
ハラ・タシュカンディ、リヤド
サウジアラビアが、中東歴訪の最初の目的地で、日本の安倍晋三首相を迎える準備を進めている。この訪問中に安倍首相は、自衛隊を中東地域に派遣する日本政府の計画について説明する予定だ。
サウジアラビアと日本には、幅広い交流の歴史がある。1955年に公式に外交関係が樹立されて以来、両国間の繋がりは深さと広がりを増してきた。
ファイサル・トラッド元駐日大使は、両国間の交流は外交関係の樹立以前に遡る、とアラブニュースに述べた。
「やりとりはずっと昔、19世紀に始まった。当時、日本人の巡礼者がメッカを訪れた」と元駐日大使は話した。
「その後、1938年にアブドゥルアズィーズ国王が東京のモスクの開堂式に招待を受けた。当時の駐英公使だったハーフィズ・ワハブが国王の代理を務めた」
日本政府は1953年、サウジアラビアとの外交関係樹立を提案した。1955年、サウジアラビア政府は在エジプト・サウジアラビア大使館を通して返答し、日本の提案に同意した。こうして、サウジ・日本関係の新時代への基礎が築かれた。
サウジアラビアは1958年に東京に大使館を開館し、日本は1960年にジッダに大使館を開館後、1984年にリヤドに移転した。
公式の関係が樹立される前の、日本の明仁上皇と故ファハド国王にまつわるある出来事が特に、両国の外交において逸話となっている。
1953年、ロンドンでの英国女王エリザベス2世の戴冠式で、サウジアラビアの代表は国王の代理としてファハド王子(後のファハド皇太子及びファハド国王)が務めていた。明仁皇太子は、日本の代表として出席していた。
ファハド王子は、自分が最前列の席を与えられており明仁皇太子が3列目にいることに気づくと、即座に自らの席を明仁皇太子に譲るよう強く求めた。これは英王室の儀礼的伝統に背くことだったが、ファハド王子は明仁皇太子に席を譲ると言い張った。
この逸話は、昨年7月に東京で開かれた外国特派員クラブでアラブニュースのファイサル・アッバス編集長が語った。編集長は、サウジアラビアがいつも日本に抱いてきた敬意を示す例としてこれに言及した。
「それ以来のお互いに対する敬意から友情が育まれた。非常に有名な話として知っている業界もあり、公式訪問の度にいつも繰り返し語られている。両国の首脳の間にどれだけ敬意があったかを示している」と編集長は話した。
この数十年で、サウジアラビアと日本の繋がりはますます強固になった。
2016年9月、ムハンマド・ビン・サルマン皇太子が日本を公式に訪問し、安倍首相と会談を行った。共同グループ「サウジ・日本・ビジョン2030」を立ち上げることで意見を一致させ、両国間の連携の新たな時代が始まった。
トラッド元駐日大使は、サウジアラビアと日本の関係は多様化した戦略的なパートナーシップへと発展した、と話す。
「今日、二国間関係を促進し強固で戦略的な連携を築くうえでは、両国の文化を理解することが不可欠だ」と元駐日大使は述べた。