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カイル・カマル・ヘロウ氏:レバノン出身、熟練の尺八奏者であり松涛館流空手家

カイル・カマル・ヘロウ氏は鍛錬に励みながら10年以上日本に留まった。指導に関しては国内で20年以上の実績がある。
カイル・カマル・ヘロウ氏は鍛錬に励みながら10年以上日本に留まった。指導に関しては国内で20年以上の実績がある。
カイル・カマル・ヘロウ氏は鍛錬に励みながら10年以上日本に留まった。指導に関しては国内で20年以上の実績がある。
カイル・カマル・ヘロウ氏は鍛錬に励みながら10年以上日本に留まった。指導に関しては国内で20年以上の実績がある。
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28 Feb 2023 01:02:42 GMT9
28 Feb 2023 01:02:42 GMT9

アミン・アッバス

真空館の創立者であり、JKS(日本空手松涛連盟)の指導員兼中東担当ディレクターを務め、尺八と空手の師範免許を持つカイル・カマル・ヘロウ氏が昨年9月、ドバイに空手アカデミーを開校した。

ヘロウ氏はJKSの六段を保有する松濤館空手道師範であり、JKS総本部の指導員養成課程を卒業しており、日本で唯一の外国人指導員である。尺八では、専門団体の竹盟社から師範免許を取得した。

ヘロウ氏は、鍛錬に励みながら10年以上日本に留まった。指導に関しては国内で20年以上の実績がある。

ヘロウ氏は、アラブニュース・ジャパンの取材に対して日本武術のインスピレーションを次のように語った。「1970年代後半の多くの子供たちと同じように、アラビア語に吹き替えられた日本のアニメを観て育ちました。『シンドバッドの冒険』や『アストロガンガー』、『宝島』などがあり、いちばん好きだったのは『UFOロボ グレンダイザー』です。兄と一緒によく観たそうしたアニメには、たくさんの戦闘がコンセプトとして盛り込まれていました。空手に興味を持ち始めたのは、10歳の頃です。当時はベイルートに住んでいました。松涛館空手の練習から帰宅した兄が(その風景が脳裏に焼き付いています)、練習中に受けた先生からの指導について話す様子を純粋な興味を持って見ていたのを覚えています」

2000年に来日し、日本空手松濤連盟の「全日本選手権」に出場したヘロウ氏は次のように述べた。「通常、全日本選手権は日本人のみが出場できる大会です。ところが、JKSの代表がたまたまアメリカのナショナルチームを選手権大会へ招待し、それに応じたチームに私は所属していました。大会に出場して、型の競技でベスト16に入ったことは私にとって素晴らしい成果となり、帝京大学の空手チームと一緒に稽古して日本に住むという可能性をその時、私に与えてくれました」

「JKS総本部道場と帝京大学の両方で香川先生やJKSの先生方から受けた稽古は、私が経験した中で最も素晴らしいものでした。偉大な指導者の下で鍛えられることは、空手家にとっての夢です。私のJKSへの思い入れと組織との絆は、稽古を重ねるほど強くなっていきました。JKSが空手道であることは、私にとって疑いようのない事実でした」

「JKSの先生方それぞれの特技から影響を受けましたが、私にとって最も大きな存在だったのは香川先生です。その事についてお話します。伊志嶺先生からは、しなやかで素速く、流れるような動きの影響を受けました。金山先生からは時間をかける自重トレーニングと、人並外れた訓練能力を学びました。山口先生から影響を受けたのは、相手に技を突き刺す爆発的な腰の動きです。稲田先生には説明し難い卓越した蹴り技があり、牧田先生の型は電光石火の早業です。松江先生にはJKSの型に関する正確で秀でた知識があり、そこに踏み込んだ応用が特徴です。私と一緒に受講を始めた永木先生と根平先生は、とてつもない能力を持った世界クラスのアスリートです。永木先生は、空手が型と組手の組み合わせであり、どちらか1つだけで成り立つものではないということを証明した人物です。彼は、全日本選手権の両種目で2度の優勝を果たしました」と彼は付け加えた。

ヘロウ氏は、日本空手松濤連盟の指導員課程を修了した初の外国人と見なされている。彼がさまざまな試験に合格し、合格のための課題を乗り越えるのには3年を要した(通常2〜5年かかるとされる)。

日本空手松濤連盟は、船越義珍氏、中山正敏氏、浅井哲彦氏という3人の優れた創立者の功績が生んだ非営利団体である。

JKSの前首席師範だった浅井哲彦氏は、中山正敏氏から現代空手を受け継ぎ、そこから新たな境地に踏み出した。浅井氏は2000年、武道空手のさらなる進化を目指して日本空手松濤連盟を設立した。そして、JKSの会員のみが稽古する独自の新しい型を作り上げたのだ。初段から五段までの順路型と17の古典型である。彼はまた、身体の不自由な人々のための斬新かつ大胆な車椅子空手道も創設した。

浅井名人は、集中的な回転運動と鞭のような四肢の動かし方によって空手道を高めたのである。武道空手についての彼の構想は、順路型と古典型に投影されている。それは、身体動作の完璧な制御によって強力な技を実現するというものだった。浅井名人は、71歳で重病を患いながらも息を飲むようなスピードとパワーを実演することができた。彼は、筋力の衰えた高齢者でさえも、蹴りであれ突きであれ爆発的な動きを生み出すことができると主張した。

