
東京:被爆者である佐々木禎子さんは、12才で亡くなるまで折り鶴を作り続けた。現在禎子さんの親族が、これらの折り鶴をユネスコの「世界の記憶」へ登録しようと準備を進めている
禎子さんの親族は、2025年に折り鶴が登録されるよう、2024年に申請書を提出することを目指している。
広島市の平和記念公園に立つ「原爆の子の像」のモデルとなった佐々木禎子さん。禎子さんの兄、佐々木雅弘さん(81)は、一年前に始まったロシアによるウクライナへの侵攻に触れつつ、「禎子の折り鶴を通し、人々が思いやりをもって他の人とつながることができたら、私たちはこの戦争を止められるかもしれません」と語った。
広島は、第二次世界大戦末期の1945年8月6日、米国が投下した原子爆弾により壊滅的な打撃を受けた。広島市の自宅で被爆した時、禎子さんは2才だった。それから10年後禎子さんは白血病を発症し、病院に入院中、回復を願って折り鶴を折り続けていたが、その思いも虚しく亡くなった。
雅弘さんの次男で、東京に本部を置く非営利団体SADAKO LEGACYの副理事長を務める佐々木祐滋さん(52才)は、折り鶴の他、禎子さんが血液検査の結果を知らせる紙に残した手書きのメモや医療記録についても「世界の記憶」へ登録する取り組みが進行中であると述べた。
祐滋さんによると、SADAKO LEGACYでは、文部省の担当者と協議しながら、広島市や県と協力し、米国のハリー S. トルーマン大統領図書館・博物館と共同で「世界の記憶」への登録申請書を提出する予定である。
「2025年は、広島へ原爆が投下されてから80年の節目にあたり、仮に2025年に(これらの品目が)登録されれば、私たちは、戦争の悲劇や核兵器の恐ろしさを人々に伝えることができます。戦争の記憶が薄れつつある中、私たちはバトンを次の世代に引き継ぎたいと願っています」と祐滋さんは語った。
時事通信