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サウジアラビア、魅力あふれる歴史遺産で文化観光客を惹きつける

サウジアラビアの代表的な遺産「アルーラ」は、20万年前の古代文明や考古学的驚異を伝える生きた博物館である。(シャッターストック)
サウジアラビアの代表的な遺産「アルーラ」は、20万年前の古代文明や考古学的驚異を伝える生きた博物館である。(シャッターストック)
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22 Sep 2022 06:09:59 GMT9
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  • 6つの世界文化遺産は、そのひとつひとつが、サウジアラビアが想像以上に深いルーツを持っていることを示している
  • ディルイーヤは慎重に保存・保護され、サウジアラビア最大級の広域開発プロジェクトの中心で輝きを放つ存在となっている

ジョナサン・ゴーナル

ロンドン: サウジアラビアは、未来に向けた大胆な青写真「ビジョン2030」が牽引する新たなステージに進もうとしているが、その一方で過去の遺産もまた、外の世界に対して自らを開いていくにあたり重要な役目を果たすものとして再発見し、大切に活用している。

2008 年以降、サウジアラビアの6 か所におよぶ主要な遺跡が、「顕著な普遍的価値」を持つものと認められ国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産に登録されている。

さらに、これからの登録が検討される候補地の「暫定リスト」には、ヒジャーズ鉄道、歴史的価値の高い3つの巡礼路等10か所が掲載されている。そのうちのファーウ遺跡は、空虚の地(Empty Quarter)とも呼ばれるルブアルハリ砂漠の北西端にあり、先史時代の遊牧民の時代から紀元前1千年後半に栄えた古代キャラバン都市の発展期に人々が居住していた場所だ。

サウジアラビアの国定遺跡登録簿には1万件以上の史跡が登録されており、今後も同国は世界遺産の候補地に困ることはないだろう。

現在の6つの世界文化遺産は、そのひとつひとつがサウジアラビアの魅力的な文化の一面を体現しており、その文化の豊かさはサウジアラビアが想像以上に深いルーツを持っていることに加え、同国の歴史遺産が人類史全体においても意義の大きいものであることを示している。

そして文化は、今を生きている歴史でもある。それぞれの遺産は、サウジアラビアが世界中の文化観光客を惹きつけるのに重要な役割を果たすであろうし、既にその役割を果たしているものもある。

例えばヘグラ遺跡は、サウジアラビアのユネスコ世界遺産の中でも目を見張るもののひとつだ。この遺跡は、緑豊かなオアシスエリアとそびえ立つ山々の素晴らしい景観を持つアル・ウラー地域を、22,000平方キロメートル以上に及ぶ壮大なスケールで主要観光地として注意深く開発していくという、アル・ウラー王立委員会の計画の中心的存在となっている。

古代都市ヘグラは、アル・ウラー地域の輝く宝石のような存在で、現代のヨルダンにあるペトラ遺跡も建設した古のナバテア人たちの南方の都であった。

砂岩の露頭を人の手で彫って作られた100以上の墓は、その多くが精巧なファサードと碑文を持っている。しかし、それも驚嘆すべきヘグラ遺跡の氷山の一角に過ぎない。

ジェッダの古い村「アル・バラド」は、サウジアラビアのユネスコ世界遺産の一つで、古い建物がたくさん残っている。(シャッターストック写真)

現在、アル・ウラーとその近くのハラット・ハイバル火山地帯では、10を超える国際的な考古学チームが先史時代から20世紀初頭までの過去の文化について調査を行っている。すでに、アラビア半島の先史時代の根本的な見直しを促す、大量の新発見が彼らによりなされている。

西オーストラリア大学のあるチームは、過去4年間かけて、ウラー郡とその近くのハラット・ハイバル火山地帯の目に見えるすべての遺跡を特定し、カタログを作成した。発見された数万の建造物は、そのほとんどが4,000年から7,000年前のもので、かつて緑豊かで温暖だった風景と気候の歴史を語っている。

サウジアラビア航空考古学(Aerial Archaeology in the Kingdom of Saudi Arabia、AAKSA)プロジェクトは、アル・ウラーで13,000か所、ハイバルでは130,000か所に及ぶ遺跡の存在が確認している。時代は石器時代から20世紀まで、大部分は先史時代のものである。

それらの中核を成す、アル・ウラーの3,300平方メートルのエリアは英国のオックスフォード考古学研究所によって別途調査され、リヤドのキングサウード大学のスタッフおよび学生の協力を得て、さらに16,000を超える遺跡が確認された。

西オーストラリア大学の上級研究員であるヒュー・トーマス博士は、これまで古学者たちの研究は肥沃な三日月地帯(Fertile Crescent)に集中していたと指摘する。「しかし研究が進むにつれて、このエリア周辺にも、小さな相互に独立したコミュニティが質素に静かに暮らす乾燥地域という印象をくつがえす、非常に豊かなものがあったことが分かってきたのです」と、トーマス博士はアラブニュースに語っている。

「新石器時代には、これらの地域は、今よりもかなり緑が豊かで、多数の人々、それに動物の群れが行き交っていたはずです」

サウジアラビア航空考古学プロジェクトのチームによって記録された中で最も興味深いものは、未だ謎の多い「ムスタティル」であろう。ムスタティルは、8000年以上前に未知の先史時代の人々によって造られた、しばしば巨大で直方体の構造物である。おそらくアラビア半島特有のもので、何らかの儀式的な目的を持っていたと考えられている。

現在、サウジアラビア北西部30万平方キロメートルの範囲内に1,600基以上が確認されており、主にアル・ウラーとハイバルの周辺に集中している。

サウジアラビアの先史時代の遺産には、他にも新石器時代の岩面彫刻(ペトログリフ)の世界最大かつ最も素晴らしい例が、ヘイル州にある相互に300km離れた2つの遺跡に現存しており、両遺跡共に2015年にユネスコの世界遺産に登録されている。

