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過去数十年のアートにおけるサウジアラビア人女性の描かれ方

ラマ・アル・バドナ博士は、サウジのアーティストが制作した作品111点を調査した。サフェーヤ・ビント・ザガーの「ヒジャズのモナリザ」や、タフリード・アル・バグシが描いた、オートバイに乗る女性など、過去数十年、サウジアラビア人女性を描いた作品だ。(提供)
ラマ・アル・バドナ博士は、サウジのアーティストが制作した作品111点を調査した。サフェーヤ・ビント・ザガーの「ヒジャズのモナリザ」や、タフリード・アル・バグシが描いた、オートバイに乗る女性など、過去数十年、サウジアラビア人女性を描いた作品だ。(提供)
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09 Jun 2021 08:06:33 GMT9
09 Jun 2021 08:06:33 GMT9
  • サウジアラビアは、中東で最も活発な芸術運動の拠点になるために努力している

ルバ・オベイド

ジェッダ:サウジアラビア社会は、過去数十年にわたって大きな発展を遂げてきた。社会変革や女性の地位向上の推進に大きな役割を果たした、継続的な開発計画に突き動かされたのだ。

サウジの芸術運動の歴史は比較的浅いが、芸術は、国のより広い社会的状況を反映する、具現化された情報源として利用することができる。特に女性の地位に関してはそうだ。

サウジの研究者であるラマ・アル・バドナ博士は、1960年代以降、サウジアラビア人女性がアート作品に描かれた社会・政治・経済的背景を探り、1969年から2019年までにサウジのアーティストが制作した作品111点を研究した。

アル・バドナ氏は、経済的要因とその影響に着目することからスタートし、始めにサフェーヤ・ビント・ザガー氏の有名な作品「ヒジャズのモナリザ」(元々の名称は「アル・ザブーン」)に手を付けた。

「この作品の重要性は、女性が女性としての自分を表現することによって作られたという事実からもたらされている」とアル・バドナ氏はアラブニュースに話した。「この作品の中の女性は、ヒジャズやメッカの伝統的な衣服を着て、肖像画の中にいる」

女性がさまざまな公共の場所や仕事の現場にいることで、女性の社会的地位は大きく向上した。収入があることで、女性は家族の中で意思決定し、現実を変えることができるようになった。

ラマ・アル・バドナ博士、サウジの研究者

この作品が作られたのは、男子教育が導入された60年後に女子教育が導入されたばかりの時期で、石油収入が増加した後、1970年に政府が最初の開発計画を開始した頃だった。開発計画は、女性を公教育や保健制度に含めるのに重要な役割を果たした。その頃からサウジアラビア人女性は自分たちの能力を発揮し始めた、と同氏は補足した。

「公教育は、純粋にサウジアラビアの経験として始まったのではなく、アラブの経験に由来するもので、教師はエジプトやレバント諸国、スーダンから来た」とアル・バドナ氏は話した。

「その結果、女性は初めて視野をより大きく広げ、自分の可能性を発揮することができた」

同氏はカール・マルクスの『政治経済学批判』を引用し、「人間の意識がその存在を規定するのではなくて、逆に、人間の社会的存在がその意識を規定するのである」と付け加えた。

同氏はマルクスの虚偽意識の理論を用いて、サウジアラビア人女性がどうやって精神的・知的・身体的可能性を意識し始め、社会的地位が理由で以前は考えられなかったことを達成できるようになったかを説明した。

女性がさまざまな公共の場所や仕事の現場にいることで、女性の社会的地位は大きく向上した。収入があることで、女性は家族の中で意思決定し、現実を変えることができるようになった。同氏はそう述べた。

開発計画によって進められた、この国の近代化は、過去数十年の、アートにおける描かれ方に反映されている。伝統的な衣装を着た女性や伝統的な環境の中にいる女性は、アート作品に常に登場したが、それらの解釈は同じではなかった、とアル・バドナ氏は話した。

「伝統的な衣装を着た女性は、60年代から2000年までのアート作品の中心的テーマだった」と同氏は述べた。「しかし、地域や地元の事象に大きく影響された進行中の社会変革に合致して、女性の表現は異なっていた」

