


タレク・アリ・アフマド
ロンドン:米国による仲介の努力が始まってから10年、レバノンとイスラエルがついに海上国境画定に関する合意に至った。有識者は「歴史的な」瞬間だと歓迎しているが、より慎重な見方をする観測筋もいる。
大西洋評議会ラフィク・ハリーリ中東センターの元所長で、2012年にはバラク・オバマ大統領(当時)のもとで米国の調停役を務めたフレデリック・ホフ大使は、「少なくとも10年遅れだ」と言う。
同大使はアラブニュースに対し次のように語る。「現時点では慎重になる必要がある。イスラエルでは依然として批准プロセスが長引いている。11月1日の選挙で政権が変わったとしてもこの合意が維持されるのかどうかという問題がある」
「レバノン側にもいくつか問題がある。明らかな問題は、レバノン海域の海底に本当に市場性のある天然ガス鉱床があるのかということだ。そして、今後5年間は収入が得られない可能性が高いという事実を考えると、その間に、国民がこのガス田から恩恵を得られるような形にレバノンの政治システムは変わることができるだろうか」
係争は2012年にまで遡る。この年、両国は海上国境の位置をめぐって合意に至ることができなかった。当初、イスラエルはライン1(地図参照)を、レバノンはライン29を主張した。
このプロセスに関して最初に任命された米国の調停者だったホフ氏は、イスラエル側の主張により近いラインを提案した。しかし最終的に合意された海上国境は、レバノン側の主張により近いライン23となった。
係争の中心にあるのは2つの海底天然ガス田だ。レバノン海域にある未開発のカナ・ガス田と、イスラエル海域にあるカリシュ・ガス田である。これらの資源の開発権をめぐる争いは、7月にヒズボラ(イランが支援するレバノンの民兵組織)がカリシュ・ガス田に対してドローンを発射したことでエスカレートした。ドローン3機は全て、目標に到達する前にイスラエル軍の防空システムによって撃墜された。今週の国境合意により同様の事件が発生しないようになることが期待されている。
リークされた合意の詳細によると、カナ・ガス田から採掘される天然ガスによる収入はレバノンとフランスのエネルギー企業トタルとで折半され、トタルの収入の17%がイスラエルのものとなる。イスラエルは引き続きカリシュ・ガス田の独占開発権を有する。
今回の合意で海上国境問題は解決したが、未承認の陸上国境、いわゆる「ブルーライン」に対する影響はない。2000年に画定されたこのラインは国連レバノン暫定駐留軍の監督下にある。
ホフ氏は、なぜプロセスが開始された10年前に海上国境合意に至ることができなかったのかを振り返る中で、当時のレバノンのナジーブ・ミカティ首相(現在は暫定首相)の政府が既に「着実に崩壊」し始めていたと語る。
「現在、レバノンの意思決定プロセスは3人の大統領(大統領、首相、国会議長)の手中にあるようだが、状況が変わらない限り(変わらないと思うが)、今回の調停においてレバノンはうまくやったということで3人全員が一致しているように思われる」
一方、「民主主義防衛財団」の研究員であり「タブレットマガジン」でレバントアナリストを務めるトニー・バドラン氏はアラブニュースに対し次のように語る。「変化したことは、バイデン政権が係争海域を55対45の割合で分割するという以前の枠組みを放棄し、言いなりのレームダックと化した政府にヒズボラの要求への100%の譲歩を行わせることに成功したことだ」
米政府関係者も、バイデン政権でエネルギー安全保障担当シニアアドバイザーを務めるアモス・ホッホシュタイン氏が仲介した海上国境合意については、最終的には地域の全体的な安全・安定を向上させる外交的勝利と見ている。
「天然資源ガバナンス研究所」で中東・北アフリカ担当責任者を務めるラウリー・ハイタヤン氏はアラブニュースに対し、「最終的には、米国は敵対し合うレバノンとイスラエルの交渉を調停し海上国境合意に至らせることができた。それにより両国間の状況が安定し戦争を行うことが難しくなるだろうと彼らは考えている」と語る。
