイスラエルに焼夷凧を飛ばしたとき、漁業が許可される海域をさらに狭めるという報復措置がとられた。漁業の海域は焼夷凧とは全く無関係だ。

ハマスの支配は独裁的で進歩的と言うにはほど遠く、人権問題でもひどい過去がある。ガザ地区の人々はハマスの悪政と徹底封鎖という二重苦を強いられているのだ。

イスラエルはガザ地区に入るものをすべて管理している。2015年には二重用途製品の禁止品目リストを運用していることを明らかにせざるを得なくなったが、その多くはセメント、鉄、木材といった建築に不可欠な品目であった。リストは更新されるが、イスラエルは現在の禁止品目の開示を拒否している。監視の目も、訴える権利もないのだ。

本当の意味での経済生活はほぼ停止状態に陥っている。ガザ地区では深刻な経済退化が進行中だ。パレスチナ人労働者は2007年以降、イスラエルに入国できなくなった。ガザ地区の人々に向けて2万人分の労働許可証の枠を設けるとの最近のイスラエルの決定を多くの人が大々的に取り上げたが、イスラエルの人権団体ギシャによると同国はさほど多くの許可証を発行していない。たとえガザ地区から出て来ることを許されても、現時点では、まだイスラエル人労働者が持つような権利はない。そもそも労働者として見做されていないのだ。

人道的な状況は悲惨だ。世界銀行によると、人口の60パーセントが貧困ライン以下で生活しており、80パーセントが国際援助に依存していると推定されるが、その援助も非常に減っている。メディカル・エイド・フォー・パレスチナのラシャ・アル・モガニー氏は同地区は「慢性的な医療品・医療機器の不足にも苦しんでいます。2021年には平均41%の医薬品と26%の使い捨て用品が在庫ゼロ、または1ヶ月分未満の在庫しかない状況です」と言う。

しかし、もし仮に封鎖が行われていなかったらどうだろうか?2017年の国連の試算では貧困率は60%ではなく、15%程度になっていただろうと推定している。2020年に国連はイスラエルの封鎖でガザ地区は167億ドルのダメージを受けていると試算している。

おそらく最も辛いのは世界からだけでなく、パレスチナの他地域からも孤立していることだろう。ヨルダン川西岸地区とガザ地区のパレスチナ人は疎遠になっている。この15年間に両地区を行き来できた人はほぼ皆無だ。面会が叶っても、それは国外だ。信じ難いが、ガザ地区のパレスチナ人にとってヨルダン川西岸地区は世界中で一番行きにくい場所なのだ。

エジプトも封鎖に一役買っている。パレスチナ人向けのラファ検問所は一定期間開放されているが、国際協定によりエジプト経由で物資を輸出することはできない。

この封鎖をイスラエルの軍事行動と切り離して見ることはできない。この刑務所は完全に管理されており、囚人が手に負えなくなれば、爆撃が実施される。ガザ地区は昨年5月の戦争から立ち直れないばかりではない。未だに2006年、2008~09年、2012年、2014年の戦争や、帰還の大行進からの回復途上なのだ。

瓦礫は未だに撤去されていない。住宅もまだ再建されていない。水道管も交換されていないことが多い。この状況はイスラエルが直径1.5インチ以上の鉄パイプの持ち込みを許可しないからだ。また、ガザ地区ではすぐに洪水が発生する。適切な排水システムを配備する資材が当局にないからだ。下水道に被害があると汚水の悪臭があたりを漂うことになる。

集団的懲罰は国際法では明らかに違法であるにも関わらず、イスラエルでは完全に容認されている。

クリス・ドイル

ガザ地区の人々が孤立と封鎖によってトラウマを抱えているとしても、爆撃による深刻なトラウマほどではないだろう。ガザ地区の子どもたちの約5分の4が極度の精神不安を訴え、お漏らしや不眠、情緒不安定などの症状を抱えている。子どもたちは、次の爆撃や戦争が始まるのはいつかと恐怖に怯えながら過ごしている。これは大人も同じだ。

ガザ地区の封鎖が20年目、さらには25年目を迎えることはないと信じている人などいるのだろうか?この状況が変わり得るような要素は全く見当たらない。イスラエルの指導層は気にも留めていない。パレスチナ問題とは管理すべき事象であり、解決を目指すことではないのだ。国際社会が強い関心を示すのは戦争が起こった場合だけで、その場合でも戦前への現状復帰を押し付けるだけだ。

ガザ地区のパレスチナ人にとっていま想像を絶することが起きている。何十年もの間、彼らは反抗的姿勢を続け、決してあきらめることはなかった。決して立ち去ろうともしなかった。しかし、今日、それが変わりつつある。多くの人々が危険な密入国業者の手に身を任せ、地中海中央部を横断する破滅的に危険な航海に出ることを考えている。このような恐ろしい事態は全て人為的に引き起こされているのだ。はっきり言えば、これはイスラエルが意図する政策の一部だ。世界は恥を知るべきだ。

  • クリス・ドイル氏は、ロンドンのCouncil for Arab-British Understandingのディレクターを務めている。ツイッター: Doylech
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