そのうちの1つはジャバル・ウム・シンマン遺跡で、現在のジュバの町の西側にある岩の露頭である。その歴史はアラブ文明の黎明期に遡り、その頃は丘に囲まれた湖が存在していたが、約6,000年前にネフド砂漠の砂の下に消えてしまったという。

ユネスコの推薦文書によれば、ウム・シンマンの丘には、今日のサウジアラビア人の祖先が「彼らの存在の痕跡、彼らの宗教、社会、文化、知的、哲学的観点からの生と死に関する信念、形而上学的、宇宙論的な思想を残した」とされている。

もうひとつの遺跡は、ジュバの南西220キロ、シュワイミス村の近くにあるジャバル・アル・マンジョールとジャバル・ラートのものである。

この対をなす遺跡は、最古の狩猟の絵による記録から、文字、宗教、および牛・馬・ラクダなど動物の家畜化の発達まで、9000年以上にわたる人類の歴史を物語っている。

ヘイル地域の岩絵は、世界的にも極めて重要性の高いものと評価されており、ユネスコの推薦文書でも「世界基準で見ても、人間の創造的才能の驚くべき表現であり、メソアメリカやイースター島の滅亡した文明が残したメッセージに匹敵する……最も優れた普遍的価値を持つ」ものだとされている。

サウジアラビアの他のユネスコ世界遺産には、最も最近登録された、2021年に登録されたヒマ文化圏がある。この地域には、7,000年以上前に、サウジアラビア南西部の古代の砂漠の隊商ルートを通った軍隊や旅行者が描いた岩絵が数多く残されている。

2014年に世界遺産に登録された歴史都市ジェッダは、7世紀に紅海の主要港となり、海路で到着したメッカへの巡礼者の玄関口として急成長を遂げた。「繁栄する多文化の中心」として発展したジェッダは、「19世紀後半に市内の商人エリートたちが建てたタワーハウスなど、独特の建築の伝統を特徴とし」ていたとユネスコの推薦文書は述べている。ジェッダの伝統建築の多くは、現在も見ることができる。

東部州のアル・アハサは「文化史を連続的に体現する景観」を持つとされ、世界最大、そしてほぼ間違いなく最古のオアシスがあり、総面積85平方キロメートルの中に12の別々のエリアと250万本のヤシの木が各所に存在している。

2018年に「進化する文化的景観」としてユネスコ世界遺産に登録されたアル・アハサは、推薦文書に「新石器時代の起源から現在までの、オアシスの歴史のすべての段階を示す具体的な痕跡を保存している」と述べられている。

アル・アハサは、西のアル・ガワールの岩石砂漠と東のアル・ジャフラ砂漠の砂丘群の間に位置しており、現在のサウジアラビア東部に紀元前3千年代に栄えたディルムン文明に関連している。また、約7,000年前のウバイド時代の土器が出土しており、アル・アハサ地域はアラビア東部で最も早く人類が定住した地域である可能性が指摘されている。

サウジアラビアの発祥の地とされ、2010年にユネスコ世界遺産に登録されたディルイーヤのトゥライフ地区は、少なくともサウジアラビア人たちの心の中では最も重要な場所となっている。

近代的な大都市リヤドから北西に数キロ離れたワディ・ハニファの湾曲部に位置するトゥライフ地区には、日干しレンガ造りの宮殿、家屋、モスクの見事なコレクションが保存されており、「中央アラビアで発展した、重要な伝統建築様式であるナジュド建築の優れた例であり……世界の文化の多様性を示す」ものとしてユネスコの推薦文書でも讃えられている。

ディルイーヤは15世紀にサウード家の祖先が最初に定住したオアシスであり、1744年に成立した第一次サウジアラビア王国の首都となった。

ディルイーヤは、第一次サウジアラビア王国のアラビア及びメッカとメディナの聖地支配への意思を脅威に感じ、復讐心に燃えるオスマン帝国からの6年間に及ぶ攻撃で、1818年に破壊された。

しかし、歴史が示す通り、最終的に勝利したのはアル・サウードであった。1902年、イブン・サウドとして知られるアブドルアジーズ・ビン・アブドル・ラーマン・アル・サウードは今日も語り継がれるリヤド奪還を果たし、1932年にはナジュド王国とヘジャズ王国を統合してサウジアラビア王国を建国した。

ディルイーヤ近郊のトゥライフ地区は、オスマントルコによって廃墟と化し、再び占領されることはなかった。しかし、慎重に保存・保護され、現在はディルイーヤゲート開発局によるサウジアラビア最大級のプロジェクトの一つである広域開発の中心に、「世界で最も素晴らしい文化交流地点の一つ」として輝きを放つ存在となっている。

500億ドル(約7兆円)を投じてディルイーヤを歴史、文化、ライフスタイルの世界的な目的地に生まれ変わらせるこの巨大開発は、55,000人の雇用機会を創出し、毎年2,700万人の訪問客を集める計画だ。訪れる人達は、砂漠の小さなコミュニティでその構想が生まれてから300年足らずの間に、世界で最も影響力のある国のひとつに成長したサウジアラビアの歴史と文化に浸ることができる。

7平方キロメートルの開発プロジェクトの敷地では、すべて伝統的なナジュド様式で建てられる博物館、ギャラリー、ワールドクラスのホテル、レストラン、ショップ、住宅、教育・文化施設などが訪問客を魅了することになる。

しかし、その中心はあくまでトゥライフ地区である。トゥライフは、サウジアラビアの多くの史跡と同様、歴史の貴重な遺産であり、そして現在も、国の未来の創造に貢献しているのだ。

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