






ジョナサン・ゴーナル
ロンドン:昨年11月、チャールズ皇太子(当時、以下同様)とカミラ夫人は、英国王室メンバーとしては新型コロナウイルスパンデミック発生以降初となる外国訪問を開始した。このような外遊はパンデミックにより2年前から一時的に停止していた。
皇太子の最大の関心についてよく知る者にとっては、訪問先として中東が選ばれたことは驚きではなかった。
ヨルダンとエジプトを訪問した皇太子は、異なる信仰や文化の間の架け橋を築くことへの生涯にわたる献身を示し、自身が常に深く関わってきた地域に対する魅惑と愛を表明した。
皇太子はヨルダン訪問中、多くがシリア内戦によって避難してきた難民のために同国で行われている取り組みに対する称賛をしきりに表明した。
キング・アブドゥラー公園シリア難民キャンプを訪問中、子供たちと遊ぶチャールズ皇太子。2013年3月13日、アンマンの北にあるラムサ市。
皇太子は、地域各地の難民の窮状を特に懸念していた。2020年1月には、皇太子が国際救済委員会のイギリス初のパトロンとなることが発表された。同委員会は、「人々が生存し、回復し、未来を自らの手にすることを助けるために」40ヶ国で活動している組織だ。
皇太子はヨルダンで、国内にいる75万人の難民のうちの何人かと会って声をかけた。難民の多くはイギリスやサウジアラビアを含む援助提供国からの支援に依存している。
皇太子は、多くの場合イギリスと密接な関係を持った中東地域の歴史に造詣が深い。ヨルダン訪問中は、イギリスとヨルダンの提携関係の象徴として、またヨルダン・ハシェミット王国の建国100周年を記念して、一本の木を植えた。ヨルダンは、第一次世界大戦でオスマン帝国が連合国に敗れたことで生まれ、1946年にようやくイギリスの委任統治からの独立を果たした。
カイロでは、皇太子と夫人はアブドゥルファッターハ・エルシーシ大統領に迎えられた。皇太子にとって2度目のエジプト訪問だった。前回の訪問は2006年で、サウジアラビアも含む歴訪の一環だった。この歴訪は、宗教間のより良い理解と寛容を促進するため、また環境に関する取り組み、および持続的な雇用機会や若者の訓練の促進を支援するために行われたものだった。
アル・アズハル・モスクに到着したチャールズ皇太子とカミラ夫人を迎える、同モスクのグランド・イマームであるアフマド・アル・タイーブ師(中央左)。2021年11月18日、カイロ。(AFP)
皇太子は、カイロのアル・アズハル・モスクを訪問後にアル・アズハル大学で行ったスピーチで、宗教間調和に尽力していくことを強調した。
「私は心から信じます。責任感を持った人間は宗教間の相互尊重を回復するために努力すべきであること、また多くの人々の命を害する不信を克服するために我々にできることは全て行わなければならないということを」
チャールズ新国王は、木曜日に死去した母親と同様に、エキュメニズムや宗教間の調和の促進に常に献身してきた。
チャールズ3世国王は、イングランド国教会の最高統治者の地位および「信仰の擁護者」の称号をエリザベス2世女王から継いだ。新国王は前女王と同様に、この地位は「全ての信仰の擁護者」であるべきだと見なしていることを常に明言してきた。
2015年のBBCによるインタビューにおいて、皇太子はこう語っている。「常々思っているのですが、信仰の擁護者であると同時に、複数の信仰の庇護者であることもできるのです」
「国教会には、この国のあらゆる信仰の自由な実践を保護する義務があります」
イギリスには300万人以上のイスラム教徒がおり、イスラム教が国内で2番目に大きい宗教である。また、チャールズ新国王のイスラム教に対する関心は良く知られている。
サウジ障害者スポーツ連盟の施設でバスケットボールの練習試合を始めるチャールズ皇太子。2004年2月10日、リヤド郊外。(AFP)
ヨルダン、クウェート、サウジアラビア、カタール、UAEを回った2015年の中東歴訪の際には、皇太子が歴訪までの6ヶ月間に家庭教師からアラビア語を習っていたことが明らかになった。コーランを原語で読めるようになることと、中東を何度も訪れる際に博物館などの施設で碑文をもっと良く解読できるようになることが目標だったという。
王室の側近の一人が明かしたところでは、皇太子は「この地域に多大なる関心を寄せている」とのことだった。
1960年代のケンブリッジ大学在学中にトリニティー・カレッジで考古学、人類学、歴史を学んだチャールズ皇太子は、イスラムの歴史、芸術、文化に対する情熱を持っていることで知られ、中東の遺産に対して常に大きな関心を払ってきた。
特に、アル・ウラーとその周辺や、2008年にユネスコ世界遺産に登録された古代ナバテア人の都市ヘグラで行われている大規模な考古学調査には注目しており、数回訪問もしている。
サウジ観光局長(当時)のスルタン・ビン・サルマン王子に付き添われて、古い歴史を持つ町アル・ウラーを訪問したチャールズ皇太子。2015年2月11日、メディナ州。(AFP)
2013年のサウジアラビア訪問時にはワディ・ハニファのツアーを楽しみ、古い歴史を持つワディを、ディルイーヤ(第一次サウード王国の首都でありサウジアラビアの発祥地)の遺跡を中心に保全しつつ世界的文化観光地へと作り変えるディルイーヤプロジェクトのプレゼンテーションを大きな関心を持って見た。
