
ラファ、パレスチナ自治区:テントとして据え付けられたビニールシート、火を起こすためにあちこちから集められた枝 — ガザの南端部で、自宅を追われたパレスチナ人たちは精一杯の生活をしている。
数千人のパレスチナ人が、ガザ南部の主要都市で、現在イスラエル軍に包囲されているハーン・ユーニスを逃れ、エジプトとの閉ざされた境界から10km(6マイル)足らずのところにあるラファへ向かって避難している。
多くの人々は、この数週間で既に一度避難しており、北部におけるイスラエルとハマスの激しい戦闘を逃れて南部にやってきた。
「ここに到着しても避難する所はなく、昨夜は雨に降られました。何も食べるものがなく、パンも小麦粉もありません」と、ガッサン・バクル氏はAFPに語った。
ラファの食料品店は、ガザの他の場所と同様に空っぽだ。市場では、まだ自分の土地を耕すことができる農家の人々がトマト、タマネギ、キャベツなどの野菜を売っている。
歩道では、慈善団体が用意したセモリナ粉の大きなつぼに子どもたちが飛びつき、ボウルやプラスチック容器で粉を底からかき集める。
ガザ地区のパレスチナ人は「徹底的な、深刻化しゆく惨劇」の中で暮らしていると、国連の人権問題責任者が、戦争開始から2か月を迎えようとする6日に述べた。この戦争により、ガザ地区で暮らす240万人のおよそ4分の3が避難を強いられている。
戦闘のきっかけとなったのは、ハマスによる10月7日のイスラエルへの残虐な攻撃で、この攻撃の際に240人の人質が連れ去られ、民間人を主とする約1200人が殺害されたと、イスラエル当局は発表している。
ハマスが運営するガザの保健省は5日に、イスラエルの作戦開始以降に16,248人が死亡しており、その70%以上が女性と子供だと発表した。
建設途中の建物の間の砂地にその場しのぎのテントが立ち並び、その間に洗濯物を干すための紐が張られている。
周囲にはスーツケース、薪の山、タンクを手に水を求めてさまよう避難民たちの姿がある。
「爆撃、破壊、リーフレットの投下、脅迫、そして電話による避難してハーン・ユーニスから離れろという呼びかけがありましたが、どこへ行けというのでしょう」と、ハーミス・アル・ダル氏は問いかけた。
ガザ住民の80%以上は、1948年のイスラエル建国の際に自分の土地から追い出されたり、立ち去ったりした難民か、その子孫だ。
「私たちをいったいどこに行かせたいというのでしょう」と、加えて述べるダル氏の怒りは増していく。
「私たちはハーン・ユーニスを去り、今はラファのテントにいて、屋根もなく、壁もありません」
ハーン・ユーニスでは、6日にも戦闘が続いた。通常は人けのない通りで、数少ない残った住民たちがイスラエルの攻撃による瓦礫の中を通り抜け、負傷者が病院へと運ばれていく。
「私たちが座っていると、突然攻撃がありました。私は落ちてきた石で頭を打ちました」と、フセイン・アブ・ハマダ氏はAFPに語った。
「私たちは打ちのめされ、精神的に参っています」と、同じく襲撃を生き延びたアマル・マフディ氏は述べた。「この状況から抜け出す手立てを見つけ、助けてくれる誰かが必要です」
6日午後に、イスラエル軍が街の上空からまいたリーフレットにはコーランの一節が記されていた。「そして、彼らが悪事をはたらく間に洪水が彼らを飲み込んだ」。これは明らかに、ハマスが「アル・アクサの洪水作戦」と名付けた10月7日の攻撃のことを指している。
このリーフレットについての質問に、イスラエル軍から直ちに返答はなかった。
「私たちがどんな悪さをしたのでしょう」と、ウンム・シャディ・アブ・エル・タラビーチ氏は北部から避難してきたあと、ラファで問いかけた。
「私たちは銃を持っておらず、テロリストではなく、何も悪いことはしていません。私たちは無防備な市民です。ある場所からまた次の場所へと避難先を求めてきて、そして今、彼らはこんなものをまくのですか」と、彼女は述べた。
「これらの言葉で何がしたいのでしょうか」
AFP