実際、同氏の見方では、既に十分なエネルギー供給を享受しているイスラエルは、自国の経済的利益よりレバノンの領海主張にとって有利となった合意から得られる安全保障上の恩恵を正しく認識していた。
同氏は続ける。「イスラエルの考えでは、レバノンが安定し自国の経済に集中すれば戦争に対する関心は薄れ」、ひいてはヒズボラおよびイランへの依存度も下がる。
しかし、レバノン当局者の念頭には他の懸念があったようだ。レバノンが経済危機に直面する中、暫定政府は国際社会からの支援と引き換えの改革要求に沿って取り組んでいることを必死に示そうとしている。
レバノンの第一の目的は、「国際社会との交渉や、制裁を続けさせないようにするための米国との初交渉に使えるカードを政治階級の手中に」置くことだとハイタヤン氏は言う。
新型コロナパンデミックや2020年8月にベイルート港で発生した壊滅的な爆発事故によって拍車をかけられている経済危機が始まった2019年以降、米国はレバノン政府に対し、汚職文化の蔓延に対処するよう継続的に圧力をかけている。
米国による制裁の対象となった人物には、ミシェル・アウン大統領の義理の息子であり、元外相で現在は「自由愛国運動」の代表であるゲブラン・バシル氏も含まれている。
レバノンのエリート層は国民の財布の中身を犠牲にして私腹を肥やしているというのが専らの評判であるため、海上国境合意で得られるエネルギー収入が善用される見込みについて国民は悲観的にならざるを得ない。
ホフ氏は次のように語る。「エネルギー収入がレバノン国民の恩恵や国の再建のために使われないのではないかという恐れは、ヒズボラに支援・保護された、完全に腐敗し完全に無能な政治階級が存在するせいだと考えている」
レバノンが天然ガス探査から何らかの経済的リターンを得られるまでには少なくとも5年は待たなければならないが、短期的に間接的な利益を得られる可能性がいくつか出てきているとハイタヤン氏は言う。
トタルがカナ・ガス田で採掘作業を始めると公言したことで、レバノンに投資する気になる企業が増える可能性があり、そうなればレバノン政府は「国際通貨基金や世界銀行、国際社会、米国や欧州といった交渉相手に対して使えるカード」をさらに手にするだろうとハイタヤン氏は言う。「そうなれば、3年半前からかけられている改革への圧力が弱まるだろう」
海上国境合意を受け、ジョー・バイデン米大統領はレバノンのアウン大統領に電話で祝意を伝えた。
「レバノンがイスラエルとの間で今回の合意に至ったことには誰もが満足しているため、(レバノンの政治階級の)生存に政治的エネルギーが注入されている」とハイタヤン氏は言う。
海上国境合意が大きな前進であることに疑いの余地はない。しかし、これが近い将来のイスラエルとレバノンの国交正常化につながる可能性についてはホフ氏は懐疑的だ。むしろ、レバノン政治が改革への意欲を示し、エリート層が自分たちの利益よりも国民が必要とするものを優先するようになるかという点で、今後数年間が試金石になると同氏は見る。
「(天然ガス探査には)5年かかるという推定が多い」とホフ氏は言う。「つまり、レバノンの人々には、法の支配、説明責任、透明性を反映するシステムを作り、神から与えられたこれらの資源を国民への恩恵のために使うことのできる国家を築くために最善を尽くす5年間が与えられるということだ」
バドラン氏は、今回の合意によってヒズボラが、「バイデン政権やフランスにとってのレバノン側の主要な対話者として明確に浮かび上がってくる。レバノンにおいて唯一重要な当事者であり同国を支配している存在であると認識されるのだ」と説明する。
「バイデン政権は、攻撃によってイスラエルに譲歩を強制するというヒズボラのビジョンに力を貸したことになる。それだけでなく合意自体も、外国からの投資の可能性と共に、フランスとヒズボラの提携関係を強固にしたのだ」