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イスラエルによる15年間のガザ包囲はなぜ失敗に終わったのか

ヨルダン川西岸地区、パレスチナ人居住の村の立ち退きに反対するデモで、イスラエル兵がデモ参加者と衝突している。(AFP)
ヨルダン川西岸地区、パレスチナ人居住の村の立ち退きに反対するデモで、イスラエル兵がデモ参加者と衝突している。(AFP)
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05 Jul 2022 01:07:08 GMT9
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イスラエルがガザ地区を完全に包囲し、200万人近いパレスチナ人を歴史上最も長く残酷な政治的動機による封鎖の一つに加えてから、15年が経過した。

当時のイスラエル政府は、パレスチナの「テロとロケット攻撃」からイスラエルを守る唯一の方法として、その包囲網を正当化した。これは今も公式見解である。しかし、政府もメディアも、そして一般の人々でさえも、2007年6月以前より現在の方が安全だと主張するイスラエル人はほとんどいないだろう。

イスラエルが包囲網を敷いた理由として、ヨルダン川西岸地区のパレスチナ自治政府を今も支配しているファタハとパレスチナにおける主要な政治的ライバルであるハマスが短期間に激しく対立し、ハマスが同地区を掌握したことへの対応だと広く理解されている。

しかし、ガザの孤立は、ハマスとファタハの衝突や、2006年1月のパレスチナ評議会選挙におけるハマスの勝利よりも何年も前に計画されていたのである。イスラエルの故アリエル・シャロン首相は、イスラエル軍をガザから撤退、再配置させることを長い間決意していた。最終的に2005年8月から9月にかけて行われたイスラエルのガザ撤退は、2003年にシャロン氏が提案し、2004年に彼の政府が承認し、2005年2月にようやくクネセト議会で採択されたものだった。

この「撤退プラン」は、数千人の違法なユダヤ人入植者をガザからヨルダン川西岸の他の違法入植地に移動させ、一方でイスラエル軍をガザの人口密集地から国境地帯に再配置することを目的としたイスラエルの戦術であった。これが、実際のガザ包囲網の始まりである。

上記の主張は、2005年に中東カルテットのガザ撤退担当特使に任命されたジェームズ・ウォルフェンソン氏にとっても明らかであった。2010年、彼はこう結論づけた。「ガザは、イスラエル軍の撤退以来、外界から事実上封鎖されており、パレスチナ人に対する人道的・経済的影響は甚大であった」

イスラエル軍撤退の究極の動機は、イスラエルの安全保障でもなければ、集団的懲罰としてガザ住民を飢えさせたいという願望でもない。後者は、シャロン氏の当時の上級顧問であったドブ・ワイズグラス氏が自ら表明したように、もっと邪悪な政治的陰謀の自然な結果の一つに過ぎなかった。2004年10月のハアレツ(Haaretz)とのインタビューで、彼はこう明言している。「撤退計画の意義は、和平プロセスの凍結にある。そしてそのプロセスが凍結されれば、パレスチナ国家の樹立を阻止し、難民、国境、エルサレムに関する議論を阻止することになる」

イスラエルにとってこの包囲網は、時間が経つにつれて、さらに意味と価値を増す政治的策略であった。

ラムジー・バロード

イスラエルがガザを切り離し、包囲した理由はこれだけでない。経験豊富なイスラエルの政治家によれば、それらはすべて「(米国)大統領の承認と両院の批准を得て」行われたことだという。その大統領とは、ジョージ・W・ブッシュ氏である。

これらはすべてパレスチナの立法府の選挙、ハマスの勝利、ハマスとファタハの衝突の前に行われた。これらのうち最後に起こった出来事は、すでに議論され、批准され、実施されていたものを都合よく正当化する役割を果たしたに過ぎない。

イスラエルにとってこの包囲網は、時間が経つにつれて、さらに意味と価値を増す政治的策略であった。イスラエルがガザのパレスチナ人を飢えさせているという非難に対して、ワイズグラス氏は2006年にこう述べている。「パレスチナ人を飢え死にさせるのではない。ダイエットをさせようというだけだ」

当時は往生際の悪い軽率な発言だと理解されていたことが、2012年に公開された2008年の報告書に示されたように、実際のイスラエルの政策であることが判明した。イスラエルの人権団体「ギシャ」のおかげで、イスラエルの占領地政府活動調整官組織(COGAT)調整官が作成した「ガザ地区における食料消費のレッドライン」が公開されたのである。その結果、イスラエルはガザ地区の住民の生命維持に必要な最低限のカロリー数、つまり同地区の「文化や経験に合わせた」数値を算出していることが明らかになったのだ。

そのあとは、歴史が証明している。ガザの苦しみは絶対的なものだ。海岸線に存在するこの土地の水の約98%は飲用に適さない。病院では必要不可欠な物資や救命薬品が不足している。ガザ地区への出入りは、わずかな例外を除き、事実上禁止されている。

それでも、イスラエルはその目的を達成することに惨敗している。テルアビブは、イスラエル軍の撤退によって、国際社会がガザの占領の法的地位を再定義することを期待していた。しかし、ワシントンの圧力にもかかわらず、そのようなことは起こらなかった。ガザは、国際法で定義されたパレスチナ占領地の一部であることに変わりはない。

2007年9月にイスラエルがガザを「敵対的な組織」「敵対的な領土」と指定しても、2008年からイスラエル政府がガザに対して壊滅的な戦争を何度も宣言できるようになったことを除けば、ほとんど変化はない。

これらの戦争はどれも、イスラエルの長期的な戦略には役立っていない。それどころか、ガザはかつてないほど大規模な反撃に出ている。それによりイスラエルの指導者たちの計算が狂い、彼らは困惑し、不穏な言葉を発していることが明らかになっている。最も多い死者を出した2014年7月のイスラエルによるガザ侵攻の最中に、右派のクネセト議員アイェレット・シェイク氏は、この戦争は「テロとの戦いでもなければ、過激派との戦いでもなく、パレスチナ自治区との戦いですらない」とFacebookに書き込んでいる。それでは何の戦いなのだろうか。1年後にイスラエルの法務大臣に就任したシェイク氏によれば、次の通りとなる。「これは2種類の人間の間で起きている戦争だ。敵は誰なのか?パレスチナ人だ」

最終的に、シャロン氏、エフード・オルメルト氏、ベンジャミン・ネタニヤフ氏、ナフタリ・ベネット氏の各政府は、パレスチナ全体からガザを孤立させ、ガザの意思を断ち切り、パレスチナ人を犠牲にしてイスラエルの安全を確保する計画に失敗したのである。

さらに、イスラエルは自らの傲慢さの犠牲になっている。この包囲網を続けることは短期的にも長期的にも戦略的価値をもたらさないが、イスラエルの立場からすれば、包囲網の解除は敗北を認めるに等しく、ヨルダン川西岸地区のパレスチナ人がガザのモデルを模倣する力を与えることになりかねない。この不確実性は、20年近くにわたってすべてのイスラエル政府を規定してきた政治的危機と戦略的ビジョンの欠如をさらに際立たせている。

当然の結果として、ガザにおけるイスラエルの政治的実験は裏目に出たのだ。唯一の出口は、包囲網を完全に撤廃することだ。

  • ラムジー・バロード氏は20年以上にわたって中東について執筆している。国際的な組織のコラムニスト、メディア・コンサルタント、数冊の本の著者であり、 PalestineChronicle.com の創設者でもある。Twitter: @RamzyBaroud
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