Since 1975
日本語で読むアラビアのニュース
  • facebook
  • twitter
  • Home
  • 中東
  • ネルソン・マンデラのパレスチナ支持は、南アフリカがイスラエルを提訴したジェノサイド訴訟も耐えぬく

ネルソン・マンデラのパレスチナ支持は、南アフリカがイスラエルを提訴したジェノサイド訴訟も耐えぬく

「我々はこれまでもずっとパレスチナ人の味方だった。これからも、パレスチナ人の兄弟姉妹の味方であり続ける」。マンデラ氏の孫であるマンドラ・マンデラ氏は、10月にケープタウンで行われた親パレスチナの集会でこう語った。(AP filephoto)
「我々はこれまでもずっとパレスチナ人の味方だった。これからも、パレスチナ人の兄弟姉妹の味方であり続ける」。マンデラ氏の孫であるマンドラ・マンデラ氏は、10月にケープタウンで行われた親パレスチナの集会でこう語った。(AP filephoto)
Short Url:
11 Jan 2024 11:01:11 GMT9
11 Jan 2024 11:01:11 GMT9
  • 長年にわたる南アフリカによるパレスチナ人への支持は、ネルソン・マンデラとヤーセル・アラファトの時代にまで遡ることができる

ケープタウン:ネルソン・マンデラ氏は1990年、刑務所から釈放されてからわずか2週間後に、人種隔離を強制した南アフリカのアパルトヘイト制度との闘いを支援してきた、アフリカの指導者らと会うためザンビアに飛んだ。

空港の駐機場には、マンデラ氏を出迎えようと心待ちにしていたダークスーツに身を包んだ男たちの中に、一際目立つひとりの人物がいた。パレスチナの指導者、ヤーセル・アラファト氏だ。頭に白黒の格子模様のクーフィーヤを着けて、釈放されたばかりのマンデラ氏に会いにきていた。

アラファト氏はマンデラ氏を強く抱擁し、両頬にキスをした。マンデラ氏は満面の笑みを浮かべた。それは、自由を求める自国民の闘いは同じであると考える、二人の男の間で結ばれた連帯の証だった。

南アフリカ国民はパレスチナの大義を支持し続けており、同国はガザ戦争においてジェノサイド(民族集団虐殺)が行われているとして、イスラエルを国際司法裁判所(ICJ)に提訴するという、異例の手段に出た。

南アフリカは外交で影響力を有する国ではないし、地理的にも戦地のガザから遠く離れている。しかし、マンデラ氏が反アパルトヘイト解放運動から政権政党へと導いた、与党のアフリカ民族会議(ANC)は、マンデラ氏が2013年に亡くなった後も、強力な親パレスチナの立場を貫いている。

「我々はこれまでもずっとパレスチナ人の味方だった。これからも、パレスチナ人の兄弟姉妹の味方であり続ける」。マンデラ氏の孫であるマンドラ・マンデラ氏は10月、イスラエル南部をハマスが攻撃してガザで戦争を引き起こした数日後に、ケープタウンで行われた親パレスチナの集会でこう語った。ANC所属の議員であるマンドラ・マンデラ氏は、大勢の聴衆に向かって演説した時、白黒のパレスチナのクーフィーヤを首にかけていた。

かつてネルソン・マンデラ氏は繰り返し、パレスチナ人がおかれている酷い状況について触れた。南アフリカでアパルトヘイトと少数派の白人による支配が撤廃されてから3年経った1994年、マンデラ氏はすべての人種が参加した歴史的な選挙で大統領に選ばれた。同氏は国際社会からの支援に感謝しながらも、次のように述べた。「ただ、パレスチナ人にも自由がなければ、私たちの自由も完全ではないと痛感している」

マンデラ氏や彼の後を継いだ南アフリカの指導者らは、イスラエルがガザ地区とヨルダン川西岸地区のパレスチナ人に強いた制限と、アパルトヘイト時代の南アフリカの黒人への対応を比較して、この二つの問題は基本的に自国で抑圧されている国民についての問題であると捉えた。イスラエルはアパルトヘイト政策をとる南アフリカ政府に対し、兵器システムを提供し、表では公式にアパルトヘイトを非難した後も、裏では1980年代半ばまで密かに軍事関係を維持していた。

