
ナディム・シェハディ & オルガ・カヴラン
ニューヨーク/ベイルート:レバノン特別法廷(STL)が深刻な財政危機に直面し、閉鎖の危機に瀕している。STLによる最近の判決や、同法廷がその任務を完遂することがきわめて重要であることを強調することが急務だ。
2回目の重要な裁判を目前に控えた今、STLを閉鎖することは、国際刑事裁判全体、特にレバノンに影響を与える誤った危険なメッセージを送ることになるだろう。
レバノンおよび同地域で暗殺事件が続く中、STLは、ルールに基づく国際秩序が多国間のイニシアティブを通じていかに正義の力を発揮できるかを示すユニークな存在だ。
国連安全保障理事会の決定が拒否権によって麻痺している今日において、このような機関を創設こそは困難であろう。したがって、STLを閉鎖することは不可逆的な決定であり、その結果生じる損害は想像を絶するものになるだろう。
レバノン、シリア、イラク、パレスチナ、そしてこの地域の新しい世代は、指導者と国際社会に正義と説明責任を求めている。法廷を支援し、その任務を完了させることは、より良い未来を求めるこれらの願望を支えるものだ。
STLはこれまで以上に必要とされており、私たちはその閉鎖ではなく拡大について議論すべきだ。STLは、テロリズムを国際犯罪とみなした初めての法廷だ。テロと戦うために何兆ドルも費やしてきた。国際社会は、テロと合法的に戦うための唯一の手段であるSTLに数百万ドルを出し惜しむべきではない。
STLは、ラフィク・ハリーリ元首相の暗殺から15年以上が経過し、8月4日の港での大爆発からわずか2週間後の2020年8月18日に判決を下した。判決では、サリム・アイヤシュに有罪判決が下されたが、ヒズボラやシリア政府を非難するには至らなかった。
この判決は、レバノン国内ではほとんど無視された。一方で、港での大爆発をはじめとする国内で起きた多くの未解決の犯罪に対して、正義と説明責任を果たすために、国際的な支援を求める声が絶えない。
STLの判決はレバノンに説明責任をもたらした。また、同判決は、STLが国連安全保障理事会によって創設されたという文脈の中で適切に解釈される必要がある。判決の重要性を評価するには、国際刑事裁判のプロセス、その限界、およびSTLに課せられた特定の制限を明確に理解することが不可欠だ。
判決への失望は、非現実的な期待やその厳格な手続きへの理解不足に加え、その権限の狭さや判決に至るまでの時間の長さに対するもっともな懸念が組み合わさったものだ。
また、真実、正義、説明責任という3つの独立した目的の間でも混乱が生じている。STLは、その権限、規則、手続きの厳格さという制約の中で、これらを部分的にしか達成できない。しかし、だからといって、その調査結果の重要性や判決の力が弱まる訳ではない。
ハリーリ氏の暗殺事件から15年、正義の遅れは正義の否定とみなされた。有罪になったのは一個人だけであり、真実は部分的なものだ。また、被告の逮捕なしに説明責任と正義は達成できない。
これらの結果に対する批判は、STLが創設されてからこの判決が出るまでに直面した課題を反映したものでもある。この結果から得られた成果は、それを得るためにレバノン人が払った犠牲に見合っていないと見なされたのだ。
また、ベイルートでの大爆発を契機としたレバノンの多面的で深刻な危機により、STLの判決の意義は見劣りしているが、この判決を無視することは重大な悪影響を及ぼすため、この機会を逃さないことが肝要だ。
STLの設立は困難な状況の中で達成された。最初から国内、地域、国際的な反対があった。
レバノンの内戦では、これまで誰も責任を問われていない苦難の歴史があり、同国の歴史上、何十件もの政治的暗殺が行われてきたことを考えると、一人の男の暗殺にこれほど高価で複雑な法的手段が必要だと主張することは困難だった。
また、国際法上のテロリズムの定義や、有罪判決を受けても犯人逮捕の可能性がほとんどないことがわかっている中での欠席裁判の正当化なども課題となっていた。また、STLは、他の同様の法廷に比べてはるかに不安定で、具体的な成果が得られないのではないかという重大な懸念もあった。
しかし、現在の国際情勢を考えると、STLは大きな成果を上げ、国際刑事裁判の分野に多大なる貢献をしたといえるだろう。
レバノンのデモ参加者たちは、2005年のハリーリ氏暗殺事件の後、「真実」を求めた。よりシンプルな言葉で言えば、つまり、誰が実行したのかを知りたかったのだ。
STLは答えを示した。22人が死亡し、200人以上が重傷を負い、ベイルートの大部分が壊滅したこのテロは、組織化され、統制のとれた個人のグループによって実行されたのだ。次回は、この事件と他の暗殺事件との関連性についても検証される予定だ。
法廷のウェブサイトで公開されている判決文は、ここ数年のレバノンに関する重要かつ司法的に検証された事実が2,641ページにわたって記載されている。これは、歴史家、調査ジャーナリスト、政治アナリストが意見を形成するために通常分析する量をはるかに超えている。
ユーゴスラビア法廷の所見と同様、STLの判決はレバノンにとって非常に重要だ。なぜなら、2005年2月14日に起こったことだけでなく、「パックス・シリアーナ」と呼ばれた時代の数ヵ月、数年の間に起こったことについての情報の宝庫だからである。
また、この法廷の厳格なプロセスは、判決文に記載されたすべての事実が否定できないものであり、「合理的な疑いを越えて」立証されたものであることを意味する。
そのため、判決文はそれ自体としてよりも政治的な意味においてはるかに重要であり、並行して大きな政治的成果をもたらし、最終的にはこの地域で初めて原則としての説明責任を確立することができる。
真実を扱うのは難しいことだ。どの社会にも、歴史上の困難な記憶やエピソードに対処する方法がある。レバノンには「前へ進む(Moving on)」という文化があり、過去は過去だという考えが深く浸透している。
しかし、STLのようなプロセスを経て得られた真実は、うやむやにしたり否定することはできない。そういう真実に対処することは社会を強くすることになる。
レバノンで起こったことは、レバノンに留まることなく、同様の暗殺やテロに苦しむ地域全体に影響を与えるのだ。