
日本は人口の高齢化でよく知られているが、その高齢者を活用して東京オリンピックの運営を支援しており、年金受給者のボランティア(一部は90歳代)が新型コロナウイルスの不安をもろともせず、それぞれの役割を果たしている。
前回日本の首都で夏季大会が開催された1964年当時、幼い少年であったカトウタカシさんは、母親と見た開会式で彼女が泣いていたことを思い出いし、目に涙を溜めた。
彼の両親は第二次世界大戦を生き抜いたが、その20年後に日本でオリンピックが開催されたことは、彼の母親にとってスポーツを超えた何か特別な意味があった。
「ごめんなさい。この話をすると、涙を流さずにはいられないのです」と、彼は冷静さを取り戻すのに苦労しながら語った。
「母が泣くところを見るのは初めてでした。」
その記憶が彼から離れることはなく、現在日本で開催されている大会でボランティアになるきっかけとなった。
この現在62歳の元数学教師は、ボランティアを志願した一部の人たちと比べると、まだまだ「ひよっ子」の部類だ。
大会主催者によると、オリンピックとパラリンピックに携わる71,000人のボランティアのうち、15,000人近くが60歳以上となっている。
80歳代は139人、90歳代も3人いる。
オリンピックの風物詩である無給で働く人たちの集団は、若い年齢で構成されるのが常であり、これほど多くの年配ボランティアの存在は特筆に値する。
ボランティアばかりではない。東京周辺およびその他地域に点在する多くの会場では、警備、ケータリング、輸送といった分野の有給で働く人たちの中にも高齢者が多数存在する。
これは日本の人口の構成を反映している。公式の統計によれば、この国の人口は世界で最も高齢で、65歳以上の人口は約28%となっている。
カトウさんはある時点では、高齢者の新型コロナウイルスに対するリスクが高いことから、オリンピックで働くことでウイルスに感染する危険に晒されるのではないかと考えていた。
「でも、最初に抱いた願望を貫くべきだと結論付けました…。私はボランティアとして働くことを決心しました」と彼は言い、2024年のパリ大会で再びボランティアの仕事ができたらと望んでいる。
「できれば、次のパリ大会のボランティアになりたいです。」
「でも、英語もフランス語も話せないので、他の人の負担になるだけかもしれません。ですから、自宅から応援することにします。」
カトウさんと同様に、ホンゴウトシオさんもまた、数千人という世界のマスコミが集まる立派なオリンピックメディアセンターで働いている。
彼はとても元気な73歳で、50歳年下の多くの人ができないであろうベンチ上の腹筋運動でそれを証明する。
この腹筋運動は、彼が若かりし頃に体操選手だったことを思い起こさせる。彼は日本を代表するまでにはならなかったが、1972年ミュンヘンオリンピックの金メダリストとなった岡村輝一氏と同じ学校の体操部に所属していた。
ホンゴウさんは、60歳になるまでトライアスロンをするなど、体操以降も体力の維持に努め、今でも毎日ウェイトトレーニングを行っている。
人事や広報の仕事に携わっていた頃から、定年後に家の中に座って体を休めるようなタイプでなかった彼は、東京オリンピックでのボランティア活動を「人生最後の奉仕活動」と考えている。
「自分がまだ社会の一員であり、社会に何か貢献できると感じることができます」と、彼は英語で動機を説明した。
「私は多くの人に助けられてきました。そのお返しをそれらの人々、(オリンピック)委員会、日本の国にしようとしています。」
AFP