


札幌:札幌大学の本田優子教授は先住民族アイヌの学生のための奨学金制度を設立し、アイヌ文化を称賛し広めるクラブを創設しようとした際、激しい抵抗にあった。
「私たちは、非常に強い反発を受けました」。北海道北部にある同大学の文化学分野の教授である本田氏が、AFP通信に語った。
「アイヌの問題はタブーであり、触れてはいけないものだとみなされていたのです」
それは2009年のことで、日本の国会が数十年に及ぶ反対圧力の末に、ついにアイヌを先住民族として認める決議を行ったわずか1年後だった。
それから15年近くを経た現在、ウレシパ奨学金は順調に運営され、クラブには毎年数十人が在籍し、アイヌ民族と日本人が混在している。
同クラブで学生らはアイヌの言語やダンス、工芸、またアイヌの伝統料理や狩猟文化について学ぶ。
これは少数民族・アイヌに対する姿勢の変化を示す一例だ。彼らは1869年に、居住していた島を大日本帝国により併合され北海道と名付けられたことで、数世紀にわたりアイヌの伝統を破壊した同化プロセスの基礎が築かれたのだ。
本田教授は民族的には日本人だが、過去に札幌近郊のアイヌ民族が多く暮らす二風谷という地域に住み、そこで教員をしていたことがある。
彼女が札幌大学で奨学金制度とクラブを設立した当時、アイヌの血を引く人々のうちで大学教育を受けた者は推定20%ほどしかいなかった。そこで本田教授は、奨学生が新たなグループを通じて自身の伝統を学び、また広めることを望んだ。
「私たちはこのクラブで、文字通り共に成長しています」と、歴史文化を専攻するアイヌ人学生の織田瑞希さん(20)は語った。
織田さんは兄弟と一緒にアイヌの伝統歌謡を歌いながら育った。彼女の母親や祖母は、血筋のために差別され、彼女自身も似たような経験があるという。
「アイヌだから臭い、と言われたこともあります」と明かしてくれた。
金澤眞直さん(23・歴史文化専攻)は、民族的には日本人だが、アイヌの伝統的な狩猟手法に興味があり、同クラブに加入した。
しかし、中部地方の静岡県出身である彼女は、日本がアイヌ民族をどのように処遇してきたかを学ぶ中で、自分自身がそこにいてもよいものかと悩むようになった。
そんな折、アイヌ民族のある友人が「あなたはアイヌに興味があって学びに来たんだから大丈夫だよ」と、安心させてくれたと金澤さんは述べた。
北海道が日本に編入された際、アイヌ民族は日本語を話すよう強制され、女性の顔に施す入れ墨も含め伝統を放棄させられた。
そうした汚名がアイヌという血筋に刻まれたために、日本にいるアイヌ民族の人数を把握するのも困難だ。多くのアイヌ人が自身のルーツを隠そうとするのだ。
北海道が2017年に実施した最後の調査では、アイヌ民族の人数は1万3000人と推計された。
2019年、日本はアイヌ文化を保護する取り組みに資金を提供する法案を可決し、その翌年には、北海道白老町に「民族共生象徴空間」として、巨大な「国立アイヌ民族博物館・国立民族共生公園 – ウポポイ」がオープンした。
一方、そうした努力があまりにも少なく、またあまりにも遅いと批判をする人々もいる。
日本政府は「特定のアイヌ団体に補助金を出して、人々がアイヌ文化を学べるよう取り組んでいますが、そうしたマイノリティー優遇措置によって必ずしも個人が助けられるとは限りません」と、歴史社会学者の小熊英二氏はAFP通信に語った。
どのような支援がなされるべきかについては議論の余地もあり、ウレシパ奨学金制度は日本人に対する差別だと主張する人もいる。
「しかし、アイヌ民族の伝統は強制的な同化政策によって絶ち切られたのです」と本田教授は言う。
「もし伝統が絶ち切られていなければ、彼らにとっての世界は違っていたかもしれないのです。だからこそアイヌの若者には、彼らが享受していたかもしれない世界を再構築するための手助けが必要なのです」
ウレシパ奨学金を受けるためには、自身がアイヌの血筋であることを申告しなければならないが、それを怖がる学生もいると本田教授は述べる。
教授は、クラブが彼らの力になっていると信じており、また特にカナダやニュージーランドの先住民族と交流したことで、アイヌの学生たちも自身の血筋について話すことを「現在では怖がらなくなった」という。
織田さんは今でも時々、アイヌだと自己紹介をすると馬鹿にされることもあるというが、そうした状況を現在では「アイヌについて語る機会」だと考えていると語った。
「私は、アイヌ民族が日本の先住民族運動をリードすることを望んでいます」と彼女は述べる。
「もっと声を上げて、この問題を喚起していきたいです」と織田さんは語った。
AFP