
ナディア・アル・トゥルキ
リヤド:極寒の北極と灼熱のアラビアの砂漠には一見ほとんど共通点が無いように思われるが、イギリス人探検家のマーク・エヴァンス氏に言わせれば、そこに住む人々には似ている所があるのだという。
エヴァンス氏がサウジアラビアの「空虚の地」(砂漠地帯)を横断する探検プロジェクト「ハート・オブ・アラビア」を完遂したのはほんの数日前のことだ。この旅は、1917年に偉大な探検家で作家のハリー・シンジョン・フィルビーが通った足跡を辿ったものである。この地域の記録作成に多大な貢献をしたフィルビーは、イスラムに改宗しアブドゥラーと名乗るほどこの地に馴染んでいた。
エヴァンス氏は、ジョン・フィルビーの孫娘であるリーム・フィルビー氏、写真家のアナ・マリア・パヴァラシュ氏、地域専門家のアラン・モリッシー氏を含む4人のチームを率い、サウジアラビアの東部州から西に向け1300kmの旅に出発し、1月30日に終えたところだ。
毎日、エヴァンス氏とリーム・フィルビー氏は日の出とともに出発し、徒歩で、時にはラクダの背に乗ってジョン・フィルビーの足跡を辿った。後に残してきた車はその日のうちに追いつくことになっていた。1900年代初頭にジョン・フィルビーが残した写真記録と詳細な日誌を頼りに、約105年前と全く同じ場所の数々を特定することができた。
エヴァンス氏はアラブ地域に25年以上住んでおり、地域で最初のアウトドア技能開発に特化した体験型学習組織「アウトワード・バウンド・オマーン」のトップを務めている。
中東を旅する以前の彼は、新しい遊牧民的ライフスタイルで暮らしていた。グリーンランド氷床の横断や、1820年にウィリアム・エドワード・パリーが北極海のメルヴィル島を探検した際の痕跡を辿る旅などを通して、人が住んでいない場所の美しさを讃えていたのだ。
彼の旅のほとんどは、世間の混乱や日々の要求から遠く離れた孤独な場所で行われる。そのため、内省のための素晴らしいチャンスや、目の前の研究に集中する機会が得られるのだ。そのような意義深い探検のおかげで、エヴァンス氏は孤独という概念を捉え直すことができた。
彼は次のように語る。「『静穏』という言葉がとても好きです。私は砂漠に大いなる平穏と満足を見出すからです。一日で最高の時間の一つは寝袋に入って最初の30分です。枕に頭を乗せ、信じられないほど美しい星空を見上げるのです」。テントの中より砂の上で寝る方が好きなのだという。
丸々一年を北極で過ごし、そのうち4ヶ月間はマイナス37℃もの極寒の中で完全な暗闇の中にいたエヴァンス氏にとって、サウジの砂漠に2週間いることは比較的簡単なことだった。
エヴァンス氏の探検本能は、イギリスの田舎で育った幼い頃に磨かれた。
彼はこう語る。「自分で自分の楽しみを作らなければならない時代に育ちました。子供の頃から既に、自然に近い静かな場所で大きな満足感を覚えていました。それが私の子供時代でした。騒がしいレストランやディスコは居心地が悪かったです」
人生における私の役割は、人々を触発するよう努めること、そして私が若者だった頃に得ることができたような、自分自身の人生を形作り社会にプラスの貢献をするチャンスを人々に与えることだと思っています。
マーク・エヴァンス氏、イギリス人探検家
17歳の時、ロンドンの教育慈善事業を通してノルウェー北部への6週間の探検に参加する機会があった。知らない人2人とテントを共有して、太陽が沈まない場所で過ごしたのだという。
「イギリスのちっぽけな田舎の生活の外にある生活に心を奪われました」
この旅をきっかけに、その後は次々と探検に出るようになった。北極で10年間過ごした彼は、子供の頃の自分に資金を出してくれた慈善事業から受けた恩を若者や未来の世代に返す活動をするようになった。
「これをきっかけに一歩成長し、自分の時間の一部を社会支援のために使うようになりました」
彼の旅や慈善事業は世界を見るための素晴らしい方法ではあったが、それだけでは生活できるだけの賃金はとても得られなかった。だから教育者になったのだという。
「不適切な理由で」教育の世界に入ったとエヴァンス氏は言うが、彼はそれをきっかけに中東に行くことになった。最初はバーレーンで、次にリヤドのイギリス人学校で4年間、その後はオマーンで教壇に立った。
当初はこの地域のことを特に気に入るとは思っていなかった彼だが、間もなくその文化、遺産、人々のもてなしの心に心を奪われたのだという。
「私の人生において北極(Arctic)とアラビア(Arabia)には深いつながりがあります。どちらも頭文字が『A』ですし、一つの共通点として、どちらでも人々が極限状態で暮らしていることが挙げられます」
「かたや極寒の地、かたや灼熱の地で暮らしているのです。(探検家で作家の)ウィルフレッド・セシジャー(ムバラク・ビン・ランダン)はこう言っています。『生活が厳しいほど人間は立派になる』」
冬の夜には、北極の空はオーロラの電撃的なエネルギーによって生気を帯びた。しかし太陽は断続的に訪れる。2月上旬には完全な暗闇が支配しているが、そのうち地平線上にわずかな陽光が差し込み、やがて季節は途切れることのない昼へと移り変わるのだ。
「3ヶ月間太陽を見ていませんでした。泣き崩れたことを覚えています。冬が終わり夏が来たことが分かったからです。とても感動的でした」
このような瞬間があるから、もっと旅をしたいと思うのだという。現在61歳の彼は、大自然と静穏が与えてくれる壮大な贈り物を体験するための冒険の旅を続けている。
「今の生活に完全に満足しています。騒がしい街の忙しいオフィスで働いていたら、このような満足感は得られないでしょう」
エヴァンス氏は歳を重ねるにつれ、自分のレガシーを遺すことが大きな動機付けになっているという。彼は、アブドゥラー・フィルビーのように人々の行動や考え方に影響を与えるような持続的な成果を確保する方法を探し続けている。
探検プロジェクト「ハート・オブ・アラビア」が始まって以来、彼らのポッドキャストは世界53ヶ国で3000近いダウンロード数を獲得し、各種ソーシャルメディアでも着実にフォロワーを増やしている。リスナーは、サウジアラビアの砂漠での日常生活についてのチーム自身による記録を追うことができるのだ。
チームは、サウジアラビアでプロジェクトを始めたい研究者のための「フィルビー・アラビア基金」も立ち上げた。
「資金調達は大変な仕事です」とエヴァンス氏は言う。「アイディアはあっても、どこから手をつけていいのか分からないのです。人生における私の役割は、人々を触発するよう努めること、そして私が若者だった頃に得ることができたような、自分自身の人生を形作り社会にプラスの貢献をするチャンスを人々に与えることだと思っています」