
ハルツーム:5月16日にスーダンの首都全域で空爆と砲撃が一気に激化したと住民らが伝えた。スーダン軍は1か月以上にわたって戦っている準軍事組織から拠点を守ろうとしている。
空爆、爆発、衝突の音はハルツーム南部でも聞こえ、ナイル川を挟んで隣接するバーリやオムドゥルマンの一部では激しい砲撃があったと目撃者は語っている。
スーダン軍と準軍事組織「即応支援部隊(RSF)」との間の紛争は、スーダンの至る所、特に西部のダルフール地方で混乱を引き起こしているが、その混乱は首都ハルツームに集中している。
紛争によってこの地域を不安定化させる恐れのある人道危機が発生している。これまでスーダン国内で70万人以上が避難し、約20万人が近隣諸国への避難を余儀なくされている。
避難せずに首都に残った人々は、食糧供給が減り、医療サービスが崩壊し、無法地帯が広がる中、どうにか生き抜こうと必死だ。
国際赤十字赤新月社連盟(IFRC)の人道支援ネットワークは、900万人が戦場の近接地で暮らし、深刻な苦難の中で生活していると述べ、3300万ドルの支援募金活動を開始することを訴える中で、移動中の人々に対する性的暴力が増加しているという報告を引用した。
公式発表では、死者676人、負傷者5,500人以上が報告されているが、路上に残された遺体や死者の埋葬に苦労しているという数多くの報告があり、実際の死者数ははるかに多くなると予想されている。
「状況は耐え難いものです。私たちは戦闘から逃れるためにハルツームの隣人の家へ行こうと自宅を出ましたが、どこへ行っても爆撃が追いかけてきます」とハルツームに住むアイマン·ハッサン氏(32)は語った。
「住宅地で戦争が起こるなんて、一体市民が何をしたと言うのでしょう」
1週間以上前に両紛争当事者がサウジアラビアと米国の仲介でジェッダで協議を開始して以来、ハルツームと西ダルフール州の州都ジェネイナの両方で戦闘が急増している。
協議では、民間人の保護や援助物資の供給許可に関する原則宣言が発表されたが、人道回廊の仕組みや停戦合意についてはまだ話し合いが続いている。
両者はこれまでに数回の停戦合意を発表したが、いずれも戦闘を停止させるに至っていない。
スーダン軍は主に空爆と砲撃で、ハルツーム全域の拠点からRSF部隊を押し出そうとしている。
スーダン軍は、RSFが捕虜となった陸軍将校とその家族を人間の盾として利用していると非難しているが、RSFはこれを否定している。
住民や目撃者の報告によると、RSFは16日に、スーダン軍が重火器や戦闘機を配備するのを阻止しようと、オムドゥルマン北部とハルツーム南部の主要な軍事基地を攻撃した。
RSFはバーリで数百人のスーダン軍兵士を捕らえたと発表し、着席した軍服姿の男性たちの列とその周りで喜ぶRSF戦闘員の映像を公開した。ロイター通信はこのRSFの主張をすぐには確認することはできず、スーダン軍はこれを否定した。
スーダン軍はRSFの補給線を断ち、ハルツーム中心部の空港やバーリの大規模なアルジャイリ製油所などの戦略的拠点の確保を図っており、その戦略的拠点で16日に戦闘が再燃した。
RSFはまた、オマル·アル·バシール前政権時代の与党幹部で積極的な発言を行うアナス·オメル氏をハルツームの自宅で拘束したと、オメル氏の息子がロイター通信に語った。
RSFはスーダン軍が前政権支持者らと協力していると非難しているが、スーダン軍はこれを否定している。
今回の戦闘は、国際的に支持された民政と選挙実施に向けた政治移行のための取り決めの下で、RSFが軍に加わる計画や将来の指揮系統をめぐる争いが起きた後に勃発した。
2019年に民衆蜂起でバシールが追放された後、スーダンの統治評議会でトップの座に就いたのが、スーダン軍最高司令官のアブドゥルファッターフ·アル·ブルハン将軍とRSFを指揮するモハメド·ハムダン·ダガロ将軍(通称ヘメッディ)だった。
その2年後、市民に権力を移譲する期限が近づくと、2人はクーデターを起こし、調停者が移行計画をまとめようと試みる中、それぞれ軍隊を動員し始めた。
両陣営とも外国の支援を求め、スーダンの鉱物資源と農産物の豊かさ、そしてサヘル諸国と湾岸諸国の間に位置する戦略的立地に魅力を感じていた地域諸国に言い寄った。
スーダンを脱出した人々の多くは、北はエジプト、西はダルフールと国境を接するチャドへと向かっている。また、サウジアラビア行きの船に乗ることを期待して、紅海に面した都市ポートスーダンに向かった人もいる。
「私たちは戦争から逃れてきました。皆、夫を失い、家を破壊されました」と、ポートスーダンで何百人もの人々とともに炎天下にキャンプ暮らしをしている学生のリーム氏は語った。「たとえ平和になったとしても、戻ったらどこで暮らせばいいのでしょうか」
ロイター