
75年前、アメリカ合衆国大統領フランクリン・デラノ・ルーズベルトは、旧ソビエト連邦の最高指導者ヨシフ・スターリンとイギリスの首相ウィンストン・チャーチルと会合し、第二次世界大戦後のヨーロッパの復興計画を立てはじめました。
ヤルタ会談のあと、ルーズベルト大統領は数週間をかけてアメリカへ戻る旅にすぐ出発することはせず、代わりに1つ目的地を追加しました。
サウジアラビアのアブドルアジーズ国王との会談です。スエズ運河グレートビター湖に停泊したアメリカ海軍の重巡洋艦クインシーの船内で行われました。
歴史に名を残す2人の指導者の会談は、最初で最後のものとなりました。
現在のサウジアラビアの建国者であり初の国王でもあるアブドルアジーズ国王は、若くして王国を拡大、統一した戦士でした。
フランクリン・デラノ・ルーズベルト大統領は、アメリカの大統領選に4度勝利し、革新的なニューディール政策を実施、大恐慌と第二次世界大戦という20世紀の2大危機の中、アメリカを率いた人物です。
歴史のターニングポイントでした。アブドルアジーズ国王とルーズベルト大統領双方が、戦後ドイツとヨーロッパの迅速な復興よりもはるかに重要なものが、この会談に懸かっていると理解していました。
2人の指導者は、二国の既存の関係を広げて新たな協力関係とパートナーシップを結ぶ時だと考えていました。新しい経済的つながりを築き、世界の平和と安全に不可欠な新たな国際機関を創設する機会だと見ていたのです。
2人とも持続的な世界の安定をかなえるには、新たな国際的結束が必要であると認識していました。アメリカとサウジアラビアが世界の集団安全保障に関する新しいアプローチの発展に寄与するならば、どちらの指導者もどちらの国家も、自国の利益を越えて物事を見る必要がありました。
双方の国にとって良いことは、結果的に世界全体にとっても良いことでした。
アブドルアジーズ国王とルーズベルト大統領は、サウジアラビアとアメリカの革新的なパートナーシップが、地域の変革と外交的な世界の再形成につながると見ていました。
サウジアラビアが、中東初のアメリカの同盟国となるのです。
サウジアラビアは初めて同盟を結ぶ相手としてアメリカを選びました。これは、中東地域における世界の勢力バランスを、即自的だけでなく、その後数十年にわたって再調整するような動きでした。
サウジアラビアとアメリカのパートナーシップは世界の安全と安定の礎となり、現在もそうあり続けています。
しかし、アブドルアジーズ国王とルーズベルト大統領が対面した時、この2人の会談に関しては何の保証もありませんでした。
会談の開催自体が危険なことだったのです。
大戦はまだ終わっていなかったのですから。
私たちの友好関係は、世界平和と安全の維持、および経済的繁栄に必要不可欠です。
リーマ・ビント・バンダル・アル・サウード 王女
指導者同士が上手く付き合っていくことは、どんな二国間関係にとっても重要な最初の一歩なのですが、共通点もほとんどなさそうなこの2人が、実際に打ち解けられるかどうかは誰にも分かりませんでした。
しかし、2人は打ち解けました。
共通点や互いへの尊敬の念を知り、日々の政治的、外交的な違いや課題から起こる衝突や不和を超越した関係を築くことで、各国をまとめたいという共通する使命を見つけました。2国は常に物事を大局的に見ることができていました。2国間の固い絆や、地域や世界全体の安全のためには2国の同盟が極めて重要であることを常に心に留めていたのです。
私たちの友好関係は、世界平和と安全の維持、および経済的繁栄に必要不可欠なものになりました。
このパートナーシップは、2国が共に取り組み、共に戦い、共通の敵を乗り越えて、テロリズムや過激主義に共に立ち向かうためにあるものです。
このパートナーシップは、2国が世界の経済発展を強化することを可能にし、その発展の恩恵が幅広く、また公平に与えられることを保証するものです。
このパートナーシップは、サウジアラビアとアメリカが協力してエネルギー供給の安全性を保持することで、世界のエネルギー市場を安定化するものです。
このパートナーシップはずっと強固な繋がりでした。双方の国に非常に大きな利益をもたらしてきましたし、これからも双方に利益をもたらしていくことでしょう。
あの会談から75年の間に、サウジアラビアとアメリカの同盟は、
これはアブドルアジーズ国王とルーズベルト大統領、および、75年前に行われた2人の会談の遺産です。
2国間の連携は強固であり続けます。
この結び付きは繁栄と平和を広める力であり続けます。
安定と安全を保証するパートナーシップであり、
そして、対話と相互理解を促す友好関係です。