
アミン・アッバス
ドバイ:伝説の漫画家で『ドラえもん』の共同制作者である藤子不二雄A氏(本名:安孫子素雄)が4月7日、88歳で亡くなった。
午前8時40分頃、藤子A氏が自宅で倒れていると通報があり警察が駆けつけたが、現場に到着した時にはすでに藤子A氏は亡くなっていた。警察は現在死因について詳しく調べているが、これまでの調べによると藤子A氏に不審な外傷はなかったという。
藤子不二雄A氏は、おそらく藤子・F・不二雄氏(本名・藤本弘)との共同ペンネーム「藤子不二雄」として最も知られているだろう。1951年にコンビとしてデビューした2人は、「藤子不二雄」のペンネームで作品を共同制作し、手塚治虫氏などの他の有名な漫画家たちと東京のアパートをシェアしていた。
お人好しでいたずら好きな幽霊の子供が人間の家族と暮らすようになる『オバケのQ太郎』は、このコンビによる初期作品の1つであり、日本だけでなく海外にもファンを作った作品だ。
そして、未来から来た猫型ロボットであるドラえもんと少年のび太の友情を描いた世界的な名作漫画『ドラえもん』が制作された。1970年から1996年まで連載された漫画である。
2人は1987年まで共に仕事をし、その後、安孫子氏は「藤子不二雄A」、藤本氏は「藤子不二雄F(後の藤子・F・不二雄)」を名乗るようになった。
藤本氏は1996年に死去。『ドラえもん』は世界で最も成功した子供向けメディアシリーズの1つであり、数多くのアニメ映画や3期にわたるテレビアニメ作品を生み出した。第3期は2005年に放送が始まり現在も放送中で、毎週日本のテレビ番組で最も高い視聴率を誇るアニメの1つとなっている。
また安孫子素雄氏は、『忍者ハットリくん』『怪物くん』『プロゴルファー猿』『笑ゥせぇるすまん』など、数々のヒットシリーズを手がけた。
『忍者ハットリくん』は、1981年から1987年までテレビアニメ放送、1982年から1984年までアニメ映画3本、2004年には実写映画化されている。『怪物くん』は、1968年から1969年までと1980年から1982年までテレビアニメが放送され、1981年と1982年にアニメ映画2本が製作された。
『プロゴルファー猿』は、1982年にテレビアニメのスペシャル版、1985年から1988年にかけてテレビアニメ放送、1986年と1987年にアニメ映画2本が製作された。『笑ゥせぇるすまん』は、1989年から1992年までテレビアニメが放送され、2017年に放送されたテレビアニメ『笑ゥせぇるすまんNEW』は、藤子不二雄A氏個人による作品の最新作であった。