
ルバ・オバイド
ジェッダ:世界中の人々が、東エルサレムとガザで起きている最新の出来事について、アートを使って語り合っている。アーティストたちは、抑圧された人々との団結を表現し、不正に立ち向かうために、創造性を発揮している。
このような対話は、国境や言語、文化を超えて行われており、アーティストたちは、この対話を継続するための取り組みを個人や集団で始めている。
メディナ在住のルジャイン・イブラヒム氏(@llujaiin)は、新進気鋭のアーティストだ。過去数週間の出来事の中の鮮明な場面を刺繍にして縫い合わせるという試みをしている。
彼女の作品のひとつに、エルサレムに住む70歳のナビル・アル・クルド氏が描かれている。彼の横にある自宅の壁にはアラビア語で「We will not leave(私たちは離れない)」と書かれてある。シェイク・ジャラー地区にある自宅の立ち退きを拒否しているのだ。
イブラヒム氏はアラブニュースの取材に対し、「今起こっているような難しいことを、話すよりも、気持ちを感じたい」と語った。「私の考えでは、その方が効果は長続きします。自分の作品を見ると、ある感情がよみがえり、それは毎回深いレベルで感じるものです。その投稿をシェアしたら、他の人にも同じような見方で見て欲しい、話すよりも感じてもらいたいです」
今年のパレスチナ・ナクサの記念日には、アル・クルド家をはじめとする家族らは、右翼入植者を支持するイスラエルの裁判所により、今にも立ち退きを迫られる脅威にさらされていた。
イスラエルは、1967年6月の第三次中東戦争での勝利後、パレスチナの東エルサレムを占領し、1980年には違法ながらも正式に併合した。それ以来、イスラエルの裁判所は、国際的な非難にもかかわらず、軍隊や警察がパレスチナ人家族を家から立ち退かせるための道を開いてきた。
アーティストのナセール・アルムルヒム氏(@nasajm)は、パレスチナとその人々へのラブレターを書いた。この作品は、1967年にイスラエルがヨルダン川西岸地区とガザでパレスチナの旗とその色の表示を禁止して以来、パレスチナ人の抵抗のシンボルとなっているスイカをモチーフにしている。
今起こっているような難しいことを話すよりも、気持ちを感じたい
ルジャイン・イブラヒム
スイカはパレスチナの旗と同じく、赤、黒、白、緑の4色だ。スイカがシンボルとなった背景については諸説あるが、イスラエル軍は、占領地におけるパレスチナのナショナリズムの表れを脅威とみなしている。シェイク・ジャラーでは、落書きが消され、風船に穴が開けられ、旗は撤去された。
アルムルヒム氏は、イスラエル軍による規制を打ち破る必要はなかったが、親パレスチナのコンテンツを検閲していると批判されるインスタグラムのアルゴリズムを欺く必要があった。
1990年代のオスロ合意をはじめ、パレスチナ解放機構がパレスチナ人の正当な代理であると認識されたことにより、パレスチナの旗が再び姿を現すようになった。しかし、スイカは依然として抵抗のシンボルであり、ソーシャルメディアの世界で復活した。
パレスチナから出てくる何百もの画像は、路地の間や閉ざされたドアの向こうに何があるのかについて盲目にさせる。バルコニーから吊るされた洗濯物の間から覗く子どもたち、キッチンで料理をする女性たち、爆撃を受けたビルの瓦礫の中を進みながら路上で野菜カートを押す男性たち。
あらゆる視覚領域に暴力のイメージが飛び交っている。しかし、これほどまでに世界から隔絶された土地で生活することがどのようなものなのか、それを理解し、想像することは困難だ。
そのような現場の真実の姿を伝えるために、サウジアラビアの写真家イマン・アル・ダッバーグ氏(@photosbyiman)は、@womenphotographのインスタグラムのアカウントを引き継いだ。
ジェッダを拠点とするアル・ダッバーグ氏は、パレスチナの女性写真家の作品にフォーカスしたバーチャル展覧会を企画した。
サマール・アブ・エローフ、ファティマ・シュバール、リハフ・バタニジ、サマール・ハズボウン、ルラ・ハラワニ、ララ・アブ・ラマダン、クホルード・エイド、エマン・ムハンマドの作品は、パレスチナ人の目から見たパレスチナの真の姿を示している。
「パレスチナ人の声は、聞くべき人に聞かれていません」と、アル・ダッバーグ氏はアラブニュースに語った。「(この地域の)私たちはこの問題を違った角度から見ています。私ができることは、私のコミュニティである写真家達を通してサポートすることだと感じています」
