


イラク・ソラン:イラク北東部にある素朴な家で、マリヤム・ヌリ・ハマ・アミン氏の両親が愛する娘の死を悼んでいる。マリヤム氏は英国の婚約者に会いに行こうとして溺死した。
「娘はもっと良い暮らしを望んでいた」と、父親のヌーリ・ハマ・アミン氏は言った。娘が英仏海峡の冷たい海の中に消えて数日たち、今もショックから立ち直れないでいる。「でも、海に沈んでしまった」
マリヤム氏は、家族からクルド語で「雨」を意味する「バラン」の愛称で呼ばれていた。水曜日にゴムボートがフランスのカレー港沖で沈没したために死亡した少なくとも27人の移民の1人である。
この沈没事故は、2018年に移民が一斉にボートを使ってイングランドへ渡り始めて以来、最悪の惨事になった。
「密入国の請負業者については何もわかっていない」と父親はソランの自宅で言った。ソランはイラクの自治区クルディスタン地域にあり、娘が亡くなった場所から約3,700キロメートル(2,300マイル)離れている。
「業者の約束は結局ウソだったのだ」
20代のマリヤム氏は婚約者のカルザン氏と暮らすことを切望していた。彼もイラクのクルディスタン地域出身だが、英国に定住していた。
カルザン氏は、マリヤム氏がフランスから危険な海に出るときに電話で話をしていた。そして、イラクの家族に彼女の死を伝えてきたのは彼だと、彼女の従兄弟のカファン・オマール氏は言った。
マリヤム氏がフランスを発つ直前に父親は電話で数時間話した。
「とても幸せそうで、落ち着いていた」と彼は言った。「娘はフランスのホテルにいて、朝8時まで話した」
沈没事故の後、乗員の遺体はフランスの遺体安置所に置かれている。男性17人、女性7人、未成年者3人の身元と国籍に関する公式発表は出ていない。
だが、マリヤム氏の自宅にはおよそ100人の親戚が集まり、彼女の死を悼んだ。
土曜日には、クルドの民族衣装を着けた何十人もの男性が座って祈りを唱えた。
近くの大きなテントのシェルターの下で、黒い式服姿の女性が喪に服していた。マリヤム氏の母親は悲嘆のあまり話もできない状態だった。
自宅のマリヤム氏の部屋は、さっきまで彼女がいたかのようにきちんと片付いている。
ベッドの上には、マリヤム氏と婚約者の婚約式のときの写真が2枚並んでいる。写真には、凝ったヘアスタイルにティアラを付け、刺繡で飾られた民族衣装を着た若い女性が写っている。
白いバラの花束がひとつ、ベッドの上に置かれていた。
従兄弟のカファン・オマール氏は、マリヤム氏が家を出たのは1カ月近く前だと言った。
「就労ビザをとってイタリアに行き、それからフランスに移った」と彼は言った。「私たちは彼女を婚約者のいる英国に何度も送り出そうとしたが、うまくいかなかった」
マリヤム氏は、過去数カ月に希望を抱いて故郷のこの地域を出た何千人もの若者の1人にすぎなかった。
何千人もの移民(その大半がイラクのクルド人)が、ポーランドや欧州連合加盟国に渡ろうとしてベラルーシとの国境で立ち往生している。冷たい試練に打ちのめされて、飛行機で送還される人もいる。
移民を試みるイラク人の多くは、イラクの経済的困難から逃れて新しい生活を始めるために貯金を使い果たし、貴重品を売り、借金さえしたと語る。
マリヤム氏の家族の近親者であるケルマジ・エザット氏は、イラクのクルディスタン地域の若者たちは、主にこの地域の「不安定さ」を理由に出て行くのだと言った。そして、そのような渡航を阻む政策を非難した。
「これらの諸国は、より良い将来を夢みる若者に対して国境を閉じている」と彼は言った。
マリヤム氏の父親は、西に行きたいと望む人々にメッセージを伝えた。
「若者たちには、ヨーロッパを目指して命を失うよりは、移住せず、ここでの困難に耐えるように呼びかけたい」と彼は訴えた。
AFP