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チュニジアの政治的危機で、アンナハダの真実がまた一つ明らかに

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28 Jul 2021 02:07:52 GMT9
28 Jul 2021 02:07:52 GMT9
  • チュニジア人は、アンナハダが政権の座にいることとガバナンスの失敗は、もはや偶然ではないと考えている
  • 新型コロナのパンデミックと経済失策の主な要因は、このイスラム主義政党だと見られている

アラブニュース

ドバイ:チュニジアが直面している政治危機は、表面的には新型コロナのパンデミックによる影響であり、ワクチンは登場したがまだ終わらない不測の事態だと見ることが出来る。

しかし、この国が直面している問題はそれほど単純ではなく、多くのチュニジア人は「問題解決はほぼ不可能だ」と考えている。「アラブの春」の唯一の成功例だと言われたこの国は、なぜこのような事態に陥ってしまったのだろうか。

チュニジアから届いた映像を見ると、経済、社会、健康状態の悪化に関して政治家を非難しているのは一部の反対派ではなく、幅広い世論であることが分かる。政党の指導者たちは民主的な説明責任を逃れる方法を受け継いできているにも関わらず、特定政党が批判されるようになったということは大きな意味を持つ。

チュニジアでは新型コロナ患者が急増し、医療システムが圧迫され、経済問題が悪化している。そのため、スファクス、モナスティル、エルケフ、スース、トズールの町ではここ数日、イスラム主義政党アンナハダの事務所が抗議者たちの怒りの標的となっている。

この国の政党の分断や政治の分裂を考えると、世論を大きく操作できるようなライバル政党は存在しなかったと思われる。つまり、このチュニジア議会の最大政党は、自ら招いた信頼の危機に直面しているということだ。

アル・アラビーヤ・ニュース衛星放送の副編集長でチュニジア人のアマール・アジズ氏は、アラブニュースに対し「数年前まで、チュニジアの医療インフラは充実していた」と語る。「しかし、特にこの2年間は、管理ミス、汚職、設備不足のせいで全て崩壊した。そのせいで何千人もの医師がヨーロッパに移住した」。

アジズ氏は、「チュニジア当局は当初、新型コロナパンデミックの抑制に成功しており、2020年5月には感染者ゼロを記録した」と述べた。

「しかし、2019年に華々しく政権入りしたアンナハダは、2020年2月にカイス・サイード大統領が任命したエリエス・ファクファク首相の政権を9月に解散させた」と彼は付け加えた。

「政権交代した新政府は、ワクチン購入の手配を十分にしなかった。さらに悪いことに、必要な制限を設けないまま国境を開放した。これが新型コロナ蔓延の原因となった」。

7月中旬の時点では、チュニジアの新型コロナによる一人当たりの死亡率はアフリカで最も高く、感染率もアフリカで最も高い水準を記録しており、保健省も状況が悲惨であることを認めている。保健省の広報担当者であるニサフ・ベン・アリア氏は、地元のラジオ局に対し、「現在の状況は壊滅的だ」と述べている。「感染者数は劇的に増加しており、残念ながら医療システムは崩壊している」。

多くのチュニジア人は、死をもたらす新型コロナウィルスとの闘いを邪魔している最大の要因は不安定な政局にあると考えている。パンデミックの発生以来、チュニジアの保健相は3人目だ。9月には、この1年で3代目となる政権が発足した。この政権は、2011年の「アラブの春」の反乱から24年続いたザイン・アル・アービディーン・ベン・アリー政権から数えて9代目となる。

しかし、チュニジアの人道的な危機が見過ごされることはなかった。サウジアラビアは支援一式(100万回分の新型コロナワクチン、190台の人工呼吸器、319台の酸素ボンベ、150台の医療用ベッド、50台の台車付きバイタルサイン監視装置)を届け、UAEは50万人分のワクチンを提供した。そしてフランスは同数のワクチン、医療機器、その他の物資を提供した。

アジズ氏は、「サイード大統領はサウジアラビアやフランスから援助を受けるのに成功したが、アンナハダはこれを利用したがっていると思われた」と語っている。「同政党は、保健相であるファウジ・メヘディ氏を交代させようとし、政府のまずい対応のスケープゴートにすることに成功した。これが明らかになると、多くのチュニジア人はアンナハダがパンデミックを利用して政治利益を得ようとしていると考えた」。

多くのチュニジア人は、この4月以降の悲惨な状況で、苦い記憶を思い出したのではないだろうか。それは2011年の反乱後、アラブ世界で最も極端な過激派の動きに対し、アンナハダ率いる連立政権の対応が遅かったことだ。

