
エジプト人には茶化せるネタがいくらでもあるが、その歴史や文化については例外だ。このアラブ世界で最もユーモアがあっておおらかなこの人々も、象徴やモニュメント(キリストの誕生より3000年以上前のものもある)について侮辱したり、軽視したり、事実を歪めて表現したりするようなことだけは絶対に許さないだろう。
ネットフリックスの最新シリーズ『アフリカン・クイーンズ:クレオパトラ』をめぐって起きている論争が多くのアメリカ人には理解されていないらしいのはそれが理由だ。結局、米国の歴史は247年に過ぎないのだ。シリーズのエグゼクティブプロデューサー、ジェイダ・ピンケット・スミスもそのひとりである。スミスは、同作品の製作の動機について黒人の女王の物語が十分に語られていないことに対する問題意識を挙げている。
いくらスミスの目的が高尚でも、彼女が古代エジプト文明に精通し、関心を持っているとしても、一般のエジプト人にとってのこのテーマの意味を彼女たちアメリカ人が同じように受け止めることはまずないだろう。事実、エジプト人は幼い頃から、自分たちの文化や豊かな歴史に誇りを持つことを、ほとんど愛国者の義務であるかのように教えられている。
唯一の問題は、ネットフリックスがこのシリーズを「ドキュメンタリードラマ」に分類したことだ。この分類だと、視聴者は、可能な限り事実にもとづいて描かれた作品だと思って観ることになる。
ファイサル・J・アッバス
炎上中の論争について知らない読者のために説明しておきたい。要は、この作品で歴史的なエジプトの女王役に英国の黒人俳優アデル・ジェームズがキャスティングされたのである。
では何が問題なのか。このシリーズがフィクションなら、当然何も言うことはない。以前も言及したとおり、アデル・ジェームズは優れた俳優だ(そして、私は映画評論家ではないが、彼女のクレオパトラ役の演技は素晴らしいと思う)。
唯一の問題は、ネットフリックスがこのシリーズを「ドキュメンタリードラマ」に分類したことだ。この分類だと、視聴者は、可能な限り事実にもとづいて描かれた作品だと思って観ることになる。クレオパトラについてわかっていることから推測するに、彼女はマケドニア系のギリシャ人だったと考えられるので、白人の俳優が演じるほうが史実に近いということになる(つまり、アラブ人がこの役を演じても正確とは言えない)。
ところで、これは私の個人的な見解ではなく、世界最先端のエジプト学の専門家ザヒ・ハワス博士による情報をもとにした意見である。博士は先日アラブニュースへの寄稿で、クレオパトラが実際にはアフリカではなくヨーロッパ出身であったという歴史的証拠をまとめた。
「クレオパトラには多くの側面があり、現代の視聴者にその物語が伝えられてしかるべきです。しかし、彼女が黒人ではなかったことだけはほぼ間違いありません」と博士は述べた。
批判的思考の一読者として、その分野の著名な専門家に自ら発掘したもの(古代の彫像やコインが出土した)を示しながら主張を証明されれば信じたくなる。そして、ハワス博士は数日前にまさにそれを本紙のコラムでやって見せた。その主張は、「キャスティングが気に入らないのなら、番組を見ないでください」とだけ言った俳優のジェームズの反論よりもはるかに説得力があった。
そして、議論の性質上、現在の米国の過熱する人種的政治問題の状況を見れば言うまでもないが、醜く、侮辱的でまったく不必要な人種差別的なコメントがネット上にあふれることになった。それが非難されるべきなのは疑いの余地がなく、チャットルームにもっと大人がいれば、論争がここまで大きくなることはなかっただろう。
私たちアラブ人、特にエジプト人は、米国の人種的政治問題には含まれていないし、何のかかわりも望んでいない。
ファイサル・J・アッバス
実際に昨年9月、国連総会の時期にニューヨークにいたとき、私は自分自身でそれを経験した。当時、大きな話題になったのはディズニーの新しい『リトル・マーメイド』の予告編の公開だった。黒人俳優のハリー・リン・ベイリーが人魚のアリエルを演じた映画である。
そのときにネット上で起きた騒ぎと怒りは信じられなかった。何より、単なるアニメのキャラクターが政治的な存在になってこれほどまでに憎悪を呼び起こすとはどういうことか。繰り返しになるが、私はアメリカ人ではないので立場は変わらない。アリエルはアニメのキャラクターだ。黒人がアリエルを演じることの何が問題なのか。
ハリウッドの多くの大企業と同様、歴史的にインクルージョンの達成度が低いディズニーの賢明な判断なのだと思った。マーベルも、実験的に黒人のスパイダーマンを登場させている。この地域の私たちにとってさらに重要なのは、アラブ人やイスラム教徒が悪役ではなくヒーローとしてキャスティングされるようになることだ。
だが、今回の件については、問題は明らかであり、まったく別の話である。クレオパトラ女王は人魚姫ではない。クレオパトラは何千年も前に実在した歴史的人物で、人魚姫は1837年にさかのぼる想像上のキャラクターだ。さらに、私たちアラブ人、特にエジプト人は、米国の人種的政治問題には含まれていないし、何のかかわりも望んでいない。私も、私が話した多くのエジプト人ジャーナリストやアーティストも、この作品が単なるフィクションとして発表されていたら、クレオパトラ女王が眉をひそめたとは思わない。
クレオパトラを21世紀に再現するというなら、それはもはやドキュメンタリードラマではなくパロディだ。女王にジーンズやスニーカーを履かせればいいだろう。
ファイサル・J・アッバス
今回の問題は、少なくとも私たちの観点から言えば、栄光に満ちた歴史的なエジプトの象徴を現在の米国の分断の泥沼に引きずり込もうとする意図的なたくらみに見える。これは非難ではなく、このドラマを監督した英国系アメリカ人のティナ・ガラヴィがほのめかしていていることだ。彼女は2日前にバラエティ誌のコラムで、このキャスティングは確かに政治的だと告白したのである。
「リサーチの結果、クレオパトラを黒人俳優が演じるのは相当に政治的なアクションなのだと知った」とガラヴィは書いている。
そして「クレオパトラを21世紀に再現する上でふさわしい演者を探すことになった」と付け加えている。
待ってほしい。クレオパトラは、紀元前51年から紀元前30年にかけてエジプトに君臨したとされる。それが女王の生きた時代だ。クレオパトラを21世紀に再現するというなら、それはもはやドキュメンタリードラマではなくパロディだ。女王にジーンズやスニーカーを履かせればいいだろう。
ジャンヌ・ダルクのドキュメンタリーを男性の俳優で製作するのは正確ではないだろう。バラク・オバマ大統領の伝記映画でキューバ人や中国系アメリカ人をオバマ役に採用するのもおかしい。クレオパトラ女王も同じではないか。
ツイッター: @FaisalJAbbas
注:本稿で記された見解は筆者個人のものであり、必ずしもアラブニュースの見解を示すものではありません。