
ガザ:数週間にわたるイスラエル軍の砲撃で、行き場を失った数百人のパレスチナ人が、殺人者や泥棒を収容するために建てられたガザの刑務所跡地にたどり着いた。
ヤスミン・アル=ダルダシさんによれば、ハーン・ユーニス南部の地区からガザ中心部の元刑務所に避難する際、助けることのできなかった負傷者らとすれ違ったという。木の下で一日過ごした後、刑務所跡地に移動し、現在は礼拝室で暮らしている。暑い日差しを避けることはできるが、それ以外は何もない。ヤスミンさんの夫は、片肺しかなく腎臓を患っているが、マットレスも毛布もない。「ここに定住するわけではありません」とヤスミンさんは語り、多くのパレスチナ人と同様、再び居場所を奪われることを恐れている。
イスラエルは、民間人を保護するために全力を尽くしていると主張している。
多くのパレスチナ人が、何度も避難を余儀なくされており、ガザの大部分を瓦礫と化したイスラエルの砲撃から自由な場所はどこにもないと言う。
7月13日、イスラエルによる空爆で、アル・マワシ地区の「人道地帯」にいた少なくとも90人のパレスチナ人が死亡した、とガザの保健省が発表した。イスラエルによると、この空爆はハマスのムハンマド・デイフ司令官を標的としたものであるという。続く18日、同保健省は、ハーン・ユーニス東部に対するイスラエル軍の攻撃で14人が死亡したと発表した。
世界で最も人口密度の高い場所のひとつであるガザでは、長い間貧困と失業が蔓延し、一帯は平地と化している。国連によれば、ガザ全域で10人に9人が国内避難民となっている。
イスラエル兵は、サリア・アブ・ムスタファさんら家族に、戦車が向かっているから安全のために避難するよう告げたという。一家は着替える暇もなく、礼拝着のまま出発した。砂漠の上で寝た後、サリアさん家族らも、度重なる攻撃でできた穴だらけで瓦礫の散乱する刑務所跡地に避難した。刑務所の服役囚らは、イスラエル軍の侵攻前に釈放されている。「避難するとき、何も持ちだせませんでした。多くの女性には5、6人の子どもがいますが、なかなか水が手に入りません」と戦争中に生まれ、父親と兄弟を亡くした姪を抱きながら、彼女は語った。
ガザの保健当局によると、10月7日以来、イスラエルの空爆と地上攻撃で39,000人以上のパレスチナ人が死亡したという。
ハナ・アル=サイード・アブ・ムスタファさんは、6回の避難を経て刑務所跡地に到着した。エジプト、アメリカ、カタールの仲介国が、以前から停戦実現は近いとしているが、もし実現できなければ、彼女や他のパレスチナ人は再び避難を余儀なくされるかもしれない。「どこに行けばいいのでしょう?どこに行っても、安全な場所なんてありません」とハナさんは語った。
ロイター