
モロッコ、アミズミズ:モロッコでの地震発生から3日目、人々は今なおマラケシュの路上で夜を過ごしている。トラックやヘリコプターに乗った兵士や国際援助チームが、この歴史的な地震で最も大きな打撃を受けた、アクセスが困難な山間の町に入り始めた。
災害による死者は2100人を超え、その数は増えることが予想されている。国連は金曜日夜に発生したマグニチュード6.8の地震で30万人が被災したと推定している。
米国やフランスを含む数カ国から支援の申し出があるなか、モロッコ当局は10日、4カ国からのみ国際援助を受け入れると発表した。スペイン、カタール、イギリス、アラブ首長国連邦である。
「モロッコ当局は現地のニーズを慎重に見極めている。今回のようなケースでは、連携不足の救助活動は逆効果になる可能性があるためだ」と同国内務省は声明で述べた。
10日、悲しみとショックに打ちひしがれているモロッコの人々に余震が追い打ちをかける中、複数の外国の捜索・救助チームが到着した。一方、派遣態勢を整えていた他の援助チームは、政府からの正式な援助要請を待つことに不満を募らせていた。
「人々を救うためには、今すぐ動く必要がある。建物の残骸の下を掘らなければならない」と、「国境無き救助隊(Rescuers Without Borders)」の創設者、アルノー・フレイズ氏は語る。彼は、パリで待機中の援助チームに対する正式な要請を待っている。「がれきの下で死んでいく人々がいる。しかし、私たちには何もできない」
アミズミズでは、救援の到着が遅れている。山の斜面に彫られたオレンジや赤の砂岩を使ったレンガ造りの家々は損壊している様子で、モスクのミナレットは崩壊していた。
「大惨事だ」と村人のサラー・アンチューさん(28)は言った。「先が見えない。救援はまだ不十分だ」
住民たちは町に向かう幹線道路からがれきを撤去し、兵士を満載したトラックが到着すると歓声を上げた。しかし、彼らはさらなる支援を訴えている。
「少なくとも今は、救急車も警察もいない」とアンチューさんは10日朝、この地域の多くの状況について語った。
9日夜、古都マラケシュの路上や、ムーレイ・ブラヒムのような被害の大きかったアトラス山脈の村では、家を失った人々や余震を恐れる人々が、その場しのぎの寝床を作った。アミズミズも含めたこれらの地域では、住民たちは救助の手の届きにくい地域の被害を最も心配していた。最悪の被害を受けたのは、山岳地帯を蛇行する未舗装道路に依存する農村地域であり、道路は現在落石で塞がれている。
米国地質調査所(USGS)によると、これらの地域は10日、マグニチュード3.9の余震が発生した。被害や死傷者が増えたかどうかはすぐにはわからなかったが、被害によって建物が崩れやすくなっており、住民が余震を恐れている地域においては、この強い揺れはさらなるストレスを与えている。
多くの住民が泥で作られたレンガを積んだ住居に住んでいるこの地域では、金曜日に発生した地震で、大きな揺れに耐えられる構造ではないこれらの建物が倒壊し、人々はがれきの中に閉じ込められ、他の人々は恐怖の中逃げ惑った。内務省の発表によると、合計2122人の死亡が確認され、少なくとも2421人が負傷し、うち1404人が重体となっている。
死者のほとんど(1351人)はハイアトラス山脈のアルハウズ地区に集中していると同省は発表した。
国王モハメッド6世は日曜日から3日間の服喪を宣言し、モロッコ全土で国旗が降ろされた。軍は捜索救助隊を動員し、国王は家を失った人々に水、食料配給、避難所を送るよう命じた。
国王はまた、モスクで犠牲者のために祈りを捧げるよう日曜日に呼びかけた。犠牲者の多くは、近隣で救助活動が慌ただしく続くなか、土曜日に埋葬された。
援助団体によれば、モロッコは日曜日に初めて4カ国からの援助を受け入れると述べたものの、今年初め、トルコで起こった大地震の数時間に同国政府が行ったような国際的な援助の呼びかけは行っていないという。
世界中から援助の申し出が殺到し、国連はモロッコに国際支援を調整するチームがあると伝えている。合計3500人の救助隊からなる約100のチームが国連のプラットフォームに登録されており、要請があればモロッコに派遣する準備ができていると、国境なき救助隊は述べた。ドイツはケルン・ボン空港近くに50人以上の救助隊を待機させていたが、現在は解散したとドイツ通信社(DPA)が報じた。