アル・ダッバーグ氏は、写真を見る人が人間的なつながりを感じ、パレスチナ人が自分たちと同じように普通の人々であり、普通の日常生活、夢、責任、痛み、笑いがあることを知って、できれば考えを変えることだ。
「パレスチナの典型的なイメージとは異なる写真を見せることで、この土地の人々がどのような人たちなのかを知りたいと思うようになるでしょう。芸術、音楽、文化の映像を見ると、欧米の人々はより共感します。私がこのプロジェクトを引き継いだのは、たくさんいるパレスチナの女性写真家たちをサポートし、彼女たちの作品を世界に紹介し、その声を広めたいと思ったからです」
アーティストのダルヤ・モミナ氏(@design.by.dalya)は、パレスチナ人難民の3代目だ。彼女の祖母は、1948年のナクバで家を追われた何千人ものうちの一人で、ジェッダへの亡命を余儀なくされた。
私は、これが正当な理由であると信じ、その存在を意識しているアラブ人アーティストとしての声を伝えようとしました
ファティマ・アル・ネメル
モミナ氏は、祖母が子供の頃に見たエルサレムの家の記憶に触発されて、アル・アクサモスク内の岩のドームの鮮やかな油絵を制作した。「Rise Again(再び立ち上がろう)」と名付けて、祖母の子供の頃のパレスチナの景色を描いた。
モミナ氏はこの絵をオンラインオークションに出品し、資金化してパレスチナの子供たちの救済基金に寄付した。これは、祖母と祖国へ捧げるという意味もある。
サウジアラビアのアーティスト、彫刻家、写真家であるディア・アジズ・ディア氏(@diaaziz)は、パレスチナ紛争を通して制作してきた作品を「Israel Barbarism(イスラエルの蛮行)」というタイトルでインスタグラムでファンに公開した。
彼の作品は、力強く、そして自明なものとして受け取られることを意図している。それらは、深い痛みや悲しみだけでなく、決意や復活をも表現している。
「アーティストが自分の想像力を表現する技術を持ち、自分の人生や地域社会の生活に影響を与える出来事を認識している限り、自分の意見や見解を伝え、起こっていることに対する感情を表現しなければならないと思います」と、ディアはアラブニュースに語った。「アーティストは影響力のある表現手段を持っています。それは最も強力な表現手段のひとつです」
パレスチナについては、パレスチナ人の詩人、故マフムード・ダルウィッシュを抜きにしては語れない。
サウジアラビアのアーティストであるタグリード・アル・バグシ(@tagreedbagshi)は、連帯感を表現する作品を制作し、ダルウィッシュの詩の一節をタイトルに添えた。「この地球上には、命が生きる価値のあるものたるゆえんがある。この地球上には、地球の女主人、始まりの母、終わりの母が立っている。それはパレスチナとして知られ、パレスチナになった人だ」
アル・バグシ氏は、ニュースを見て経験した圧倒的な感情と、パレスチナの子どもたちに平和と愛が届いて欲しいという心からの願いが、この作品の原動力になったと語っている。
アル・バグシ氏はアラブニュースの取材に対し、「私自身、平和を主張する人間です」と語った。「家や希望、命、そして平和な時間をいつ何時失うかもしれないという脅威にさらされている子どもや家族を見ると、とても苦しくなります。普通の子どもは、言葉としての悲しみの意味を理解していませんが、パレスチナの子どもたちは、幼い頃から悲しみを経験し、それを背負って成長しています。私は、母親の中に生命を、白いハトの中に平和を、広い空の中に希望を、そして子供たちの目の中に失われた子供時代を取り戻そうという訴えを描きました」
ダルウィッシュは、ファティマ・アル・ネメル氏(@artistfatimahalnemer)の作品にも影響を与えた。彼女は、ダルウィッシュの詩「Put it on record – I am an Arab(記録に残そう、私はアラブ人だ)」をもとに、占領下で生きるアラブ人とパレスチナ人の復活と誇りを表現した。
彼女はアラブニュースの取材に対し、「私は、これが正当な理由であると信じ、その存在を意識しているアラブ人アーティストとしての声を伝えようとしました」と語った。「アーティストとして、私たちは色や絵でパレスチナ人を支援しています。私は、目的や呼びかけるものがないアーティストは、真のアーティストではないと思っています。芸術は何よりも誠実な行為です。人の心の奥底に語りかけるためには、正直でなければならないのです」