皇太子は熱心なアーティストであり、その関心は皇太子の個人ウェブサイトprinceofwales.gov.uk(即位を受けて更新されている最中)に反映されている。国王が中東で描いた4枚の水彩画が展示されているのだ。
チャールズ皇太子の個人ウェブサイトに掲載された、皇太子が中東で描いた絵画。左上から時計回りに、「ヨルダンのアカバ湾」(1993年)、「スエズ港」(1986年)、「アスィール州のワディ・アルカムを望む」(1999年)、「サウジアラビアのアド・ディルイーヤ」(2001年)。
最も古い作品は1986年に描かれたエジプトのスエズ港の船である。2枚はサウジアラビアで描かれた風景画で、1999年に南西部アスィール州で描かれたワディ・アルカムの眺望と、2001年にディルイーヤで描かれた歴史ある宮殿のスケッチだ。
1969年に叙任されて以来、皇太子は中東諸国への訪問を公式にも非公式にも数え切れないほど行ってきた。私的な訪問を別にすると、チャールズ皇太子はヨルダンを5回、カタールを6回、クウェートを7回、UAEを7回、サウジアラビアを12回公式訪問している。
これは1986年に始まった伝統だった。その年、皇太子は当時の夫人ダイアナ妃(1992年に離婚)と共に9日間の中東歴訪に旅立ち、オマーン、カタール、バーレーン、サウジアラビアを訪問したのだ。
チャールズ皇太子とダイアナ妃。1980年代後半、ジェッダ。(Getty Images)
皇太子が自身やイギリスと中東との間のつながりを真剣に捉えていることは、彼が国内外で行ってきた中東の王族との会談の数に明確に示されている。バーレーン、ヨルダン、クウェート、モロッコ、カタール、サウジアラビア、オマーン、UAEなどの王室の人々との会談を過去10年に200回以上も行っているのだ。
イギリスと同盟国との間の相互利益を促進することは皇太子としての公務の一環であり、その義務を遂行する中で、イギリスにとって中東で最も影響力のある同盟国であるサウジアラビアへの公式・非公式の訪問を何度も行ってきた。
特に、イギリスと湾岸諸国との架け橋としての皇太子の役割は常に相互に恩恵をもたらすものだった。例えば、2014年2月のリヤド訪問時に皇太子は勧めに応じて果敢にもアラブの伝統装束を着用して剣舞に参加したのだが、この翌日、イギリスの航空会社BAEがタイフーン戦闘機72機をサウジアラビアに売却する契約を交わしたという発表がなされたのだ。
アラブの伝統装束を着てサウジの剣舞「アルダ」に参加するチャールズ皇太子(当時)。2014年2月、リヤド近郊で行われたジャナドリヤ文化祭にて。(ロイター)
皇太子はは多くの慈善事業に携わってきたが、その展望においてとりわけグローバルなのが「プリンス・ファンデーション(皇太子基金)」だ。この基金は「より持続可能な世界のためのコミュニティーを作るという皇太子のビジョンを実現する」ためのものである。
この基金は、国内外において教育、文化遺産の評価、若者のための平等な機会の創出に焦点を当て、サウジアラビアやエジプトなど20ヶ国以上でサテライトプログラムを実施し、常設センターを運営している。
サウジアラビアでは、同基金はジェッダ旧市街のアルバラドに建築・美術・工芸の職業訓練プログラムを設立し、文化省のジェッダ修復プロジェクトに関与する機会を学生に提供している。
2020年1月10日から3月21日までアル・ウラーで開催された「ウィンター・アット・タントラ」フェスティバルでは、同基金は「コスモス、カラー、クラフト:アル・ウラーの自然秩序のアート」と題した展示会を開き、アル・ウラー王立委員会と共同で一連の体験型ワークショップを行った。
UAEでは、同基金は2009年からアブダビ音楽芸術財団との協力のもと、首都で伝統芸術のワークショップを行っている。
昨年のエジプト訪問では、皇太子はエジプト遺産救済基金とジャミールスクールの若い職人たちと面会した。このスクールはプリンス・ファンデーションの支援のもとで、エジプトの若者に伝統的なイスラム幾何学、スケッチ、色の調和、アラベスク研究などの授業を行っている。
アレクサンドリア図書館を訪問した際に職員や子供たちのカルテットの歓迎を受ける、チャールズ皇太子とカミラ夫人。2021年11月19日、エジプト。(AFP)
驚くべきことではないが、同基金は中東において多くの影響力のある友人たちからの寄付を集めている。皇太子と中東の王室との絆は常に、賢明な外交に必要とされる関係を超えた深いものであり続けてきたのだ。
例えば、皇太子はサウジアラビアのアブドゥラー国王を個人的な友人と考えていた。国王が2015年1月に亡くなった際には、リヤドに飛んで最後のお別れをし、後継者のサルマン国王に弔意を直接伝えた。
木曜日に亡くなったエリザベス2世女王陛下は、中東とその人々にとって、指導者たちに寄り添い、異なる宗教や文化間の架け橋を築き維持することに献身した、生涯にわたる友人であった。
そのような大切な友情は、チャールズ3世国王のもとでも途切れることなく続いていく運命にあることは疑いない。