
ナジャ・フーサリ
ベイルート:金曜日に米国で小説家のサルマン・ラシュディ氏を刃物で襲った、ヘイディ・マタール容疑者の父親は、会話を全て拒んでいる。24歳である息子の犯行を耳にして以来、レバノン南部の村ヤルーンにある自宅には、村長を含め、訪問は一切受け入れていない。
アリ・カセム・トゥーファ村長は、アラブニュースにこう語った。「マタール氏の両親は10年前から別居している。家族を米国に残し、父親はヤルーンへと戻った。彼の父親は家業である畜産業を再開し、数頭を飼育している。周囲との社交はほとんどなく、誰とも口をきかない状態だ。」
ヤルーンはベイト・ジュベール地区のマルーン・アル・ラスという町の近くにある村で、ベイルートからは約125キロ離れている。以前は、ヤルーンは農業と畜産の村として有名だった。
ヤルーンは国境に位置する村で、1970年代のイスラエルによるレバノン南部占領の際に多くの住民が見捨てられた。占領以前に移住した住民もおり、現在は約500人の住民しか残っていない。しかし、夏休みなどの休暇で一時帰国する在外者によって住民数は増え、9,000人のヤルーン出身者がいると記録されている。
村長の説明によると、ヤルーンにはキリスト教徒とイスラム教徒の両方が居住しており、移住者の多くはオーストラリアや南北アメリカに居住している。
ヤルーン出身のジャーナリスト、サメル・ウェベ氏はこう語る。「海外への移住者が徐々に村へ戻ると、彼らは現地で住んでいた家と同じような素敵な家を建てるため、村からは裕福そうな印象を受ける。しかし、大半の村民は永住しているわけではなく、休暇など特別な機会にレバノンに帰省した時だけここに居住している。ヒズボラがイスラエル占領時に大勝利を収めたマルーン・アル・ラスに村が隣接しているため、ヒズボラ寄りの地域に位置していると言えるが、住民の政治的立ち位置は曖昧である。」
トゥーファ村長によると、マタール氏は米国で生まれ育った。「私は6年間村長を務めているが、村で彼を見かけたことはない 。」
トゥーファ村長はこう説明した。「マタール氏の母親もヤルーン出身だが、夫とは付き合いはない。母親の名前はシルヴァナ・フィルダウスと言う。マタール氏には妹が一人いて、彼女も母親と一緒にアメリカに住んでいる。」
さらに、「ニュースを聞き、主に『なぜマタール氏はあんな事をしたのか』という点について、村民は疑問に感じている。誰も彼(マタール氏)の事を個人的に知らないということを念頭に置いて、彼の犯行を非難しているのだ。」
ソーシャルメディア上の活動家らの反応は多様だった。ある人物は、マタール氏は「一人のレバノン系アメリカ人として、深刻なアイデンティティ・クライシスに陥っていたようだ」と考察した。
ヒズボラは、ラシュディ氏襲撃について発言を控えた。ロイター通信によると、ヒズボラは 「小説家サルマン・ラシュディ氏に対する刃物での襲撃事件について、追加情報は持っていない」と、ある関係者が語ったという。さらに、その人物は「我々は本件について何も情報を持っていないため、コメントは控える」と付け加えたという。
しかしここ数日、ヒズボラのハッサン・ナスラッラー書記長が支持者にラシュディ氏を殺害するよう扇動している昔の映像が、ソーシャルメディア上で出回っている。