ヘロウ氏によると、JKA(日本空手アカデミー)とJKSの主な違いは、浅井哲彦名人によって考案され磨かれた、JKAにはない新しい型をJKSが最近取り入れた点だという。

日本空手松涛連盟の指導員養成課程を日本で修了後、ヘロウ氏は2008年に初めてアラブ首長国連邦(UAE)を訪問した。そして2009年に家族と共にレバノンに戻って道場を始め、2020年に日本へ帰国するまで現地の人々に武道を指導した。ヘロウ氏は2022年9月にUAEへ戻り、腰を落ち着けた。そこで人々から受けた温かい歓迎と治安の良さに彼は大変喜び、感謝した。

ヘロウ氏は、アラブニュース・ジャパンの取材に応じて尺八にまつわる思い出やインスピレーションを語ってくれた。「人間である私たちには、無限の可能性があります。『UFOロボ グレンダイザー』の話に戻りますが、このアニメシリーズには笛の音が聴こえるエピソードがあり、私はその音に夢中になりました」

「1980年代半ばに大人になりながら、シンセサイザーを弾くようになりました。シンセサイザーの音を切り替えているときに懐かしい笛の音が聴こえて、画面に表示されたその音の名前が「尺八」でした。それで尺八について調べたのですが、当時はインターネットもユーチューブもありません。最終的に私が見つけたのは、米国在住で本物の尺八を持っていた先生です。その先生について尺八を学び始めました」

「日本に移住してからも尺八のレッスンを続けました。日本での私の最初の先生は、琴古流師範のクリストファー遙盟・ブラスデル氏です。その頃、彼は日本で30年以上暮らしていました。また、熟練の尺八製管師であり、海童道で指導も行う素川欣也氏にも学びました。最終的には、何年にもわたって尺八の製管師見習いとしてお世話になりました。お2人の下で学んだ私は、2019年に琴古流尺八団体の竹盟社から師範認定を受けました」と彼は付け加えた。

ヘロウ氏は、ソーシャルメディアのオンライン講座を通じて今も尺八の練習と指導を続けている。これは新型コロナウイルスの大流行中、彼にとって大きな助けとなった。

尺八の由来は、中国の竹笛である。竹笛は、7世紀に中国から日本に初めて伝わった。古代尺八とも呼ばれるその頃の竹笛は雅楽を演奏するためのものだったが、10世紀には廃れてしまった。正倉院の宝物庫には8本の古代尺八が残されている。古代尺八に関連する楽譜の記録はなく、その演奏方法や音階などの詳細は不明である。

ヘロウ氏は、アラブニュース・ジャパンに対して真空館(レバノン日本平和友好協会)の創立についても語った。「レバノンにおける調和、連帯、平和の促進を唯一の目的として、2013年にレバノンの3人の仲間たちと真空館を設立しました。生徒たちには、非公式な日本の教育プログラムを幅広く取り入れ、私たちが基本的価値とする忍耐、敏捷性、自制心、寛容、共感力や敬意などを認識し、実践できる環境を提供しています」

「2013年から毎年、日本から日本人指導員を招いて松濤館空手で1週間のワークショップを開催しています。毎年恒例の夕食会として「ガラ」で資金を集めたり、年に一度の全国選手権を開いたりもしています。さらに、平和促進のためのマラソン大会を実施し、恵まれない人々が松濤館空手を学ぶための支援も提供しています。しかし2020年8月4日にベイルート港で起こった大爆発の後、真空館の取り組みは、稽古のための授業料を支払えない人々への援助へと完全に切り替わりました。空手の稽古は、爆発で苦しんだ人々の精神衛生に非常に大きな効果をもたらしました。空手や尺八の鍛錬から得られる癒しが、経済的な制限によって妨げられてはならないと感じました」

今後の計画について、ヘロウ氏は次のように述べている。「現時点の主なプロジェクトは、私が手がけているアル・イン・スポーツ・空手アカデミーをドバイのコミュニティ内で広めることです。日本で、東京のJKS総本部で教えられているのと同じように松濤館空手道を指導するために、私はここへ来たのです。私はJKS指導員養成課程の卒業生であり、現在は六段で黒帯を持っています。私が基本的信念とするのは、技に精度と正確性を維持しながら、学びの過程を楽しみ、人格形成に役立てることです」

「アカデミーの施設があるのはメイダンのレバノン・フランス学園(LLFPM)内です。150平方メートルの空間を松濤館空手道の稽古用に整えました。空手アカデミーのアイデアは、生徒の一人がドバイで道場を開くよう勧めてくれたことから始まりました。目的としているのは、時間を最大限活用して、私を含め、指導員から学ぶことのできる生徒をより多く集めることです。JKS総本部から定期的にもっとたくさんの指導員を招き、空手稽古のレベルを上げ、JKSの地方や地域、また国際的なイベントで戦えるように、チームを育成できるようになりたいと考えています」

「JKSは、ここUAEで15年前から活動しています。私はJKSの中東地域担当ディレクターを務め、中東全体で30を超える支部道場の指導を監督しています。新型コロナウイルスの時代が段階的に終わろうとしている今、支部道場での私の直接指導が以前の状態へ戻り、癒しと活性化の時代へとつながっていくことを願っています」と彼は付け加えた。

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