スペインの緊急軍事部隊によると、スペインの捜索救助隊がマラケシュに到着し、タラト・ンヤクーブ(Talat N’Yaaqoub)の農村部に向かったという。スペインのホセ・マヌエル・アルバレス外相はラジオのインタビューで、モロッコ当局が救援を要請したと述べた。フランスのニースからも救助隊が向かっている。
チェコ共和国の政府関係者は、モロッコ政府から正式な要請を受け、がれきの中を捜索する訓練を受けた救助チームのメンバー約70人を派遣すると述べた。チェコのヤナ・チェルノホヴァー国防相は、3機の軍用機がチームの輸送のために準備されていると述べた。
モロッコと多くのつながりがあり、4人の国民が地震で死亡したと発表したフランスでは、同国の町や都市が200万ユーロ(210万ドル)以上の援助を提供している。また、人気芸能人たちが寄付を募っている。
8日に発生した地震の震源地は、マラケシュの南約70キロにあるアルハウズ県のイギルという町の近く。この地域は、ハイアトラス山脈に囲まれた風光明媚な村や谷で知られている。
山脈の険しく曲がりくねった山道に沿った各町は壊滅的な被害を受けた。家々は折り重なり、人々は少年やヘルメットをかぶった警察が通りで死者を運ぶ様子を泣きながら見ていた。
「地震が起きたとき、私は眠っていた。屋根が落ちてきて逃げられなかった。閉じ込められた。素手でがれきを取り除いてくれた近所の人たちに助けられた」とムーレイ・ブラヒムの住民、ファトナ・ベチャールさんは言った。「私の家は全壊してしまった。今は彼らの家で一緒に暮らしている」
被災者たちは嘆き悲しむ時間もほぼ無いまま、被害を受けた家々の救助活動にあたっている。
親戚や近所の人たちに混じって、家財道具を抱え、泣きつかれた様子のカディジャ・フェアロジェさんが、岩だらけの道を歩いている。48時間前、彼女は就寝中に家が倒壊し、娘と、4歳から11歳の3人の孫を失った。
「何も残っていない。何もかもが崩れ落ちた」と妹のハフィダ・フェアロジェさんは言った。
モハメッド5世財団は、アルハウズ県の約15000世帯に対して、食料、医療支援、仮設住宅、毛布などの支援を調整している。国営マグレブ・アラブ通信(MAP)が同団体代表、ユセフ・ラブーリ氏の現地訪問後の発言を引用して伝えた。
兵士と警察に支援されたレスキュー隊は、震源地に近いアダシユという辺境の町で、倒壊した家屋を捜索した。MAPによると、軍の車両がブルドーザーやその他の機材を運び入れ、道路からがれきや岩を取り除いた。マラケシュのモハメッド6世大学病院には、人口約800人のティクト村から数十人の負傷者が救急車で運ばれた。
マラケシュでは、警察によって封鎖された石組みの建物の屋根が大きく陥没しており、歪んだ金属、崩れたコンクリートの残骸に、埃が漂っていた。
観光客や住民は、血液を提供するために並んでいた。
「躊躇している時間はない」と、ジャリラ・ゲリーナさんはAP通信の取材に対し語った。「人々が死んでいくような状況で、特に彼らが助けを必要としているこの瞬間に、どんなことでも行いたい」
彼女はモロッコ国民としての義務を挙げた。
USGSによると、午後11時11分(日本時間午前7時11分)に発生した地震はマグニチュード6.8で、数秒間続いた。その19分後にマグニチュード4.9の余震が発生したという。アフリカプレートとユーラシアプレートの衝突は比較的浅い深さで発生したため、地震はより危険なものとなった。
USGSによる1900年以降のデータによれば、今回の地震はこの北アフリカに位置する国を襲った120年以内の地震としては最も強かったが、死者数としては最多ではない。1960年には、アガディール近郊でマグニチュード5.8の地震が発生し、少なくとも1万2000人が死亡した。この地震をきっかけにモロッコは建築基準を変更したが、多くの建物、特に地方の住宅はこのような揺れに耐えられるようには建てられていない。
2004年には、地中海沿岸の都市アル・ホセイマ近郊でマグニチュード6.4の地震が発生し、600人以上が死亡した。
AP