東京:米国人旅行者のデビッド・マドリガルさんは、レトロゲームキットの世界的な需要の高まりに乗り、東京の繁華街で「ビンテージ」ゲーム機に200ドルを支払った後、大喜びした。
マドリガルさん(23)は、日本のポップカルチャーショップで有名な秋葉原にあるスーパーポテトで、AFPにこう語った。
「こういうものが大好きなんです。古いゲーム機が大好きなんです」。彼が購入した2011年発売のゲーム機PS Vitaは、「アメリカでは通常600ドルくらいします」
スーパーポテトには3つのフロアがあり、ゲームボーイのカートリッジやプラスチックに包まれたセガ・ドリームキャストのゲーム機、古めかしいアーケードマシンが所狭しと並んでいる。
値段は目が飛び出るほど高い。1980年代に発売された任天堂の携帯型電子ゲーム機「ゲーム&ウォッチ」(『ゼルダ』が登場する)は、25万800円(1750ドル)の値がついている。
AFPの取材に対し、店長の小村氏は名字しか名乗らなかったが、客の70~80%は外国人観光客だという。
マドリガルさんによれば、その魅力のひとつは、現代のゲームの多くが、彼が幼少期を過ごした頃のゲームと比べると、少々「同じようなもの」であることだという。
マドリガルさんは、「当時は違った種類の革新がありました。企業は既成概念にとらわれないことを恐れませんでした。リスクを取ることも厭わなかった」
ビデオゲーム史研究家の前田尋之氏は、コレクターからの追加需要は、いくつかのゲーム機が日本以外では違った形で販売されたことに由来すると述べた。
例えば、任天堂のファミコンとスーパーファミコンは、海外では別の名前で発売され、デザインも違ってカラフルだったという。
「日本に来て、見たことのないゲーム機を見れば、買いたくなる。コレクター魂が刺激されるんです」と、ゲーム史に関する数十冊の著書を持つ前田氏は言う。
「レトロゲームの定義は、それに取り組む人たちが懐かしむ時代によってさまざまです」と前田氏はAFPに語った。
東京から北へ2時間、田んぼとハス畑の中に、プラウドロ(彼のオンライン上の人格)は膨大な数のゲーム遺品の宝庫を集めている。
この 「スーパーコレクター 」は、実家の向かいにある古いビルに、数千本の年代物のゲームやゲーム機、そして正常に作動するアーケードマシンを詰め込んでいる。
「レトロゲームを収集する魅力は、ゲームショップで子供の頃の思い出や、友達の家で遊んだりしたことを懐かしむことです」と50歳のコレクターは言う。
「正直なところ、私はあまりゲームをしません」
「ゲームに囲まれて、その音や雰囲気を楽しんだり、ゲームを見て夢を見たり、それだけで十分幸せなんです」
プラウドロは、コレクションを増やすために惜しみなくお金を費やしてきた。
レトロゲームは高値で取引されることもある。1985年に発売されたゲーム「スーパーマリオブラザーズ」のラッピングされたままのバージョンは、2021年に200万ドルで落札された。
しかし、歴史家の前田氏によれば、1990年代後半まで、古いゲームはほとんど価値がなかったという。
店頭のゴミ箱に詰め込まれ、わずか10円(現在の7USセント)で売られていたという。
プラウドロは20年前、おもちゃ屋や本屋で収集品を探して日本中を旅したという。
「スーパーファミコンやゲーム&ウォッチの在庫が、埃にまみれて片隅に置かれていることがよくありました。そのような店を経営している年配の人たちは、それらを片付けるために持ち去るように私に言ったのです」とプラウドロは言った。
「私は野菜卸の仕事をしているので、玉ねぎやジャガイモの木箱を渡すと、みんな喜んでくれました」
「今となっては、そんなことは不可能です。このような店は姿を消し、インターネットが普及したことで、誰もが転売をするようになりました」と彼は付け加えた。
自分の情熱を他の人たちと分かち合いたいと思ったプラウドロは、レトロゲーム愛好家の協会を設立し、世界中の人たちが関心を示してくれることに喜びを感じている。
「でも正直なところ、日本の製品は日本にとどまるべきだとも思っています。かつての日本の錦絵のように、海外で評価された後、日本に買い戻されるようなものです」
彼は、自国の作品の「価値に気づくのが遅い」と嘆いている。
AFP