
自民党一党支配を軸とする「55年体制」崩壊後の1990年代前半に巧みな政治手腕で政局の立役者となり、新党さきがけ代表や官房長官、蔵相を務めた武村正義(たけむら・まさよし)氏が9月28日、死去した。88歳だった。滋賀県出身。
東大経済学部を卒業し、旧自治省に入省。滋賀県知事を経て、86年、衆院旧滋賀全県区で自民党から初当選。連続当選4回。93年6月、政治改革を訴え、鳩山由紀夫氏(元首相)らと同党を集団離党してさきがけを結成した。
93年8月、非自民の細川連立内閣で官房長官に就任したが、政権運営をめぐって、小沢一郎新生党代表幹事(当時)と激しく対立。さきがけは94年4月の細川内閣退陣を受けて連立を離脱、同6月に自民、社会両党と村山連立内閣を誕生させ、武村氏は蔵相に就いた。
96年9月に鳩山氏が旧民主党を旗揚げし、さきがけ所属議員の大半が鳩山氏と行動を共にしたが、武村氏は合流を拒まれ、「排除の論理」と言われた。2000年の衆院選で落選し、01年に健康上の理由から政界を引退。04年に旭日大綬章を受章した。
時事通信