1979年のイラン革命の直後にこの地域で高まった保守的な感情や、同年11月にグランドモスクで起きたジュハイマン・アル・オタイビの事件によって引き起こされた不安は、サウジアラビア人女性の地位やイメージに影響を与える劇的な社会変化の重要な要因だった。

「1960年代の画家は、女性を自分の目で見て肖像画を描いていた」とアル・バドナ氏は説明した。「しかし、後になって、記憶を呼び起こして女性を描くようになった」

「つまり、前者は自分の現実を描き、後者は民間伝承を描いていたのだ」

民間伝承へのこだわりは、女性が公共の場所にいないことにならないようにする試みでもあり、現代性からの逃避でもあった。

1980年代から2000年までの間、サウジアラビア人女性の顔の心的イメージは通常、不鮮明・不明瞭だった。メディアやカルチャーシーンに女性がいなかったことや、公共の場所で顔を隠していたことが原因だった。同氏はそう説明した。

「その時代、男性が女性を描くときは、サウジアラビア人女性を描いていなかった。代わりに、雑誌やテレビで見ていた、サウジアラビア人ではない女性を描いていた、と私は考えている」とアル・バドナ氏は話した。

一方、女性画家は女性の現実をより忠実に表現していた。

2010年以降、サウジアラビア人女性は大胆に自己表現し、社会的課題・問題に以前よりも真正面から取り組むようになった。彼女たちは自分たちの悲しみを消極的に表すのではなく、自分たちの現実に関連する問題に取り組むようにもなった、とアル・バドナ氏は話した。

ソーシャルメディアの台頭も、表現の上限を上げるのに大きな役割を果たした。

画家のタフリード・アル・バグシ氏は、アラビア語で「運転」という文字が書かれたナンバープレートを付けたオートバイを運転する女性を描いた。別の作品では女性を車の上に座らせた。

「女性は車の周りをうろついているように見えたが、運転席に座ることはできなかった。(この作品は)その抑圧感を表現していた」とアル・バドナ氏は話した。

2018年に女性が運転する権利を獲得した後、同じ画家が運転席に座る女性を描いた。ナンバープレートには「決意」という文字が書かれていた。

ショーン・フォーリー氏は、著書『変わりゆくサウジアラビア:王国の芸術、文化、社会』の中で、サウジアラビア社会におけるアーティストの役割は、アントニオ・グラムシの有機的知識人の概念に似ていると論じている。

「サウジのアーティストは、サウジ社会の伝統的な知的エリートには属してはいないが、文化という言語を使って、大衆が容易に表現できない感情や経験を明確に表現している」とフォーリー氏は書いている。

フォーリー氏と同じように、アル・バドナ氏は、女性アーティストは、特に現実や現実との闘いを反映させるときの連帯感を通して、21世紀のグローバルな規範に合致した文化的変化や社会変革を提唱していると考えている。

それにもかかわらずアル・バドナ氏は、政府計画が社会変革の主要な原動力であること、そして政府支援が近年、サウジのアートシーンの繁栄において重要な役割を果たしていることを強く主張した。文化省による、アートを含む、同国のカルチャーシーンを支援する多くの計画は、社会的関心を高め、2019年以降、さまざまなアートの分野でサウジアラビア人アーティストの数が増えるよう推進するのに不可欠だった。

「特に女性は、もうすぐ訪れる全ての変化に対する準備ができているように見えた。アーティスト、ナジュラー・アル・サリム氏の2019年の作品は、たくさんいる女性の影を描いたもので、絵のタイトルは『適性』だった」とアル・バドナ氏は話した。

「過去にアートの衰退とアーティスト活動の制限をもたらした要因の一つは、反対派の社会勢力だ。この社会勢力はテレビや教育、そしてアートを含む文化活動に反対していた」と同氏は説明した。

しかし、サウジアラビアでは長らくアートが排除されてきたにもかかわらず、同国は現在、中東で最も活発な芸術運動の拠点になるために努力している。

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