AST(Ansar Al-Sharia in Tunisia=チュニジアのアンサール・アル・シャリーア)は、2011年以降の囚人恩赦を最大限に利用することで勢力を拡大していった。エジプトのムスリム同胞団に触発され、チュニジアにイスラム的な社会とアイデンティティーを提唱したアンナハダだが、過激派との戦いには向かなかったようだ。2013年には、選挙で同盟を結んだ左派の人民戦線のリーダーだったショクリ・ベライドとモハメド・ブラーミが暗殺され、チュニジアの世論はさらに分極化されていった。

2013年8月、政府はASTをテロ組織に指定したが、多くの人はこれを「馬が逃げた後で馬小屋のドアを閉めたようなものだ」として批判した。その5年後には、弁護士や政治家のグループが「ベライドとブラーミの殺害には秘密組織が関与しており、治安部隊や司法にも潜入した」としてアンナハダを非難したが、同政党はこれを否定している。

アンナハダ政権は、チュニジアの民主主義の形成期に穏健策ばかりで厳しい対策をとらなかったせいで、今も問題を抱えている。ワシントン近東政策研究所のフェロー(研究員)であるアーロン・ツェリン(Aaron Zelin)氏は、ウィルソンセンターの研究論文で「2013年から2019年の間に、何千人もの人々が海外のジハード運動に参加した。…リビアでは、チュニジア人が2015年と2016年に、バルドー博物館、スースのビーチリゾート、そしてベンガルダン(チュニジアとリビアの国境沿いの都市)の鎮圧を企てるという3つの大規模な攻撃計画があった」と発表している。

最近では、2018年のワシントンポストの記事によると、モブディウン(Mobdiun)という団体がクラムウェスト(チュニス郊外の貧困地区)で若者に対する調査をおこなったところ、約40%が「テロ組織に参加した人を知っている」と答え、更に16%が「暴力的な過激思想派からアプローチを受けたことがある」と答えたという。

過激派に引き込まれなかった者も、夢や野心を実現するため、他の危険な方法を探している。毎月、多くのチュニジアの若者がヨーロッパでより良い生活を送るため、命がけで脱出している。国連難民局によると、2020年だけで1万3,000人のチュニジア人が海を渡ったが、その多くはそれが危険な旅であることを知っていたと思われる。

アジズ氏は、「2011年にベン・アリー大統領が去った後、首相だったベジ・カイド・エッセブシがチュニジアを統治した短い期間と、アンナハダの統治期間を比較してみると、大きな違いがあることに気づくだろう。つまり、テロリズムはアンナハダと共に台頭したのだ」と述べた。

「アンナハダが議会や政府を支配するようになって以来、治安から経済に至るまで全てが崩壊した。国の交通システムや公共医療機関も同様だ。チュニジア人は全員、状況が悪化していることに気づいている。7月25日に色々な町で抗議活動が行われたのもそのためだ」。

欧米の批判を無力化し、国内の世俗主義者を味方にするため、アンナハダは2016年に「宗教ルーツから離れ、より政治に集中する」と大々的に発表した。しかし批評家たちは、イスラム主義からの政治的撤退、そしてイスラム民主主義への参入というアンナハダの主張は、ただの主張にすぎないと見ている。政治的イスラムの学者が指摘するように、アンナハダは自らコミットした「イスラム民主主義」とは実際に何を意味しているのか、まだ明確にしていない。

現在チュニジアを襲っている最悪の事態に対する国民の怒りに直面しても、アンナハダは中核メンバーを外すことは出来ない。失敗を率直に認めれば、伝統的なイスラム教徒の支持を失うことになりかねないからだ。

また、世俗的な政党と協力し、政治的に妥協すれば、イデオロギーが弱体化し、亀裂が生じることを懸念している。アンナハダは、人権や民主主義のレトリックが真の改革の代わりにはならないことを、長年の間に実感しているに違いない。しかし、彼らにそのような改革を行う能力や意思があるかどうか、まだ不明なままだ。

アジズ氏は、「アンナハダはこの10年、チュニジアの統治に参加してきた。多くの人に言わせれば、それはチュニジアの近代史における最悪の10年だった」と語り、「今回の抗議活動は、現在の国民感情の表れだ」と付け加えた。

「抗議活動をおこなっているチュニジア人たちは、国の問題の全責任をとるようアンナハダに要求している。無能な政府、汚職の蔓延、仕事不足、今までにないイタリアやフランスへの移民の動き、そして他のアフリカやアラブ諸国に比べて高い新型コロナの死亡率などの主な原因は、この政党にあると考えているのだ」。

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