ANCは今回の戦争以前から一貫して、イスラエルを「アパルトヘイト国家」と非難してきた。国際人権団体も、パレスチナ人に対してアパルトヘイトの罪を犯しているとイスラエルを非難しており、このことが「南アフリカと強く共鳴している」と、南アフリカの人権派弁護士であるタムサンカ・マルシ氏は説明した。

マルシ氏は、南アフリカ政府に携わる多くの人がアパルトヘイトの抑圧を経験しており、その経験がICJにイスラエルを提訴する決断になっているかもしれないと述べた。

ノーベル平和賞を受賞した政治家であるマンデラ氏も、平和的解決を促そうとしてイスラエルに働きかけたが、南アフリカでは反イスラエル論が年々強まり、時には日常生活にまで浸透している。たとえば、ANCの青年部が南アフリカのスーパーチェーン店に対しイスラエルの商品を取り扱わないように圧力をかけて、従わない場合は強制的に営業停止させると脅したことがある。

イスラエルによるガザへの攻撃をきっかけに、南アフリカでは改めてパレスチナの大義への連帯が強まった。ケープタウンとヨハネスブルグでは数千人がガザを支持するデモ行進を行い、戦争勃発後の数週間で、ケープタウン近郊のボカープの建物には親パレスチナの落書きが描かれた。

南アフリカのシリル・ラマポーザ大統領(ANCの現指導者)は、今回の戦争では、イスラエルとハマスの双方が、同氏が言うところの残虐行為を行っており、そのことを非難している。しかしその一方で、同氏はクーフィーヤを身に着け、パレスチナ国旗を掲げて、公の場に現れた。10月7日にハマスによる攻撃を受けたイスラエルに弔辞を送っているが、南アフリカがどちらを支持しているかについては、ほとんど疑問を差し挟む余地はない。

マンドラ・マンデラ氏を含むANC高官は先月、イランにいるハマスの最高指導者を含む幹部3人を南アフリカに招待した。ハマスの幹部らは、故ネルソン・マンデラ元大統領とパレスチナの大義との歴史的なつながりを鑑みて、政府の所在地に設置された元大統領の銅像の前で執り行われた、元大統領没後10年周年の式典に出席した。

ICJでの審理が開始される前夜の10日、ヨルダン川西岸地区の町ラマッラーのパレスチナ住民は町にあるマンデラ氏の像の周りに集まり、パレスチナと南アフリカの国旗を振ったり、「南アフリカ、ありがとう」と記されたプラカードを掲げたりした。

しかしハマスの南アフリカ訪問は、誰からも歓迎されたわけではなかった。

南アフリカの野党第一党は、米国や欧州連合と同様、ハマスはテロ組織とみなしており、南アフリカにおいてパレスチナ人を支持することは、人種的に複雑な意味合いを帯びると発表している。アパルトヘイトの時代に残忍なやり方で抑圧されてきた黒人と混血の南アフリカ人は、パレスチナ人支持の最前線に立ってきた。南アフリカでは少数派の白人の間では、支持はさほど目立たない。

ANCが率いる南アフリカ政府は、イスラエルを提訴したジェノサイド訴訟においては善悪の判断を重視する立場をとっており、まずイスラエルに対し、2万3300人以上(ガザ保健当局によると、3分2が女性と子ども)のパレスチナ人を殺害しているガザへの攻撃を停止する命令を出すよう求めているという。

しかしこの提訴は、ANC自身が国際刑事裁判所(ICC)の命令を無視したことがあるとして、偽善であるという非難が巻き起こった。

ANC政権は、当時スーダン大統領だったオマル・アル・バシール氏が2015年に南アフリカを訪問した際、ICCによりジェノサイドの容疑で逮捕令状が出されていたにもかかわらず、逮捕を拒否した。南アフリカはまた、ウクライナ侵攻以降もロシアとウラジーミル・プーチン大統領との強い結びつきを保っており、プーチン氏はウクライナからの子どもの連れ去りに関与したとして、戦争犯罪容疑でICCから逮捕状が出ているが、これも見逃している。

AP

特に人気
オススメ

return to top